第27話  公演後

 終演後、私は舞花に会いにいくが、彼女は大勢の人に取り囲まれ、姿さえ見えなかった。

 感動を伝えたいと思いながらも、今日は無理だと諦めかけた時だった。


「沙羅ちゃん!」


 人混みの中から私を呼ぶ声。


「すみません……開けていただけませんか……」


 人々が道を開けると、衣装のままの舞花が現れた。

 彼女は人の対応に追われ、着替えることさえ出来ずにいたのだ。


「……お疲れさまです……」


 胸を焦がす熱い思い。私は瞳を潤ませ舞花を見る。


「うふふっ……ありがとう……どうだった? ガムザッティ?」


「……あ、あの……素敵で……その……私も踊りたくなりました……」


「ふふっ……そう?」


 舞花が悪戯をたくらむ子供のように私をじっと見つめている。


「……え? あの……いつか……です……」


 舞花の踊りを見て、自分もというのはあまりにも厚かましい。

 だが、舞花は思わぬ提案を持ちかけてきた。


「じゃ、踊っちゃいましょっ!」


「え、ぇぇっ!?」


「でね、ついでに、六月にコンクールがあるから、参加しましょ?」


「……ろっ、六月ですか!?」


「ね、そうしましょ? 私が見てあげる!」


「そ、そんな……」

 

 舞花の個人指導など恐れ多いと、尻込みをしていると、


「私も! 私も指導してください! ガムザッティ!」


 背後から、強く激しい自己アピール。

 振り返ると咲良が立っていた。

 顔は気色ばみ、瞳は熱を帯びたように輝いていた。

 私は気圧されながらも、つられたように申し出る。


「私も! 私もお願いします!」


 自分は強くなると決意したのだ。

 チャンスを前にたじろいではならない。 


「あら〜、やる気のある女の子が二人……嬉しいわぁ〜 じゃあ、二人一緒に。約束よ!」


 舞花指導の下、コンクールに出るなんて。

 しかも、ガムザッティは自分が得意とする類の役ではない。

 だが、心の底から湧き上がる熱い気持ちが、恐れや不安を退けていく。

 

「頑張ります!」


 私は舞花に宣言をする。

 これは、新しい挑戦をする自身へ向けたものでもあった。

 挨拶を終え、廊下に出ると、見慣れた人影が視界の隅に入り込む。


 短く刈られた髪、紺色のコート。

 その人物は、私の視線を感じたのか、逃げるように大道具の影へと走り去った。

 物陰からコートの裾がちらりと見える。


 まさか! そんな……目の錯覚だろうか?

 でも、私が彼を見間違えるなどあり得ない。


「……結翔さん!?」


 間違いない。

 結翔だ。


「だって……ねぇ……沙羅ちゃんの一大事でしょ? 駆け付けないなんて、私が許さないわよ?」


 のんびりと響くは舞花の声。

 振り返れば、にまにまと笑っている。

 まったく!

 貴重なチケットを、受験直前の結翔に渡すなんて、呆れてものが言えない。


 ……でも……

 嬉しい。

 舞花の機転に感謝せずにはいられない。


「……結翔さん? そんな所で隠れていないで……出てきてください……」


 大道具の向こうに呼びかければ、悪戯を見つけられた子供のように、こそっと結翔が現れた。


「……プロデビューおめでとでとう。沙羅ちゃん」


「ありがとう……」


 こうして、私はプロとしての貴重な一歩を踏み出したのだった。




 その夜、一本の電話があった。


「沙羅! デビューおめでとう!」


 来栖夕舞からだった。

 メールで代役としての出演を報告し、来栖からは「頑張りなさい」と励ましの返信があった。

 彼女は多忙な中、連絡をくれたのだ。


「来栖さん! ありがとうございます!」


「どう? 気分は?」


「……あ、あの……最高です!」


「そう、よかった……穂泉さんはどうでした?」


「……あ、あの……」


 思わず口ごもる。

 噂を鵜呑みにしているわけではない。

 だが、来栖と舞花の間に確執があると聞けば、迂闊に返答はできない。


「……素晴らしいダンサーでしょ?……私もいつかニキヤを踊りたい……」


 ニキヤとガムザッティでは、ニキヤの方が踊りも演技も複雑で難しい。

 来栖は、自分にはまだ実力が足りないと感じているようだ。

 静かな口調がそれを物語る。


「沙羅、彼女から学べた?」


「……はい……プリマに必要なものが、少しだけわかったような気がしました……」


「それはよかった……彼女は素晴らしい……人柄はちょっと疑問ですけどね?」


「そんなことは……」


 生真面目な来栖にとって、舞花は掴みどころのない人間に見えるのだろう。

 でも、来栖が冷静に舞花を認めていることにひとまずは安心だ。


 自分の報告が終わった後は、彼女の近況が気になる。


「来栖さん……今、何を踊ってらっしゃるんですか?」


 来栖は『眠れる森の美女』の客演のために渡英したのだが、他の演目の出演が急遽決定したために、滞在期間が延びたのだ。


「白鳥の湖! 最高っ! 振付、演出、衣装、セット……何もかもが斬新で!」


 来栖は意気揚々と語るが、私は素直に喜ぶことが出来ずにいた。

 彼女は英国での活動に満足している。

 このまま戻って来なくなってしまうのだろうかと。


「帰国したら、楡咲でも上演します!」


「……え?」


「そうですよ? 知らなかった? 私の渡英の目的の一つはそれ……英国で経験を積んで、実績を上げたら、凱旋上演をすること……楡咲先生との約束! 楡咲の伝統とはかなり違いますけど……でも、新しいことにチャレンジしなくては、団はいずれ衰退してしまう……」


「……そうだったんですね……」


 うれしかった。来栖は舞花を避け英国に渡るわけではなかったのだ。

 

「天然のプリマには負けてはいられませんから……」


「……えっと……あはは……」


 天然はひどすぎる。

 でも、嬉しかった、二人が競い合う姿を、私はこれからも見続けることができるのだ。


「……よかった……」


 涙交じりの声がかすれる。


「……ど、どうしたの!?」


「あ、あの……お電話ありがとうございました……ほっとしたのと、嬉しいので……」


「何?……どういうこと?」

 

 うれし涙の理由わけは、彼女に理解出来るはずもない。

 困惑する姿が目に見えるようだ。


「いえ……なんでもありません……」


 心からの笑顔で私は答える。


「そう……じゃあ、元気で……今日は疲れたでしょ? 早くやすみなさい……」


「ありがとうございます……」


 もっと話していたい。来栖の英国での活躍が知りたかった。

 どんな舞台なのか。どんなダンスを踊ったのか。

 時を忘れ、朝が来るまで語って欲しかった。

 ジゼルの指導を受けた日々が、昨日のことのように思い出される。

 練習の苦しさは忘れ去り、残るは懐かしさのみ。

 この時がずっと続けばいい。私はそう願った。

 だが、連日のレッスンの末に迎えたプロの初舞台。

 瞼は重く、気づけば船を漕ぐ有様だった。

 来栖の指摘通り、私の疲労はピークに達していたのだ。

 語らう機会は、遠からず訪れるに違いない。

 私達は、互いに労いつつ、会話を終わらせるのだった。



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