第26話  女神のオーラ ープリマの条件ー

 ガムザッティ役は穂泉舞花だった。

 一部で命を落としたニキヤがガムザッティとして蘇ったのだ。

 客席はどよめくも、それはすぐに歓喜の声に変わった。


「今日は見られるかもしれない……」


「えっ?」


 他の観客に聞こえないように咲良が呟く。

 確か相山も同じことを言っていた。

 何が見られるというのか。

 気がかりを振り切り、私は再び舞台に集中する。

 自分は貴重な瞬間を目撃するのかもしれないのだから。

 熱気に包まれる会場。打ち鳴らされる拍手が、びりびりと肌を刺すようだった。


 上手から二人並んだまま、アティチュードターンをしながらジャンプ。

 交差しながら、競い合うかのようなグランジュテ。

 見応えのある、ダイナミック跳躍が続く。

 ワルツのステップを踏んだ後、舞花はパートナーに支えられ、前足をアティチュード。

 二人は互いに腕を高く上げ、宣言をするようにポーズをとる。


 三幕のニキヤとは打って変わった華やかさ。

 太陽照り付ける南の国。民衆の祝福を受けて踊るガムザッティ。

 完璧に役を切り替える舞花に、私は目を見張る。


 ガラコンサートはソリスト達が、演目の一部を上演することが多い。

 Galaガラには、祝祭という意味が含まれ、人気のレパートリーを楽しむプログラムが組まれている。

 いわば、お祭りのようなものである。

 舞花のガムザッティは、このシチュエーションにぴったりと合致し、観客達は大喜びだ。

 物語では、ガムザッティはこの後のニキヤ暗殺を黙認するが、この舞台でそれが暗示されることはない。

 強く美しいガムザッティのイメージが表現されるのみ。

 愛する人と結ばれる幸福を全身で表している。

 王女はニキヤの存在にも、恋人の不実に悩まされることもない。

 太陽のもと、人生を謳歌する女性の姿がそこにはあった。


 ガムザッティはニキヤの命を奪ってしまった。

 だが、それはソロルを愛する故なのだ。

 もし、ニキヤの存在を知らなければ、夫となる人を愛する若い女性なのだ。


 舞花の踊りはバヤデールの本来の物語を忘れさせた。

 目の前にいるのは、幸せを夢見る若い王女でしかない。

 物語の幸福な結末ハッピーエンドを思い描き、私は混乱する。

 これはニキヤとソロルの悲恋の物語だというのに。

 だが、ニキヤの死も、ソロルの裏切りも全て起こるべきして起きたのだと思えた。

 悲しい出来事が全て、艶やかに花開き実を結んだような錯覚を覚える。


「……出た……」


「……え?」


「……女神のオーラ……穂泉さんの踊りはそう呼ばれている……」


 私は舞花を見る。

 彼女は光輝くヴェールに包まれているようだった。

 視聴覚室の映像とは比べられないほどの眩しさ。

 喜びも、苦しみも、生も死も、全てを肯定させる不思議な魔力。

 人生に、どんな辛いことが起ころうと、決して無駄にはならない。

 そんな勇気が与えられるようだった。

 私は、いつの間にか頬が濡れていることに気付く。

 涙がとめどもなく溢れ、繰り返し拭うも止まることがなかった。

 目も眩むほどの輝きが、会場を、観客達を包み込んでいく。

 全てを赦し、受け入れる愛の深さ。


 ――女神のオーラ。


 この世のものではない神々しさ。

 人が踏み入れることの出来ない世界を、舞花は創りあげている。


 バレエの物語は不思議なものが多い。

 夢と現実。

 愛と裏切り。

 強さと弱さ。


 現代にも通じる現実が、お伽噺話に混ざりこむ。

 夢のような童話の中に、残酷な厳しさが顔を出す。


 ソロルはニキヤを愛していたが、結婚することが出来ないことは初めから承知だったはずだ。

 彼がガムザッティを受け入れたのは、王の命令に逆らえなかったからだ。

 古代インドでは、身分違いの結婚も、権力に背くことも許されない。

 だが、理性で下した決断にもかかわらず、ソロルは心の弱さから阿片にのめりこんでしまった。

 一方、愛を守るために、ニキヤは王族のごとく毅然と死を選ぶ。


 ソロルとニキヤ。

 ラ・バヤデールでは、対照的な二人の姿を通し、理想と現実のはざまで苦悩する人間を描いている。

 だからこそ、この物語は人の心に残るのだ。


 『自分と置き換えて考える人はいるはず……ままならぬ人生を生きる人は少なくないもの』


 舞花は言っていた。


 『夢や理想を意識の奥に隠して忘れたふりをする』


 とも。


 日々は人に迷う時間を与えない。

 誰もが複雑な思いを抱えながらも、必要なものだけを選び取っていく。

 生きるために。

 

 人は矛盾を嫌い、排除し、時には批判さえする。

 迷いに囚われていては、前に勧めないから。


 だが、舞花は全てを受け入れ、体中で表現をする。

 それは、どれほどの労力を要するものだろうか。


 私はずっと、プリマに必要なのは、身体的能力や技術、表現力だと思っていた。

 だが、最も重要な条件は、全てを内包する心の強さなのではないか。

 

 心。


 プリマにとって何よりも大切なのは、心なのだ。

 私は体を鍛え、表現力を身に着け、同時に心も育てていかなくてはならない。

 

 ――強くなりたい!


 でも、どうやって?

 些細なことで、喜んだり気落ちしたり。

 私の心は揺れてばかり。

 どうしたら強くなれるのか。

 私は膝の上で、こぶしを固く握りしめる。


 ――ガムザッティのヴァリアシオン


 軸足に重心をかけ、もう片方の足をルティレから横に高く上げる。

 ルティレをしながら、方向を変える。

 その後クランジュッテ。


 ニキヤの踊りとは対照的な、クラッシックバレエ特有のステップが続く。


 ワルツはテンポよく、スピード感溢れながらも、優雅さは失われない。


 舞花のガムザッティはスケールが大きく壮麗だ。

 心が高揚して、じっとしているのが辛くなってきた。


(……いけない……私も踊りたくなっちゃった……)


 心を落ち着け、舞台に視線を戻す。


 最後はアラベスクと、ジャンプをしながら、舞台を一周する。

 踊りの終盤、体力的にきついはずだが、舞花はそれを見せない。

 コーダでは、ソロルとニキヤが高度なテクニックを披露し、パ・ド・ドゥは終わった。

 圧巻の舞台に観客達は大満足で、惜しみない拍手と歓声を二人に送っている。

 私もまた、熱に浮かされたように、掌を打ち続けるのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る