第25話  バレエの夕べ 第二部

 『バレエの夕べ 第二部―ガラコンサート』開幕直前。


「はい、チケット!」


 着替えが終わるころ、二部の出演者に手渡される。

 これは、一部と二部の出演者が交代で見る為に確保されたものだ。

 彼女は楡咲バレエ団のソリストで、今回『ドン・キホーテ』のキトリとバジルのパ・ド・ドゥを踊る。

 キトリの衣装は赤いクラッシックチュチュ。

 パートナーのバジルは黒いボレロにタイツ。

 艶やかな姿に、二人の出番が待ち遠しくなる。


「ありがとうございます! ……わっ、二階の中央最前列!」


 最高の席だ。声が感激で震える。


「座席は好みで、一階の中央がいいという人もいるけど、二階は遮るものがないし、全体が良く見渡せる……おかげで、じっくり見させてもらったからね! 第一部……よかったわよ、影の精霊!」


 ふ、ふみゅー!

 じっくり見られたなんて。

 恥ずかしいながらも、「ありがとうございます」と、礼を言う。


「それにしてもねぇ……私も見たいくらい……ガラコンサート……」


 団員がやや残念そうに言った。

 それほど見たいなどと聞けば、期待が否応なしに高まる。


 二部の開幕まで間がない。

 家族や紬に会う時間もなく、私は用意された席へと向かう。

 まだ休憩時間だが、観客達は既に自席へ戻ったようで、ロビーの人影はまばらだった。

 間幕のベルが鳴り、私は二階に通じる階段を駆け上った。

 扉から中に入り、座席の間の通路を抜け、チケットを片手に席番を探す。

 番号を確認しながら歩き、ようやく指定席に辿り着いた。

 ……だが……


 隣は咲良だった。

 私が席に就くのを躊躇っていると、


「どうかした?」


 何事もなかったように平然としている。

 気まずい。

 彼女が隣席なのは予想していたのに、それでも気まずい。


「……ううん……あはは……」


 作り笑いで着席する。

 待ちに待ったガラコンサートなのだ。

 楽しむことに徹したい。

 

 勢いのある音楽が流れ、二人の男女がポーズをとった。

 女性の方は、私にチケットを渡してくれた団員だ。


 『ドン・キホーテ』

 スペインを舞台とした、陽気でエネルギッシュなバレエだ。

 中でも、キトリとバジルのパ・ド・ドゥは華やかなテクニック満載で人気がある。

 町娘キトリは明るくチャーミングで、床屋のバジルは男性的な魅力にあふれている。

 楽しいダンスに、観客達は拍手喝采を送る。

 私もまた、目に焼き付けようと魅入られていた。

 ちらりと隣に視線を移すと、咲良もまた食い入るように舞台を凝視していた。

 私の存在など忘れているようだ。


 その後、杉田がアルブレヒトを演じるジゼルのパ・ド・ドゥ。

 思わず身を乗り出すも、思いとどまる。

 後席の観客に迷惑をかけるわけにはいかないのだ。


 次は、眠りの森の美女三幕より、青い鳥のパ・ド・ドゥ。 

 青い鳥となったシャルマン王子が、継母に塔に閉じ込められたフロリナ姫を助け出す物語。

 青い衣装に、女性は頭に羽根飾り、男性は腕にも羽根をつけ、まさに青い鳥。

 フロリナ姫の鳥の囀りに耳を傾けるポーズ、鳥が羽ばたくような男性舞踊手の跳躍が特徴だ。

 フロリナ姫は、私が初めて踊ったヴァリアシオンで、懐かしい気持ちになる。

 でも……やはり、プロの踊りは格別だ。

 うっとりと眺めるうちに、我を忘れてしまいそうだ。

 

 ガラコンサートは終了した。

 だが、プログラムの演目は全て演じられたのに、舞台挨拶はなく、照明は落とされたまま。

 公演終了のアナウンスも流れない。


「もう、終わりじゃないの? 客席がざわついてるけど……」


 僅かに身を乗り出し、咲良が一階席を覗き込む。


「……あ、……そう言えば……」


「何か知っているの? 沙羅?」


 サプライズがあると相山から聞いている。

 ガラコンは素晴らしい出来だったのに、これ以上何が起こるというのか。

 やがて、オーケストラが旋律を奏でる。


 ラ・バヤデール。


 第二幕、婚約式の音楽だ。

 ガムザッティのブライズメイドのアンサンブルが始まる。


(二幕を踊るなんて!)

 

 悲劇的な三幕が終了した後、時を遡り、最も華やかな二幕が演じられようとしている。

 私は期待に胸を弾ませるも、それは恐れにも近いものだった。

 娘達が退き、今日の主役に道を譲ると、婚約者にエスコートされたガムザッティが現れる。


 ガムザッティ。


 白地に金と黒の刺繍の縫い込んだクラッシックチュチュ。

 豪奢なティアラを戴き、悠然と前に進み出る。


 王の娘ガムザッティ。

 未来を約束された幸福な花嫁。


 私の目は舞台に釘付けだった。

 自分のダンサーとしての人生が大きく変わろうとしている。

 そんな予感さえした。

 そして、驚きのあまり息を飲む。


 現れたのは……。


 ――穂泉舞花だった――


 

  


 

 

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