第22話  茉莉花茶

 服の入った紙袋を車に残し、私と舞花はカフェに入った。

 舞花が茉莉花茶まりかちゃを注文する。


「茉莉花茶はね、美肌にもリラックスにも効果があるのよ……香りも良いし……うふふ、沙羅ちゃんには必要ないわね?」


 舞花こそこれ以上綺麗になってどうするのだろうかと思いながら、私も同じものを頼んだ。

 少し変わったところはあるが、舞花は憧れのプリマ。

 彼女と同席し、同じ茶を飲むなど夢のようだ。


 窓外を眺めれば、木々の芽吹きはなく、季節が冬であることを知らされる。

 さっきまで、春物を選んでいたことが、現実ではない気がしてきた。


「今日はありがとうございました……昨日、千秋楽でお疲れじゃありませんか?」


「……ふふっ……そうね……でも、沙羅ちゃんとお買い物出来て、疲れも吹き飛んじゃった! それにね……気持ちの切り替えって大切なの……明日からのレッスンに励めるようにね……沙羅ちゃんも楽しめた?」


 そう言われてみれば、自分も気持ちが軽くなった気がする。

 知らずに貯めたトレスが発散されたようだ。


「はい……おかげさまで……楽しかったです!」


「よかった!」


 舞花がにこりと笑う。

 大輪の薔薇のような艶やかな微笑み。

 

「沙羅ちゃん、すごく頑張ってるって聞いたの……もしかしたら疲れてるんじゃないかと思って……」


「え……?」


 聞いたって、誰にだろう。


「……うん……評判良いわよ? 沙羅ちゃんも咲良ちゃんも……優秀な生徒が来たって、みんな期待している……」


 ふ、ふみゅー!

 言い過ぎ。


「そんな……一昨日も注意されたばかりで……」


「そうよ……注意されたところを一生懸命直すって……で、その後進歩してる……みんなそう言っている……」


「進歩だなんて……」


 団員達の踊りを思えば、自分のそれなど、考えただけでも冷や汗が出る。


「……杉田君も沙羅ちゃんと組んだ後、凄く腕を上げた……沙羅ちゃんに触発されたのね……」


「……ま、まさか……あはは……」


 発表会の時、私は杉田に助けられはしたものの、彼の力になれたとは到底思えない。

 私は、先日の杉田と秋山のパ・ド・ドゥを思い起こす。

 あの時の彼のダンスは、私と踊った時とは雲泥の差だった。


「本当よ……彼はいいダンサーなのに、今一つ伸び悩んでいてね……それが払拭された感じ……成長したの……沙羅ちゃんのおかげ。もっと自分に自信を持って……」


 私が杉田の成長に役立てたなら嬉しいけど、信じがたい。

 茉莉花茶が運ばれてきた。

 「砂時計が落ちた時が飲み頃です」と、店員が立ち去っていった。

 ガラス製のティーポットの中、茶葉が躍る。


「……あ、の……穂泉さんのニキヤ……視聴覚室で拝見しました……すごく感動しました……」


「ありがとう……でも、沙羅ちゃんには少し大人のお話じゃない?」


「あ、……はい……男の人を取り合うとか……」


 ニキヤとガムザッティは互いに殺意を抱き、ガムザッティに至っては実行してしまうのだ。

 時代や国が違えば、考え方も変わるのかもしれないが、容易に受け入れられない話だ。

 咲良がソロルに反感を抱く気持ちは十分に理解できる。


「ふふっ……そうよね……あれは物語だから……現代の日本であんなことをしたら、重い罰が下される……いくら憎くても思いとどまるものよ……でもね、自分と置き換えて考える人はいるはず……人生が思い通りにならない人は少なくない……恋愛に限らずね? そして、夢や理想を意識の奥に隠して忘れたふりをする……」


 舞花の話は、相山のそれと通じるものがある。

 一幕と二幕は、日々生れる表面的な現実。三幕は自分さえ知らない心の奥底に潜む世界。

 三幕の影の王国は、ソロルが作り上げた幻想だが、誰の心にもあると、相山は言った。


「でもね……あれはフィクション……沙羅ちゃんが心配することは何もない……もし、そんなことになったら、私が……こうっ!……よっ……!」


 きゅっと、舞花が手で何かを絞める素振りをした。

 私を気遣ってくれるのは嬉しいが、可憐な笑顔が怖い。

 私がニキヤの立場に立たされないことが、誰かのためになりそうだ。


「ラ・バヤデールには四幕まであるバージョンもありますよね?」


「……そうね……ソロルとガムザッティの結婚式の最中、神の怒りで神殿が崩れて、全員が命を落とすの……」


 神の鉄槌。なんと恐ろしい結末。

 それにしても、その前に神様はなんとか出来なかったものか。

 そう思わずにはいられない。


「……四幕の見せ場は、ガムザッティのヴァリアシオン……彼女の苦悩が表現されるの……」


 ガムザッティも人間。しかも若い女性なのだから、人の命を奪っては心安らかではいられないだろう。

 私は来栖のガムザッティを思い出す。

 彼女が四幕のヴァリアシオンを踊ったらどれほど見事なものか。


「……どうだった? 夕舞の踊り……」


 舞花に質問されるも返答に躊躇われる。

 彼女達は共にプリマなのだ。

 咲良からは二人の確執を聞かされている。

 迂闊に褒めてよいものか。


「彼女はいいダンサーでしょ?……ね? 自分の個性を確立させたのよ?」


「……は、はい……」


 舞花が無邪気に、あっけらかんと来栖ライバルを褒め、私は拍子抜けしてしまった。


「身近にああいう人がいるとね……こちらのモチベも上がる……頑張ろうって思えるの……」


「……」


 舞花は来栖をライバルと認め、競い合うこと合うことを望んでいる。

 だが、来栖はどう考えているのか。

 舞花は、もっと大切な事があるというように、目の前の些末な事に目を向けない。人は彼女を“浮世離れしている”と言うだろう。

 一方、来栖の厳しい眼差しは、物事を正面から捉える生真面目な性格を表す。

 対照的な二人のプリマ。

 私は、敬愛する二人が自分の前を歩き、道を指し示すことを願う。

 これは私のエゴなのか。


「……沙羅ちゃん……砂が落ち切った……お茶を頂きましょう……」


 舞花がカップに茶を注ぐと、茉莉花ジャスミンの香りがふわりと漂った。










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