第20話  プリマの甘やかし1

 合同レッスンの後、群舞の練習時間にソリストが入れ替わりで参加したが、舞花が加わることはなかった。

 だが、団員達がそれを懸念する様子は見られなかった。

 舞花ならば無事に乗り切れるという、彼等の信頼があってのことだろう。

 私はといえば、レッスンに励む日々が続いた。

 他のダンサーと動きを合せられるようになったものの、しばしば注意を受け、自分のいたらなさを自覚させられるばかりだった。


 でも……。


 楽しい!


 問題を指摘され、改善する。

 繰り返すほどに、実力が磨かれていくのがわかった。

 その度に、踊りに愛着が湧き、もっと上達したいと思う。

 プロのダンサーとの練習は刺激に満ち、私の心をより上へと駆り立てた。

 咲良と距離が出来てしまったことは残念だが、今は公演に集中したい。

 こんな風に割り切れることが、自分でも意外だった。

 それほど私はレッスンに専念していたのだ。

 毎日が充実していて、いくら踊っても疲れることはない。


 ……そのつもりだった。


 金曜日の夜、私は帰宅すると、服を着たままベッドでうたた寝をしてしまった。

 気が付けば朝で、カーテン越しの日差しで目が覚めた。

 翌日が休みということで気が緩んだのかもしれない。

 それにしても、食事も入浴もせず、寝込んでしまったのは初めてだった。

 自分でも気づかないうちに疲れがたまっていたようだ。

 シャワーを浴び、遅い朝食をとりながら、週末は休息に充てようと心に決めた時だった。


 ―― チリリン


 スマホが鳴った。

 番号に覚えがない。

 無視しようと思いながらも、何かが心に引っかかる。


「……もしもし……」


 恐る恐る電話に出た。


「おはよう! 沙羅ちゃん!」


「……おっ、おはようございます!」


 反射的に、背筋を伸ばし正座する。

 電話の主は穂泉舞花だった。

 なぜこの番号を知っているのだろう。

 それに、どうしたというのか。

 彼女はまだ公演中のはずだ。


「今いいかしら?」


「は、はい!」


「私ね、今夜が千秋楽なの……でね……明日、一緒にお出かけしない?」


「お出かけですか?」


 そうか。舞花の舞台は今日までだったのか。

 だが、来週の土曜日は、楡咲バレエ団の公演があるのだ。

 明日は貴重な休日ではないのだろうか。


「そうよ、あのね、結翔に合格祝い送りたくて……選ぶのを手伝って欲しいの……」


「……合格祝い?」


 “合格”とは、大学受験の結果の事だろうが、まだ試験は終わっていない。

 いくらなんでも気が早すぎる。


「……というのは口実……沙羅ちゃんとお買い物がしたいの……一緒に春物を見ない? 沙羅ちゃんもレッスン大変でしょ? でも、そんなときほど息抜きって必要なの……頑張るためにもね?」


 週末は休息に充てるつもりだったが、舞花の誘いは魅力的だった。

 彼女は私の憧れのプリマで、しかも共演するのだ。

 会えば何か得られるかもしれない。

 ……だが、合格祝いというのは流石に妙だ。

 困惑するも、“前祝い”ということで、自身に折り合いをつけた。


「……私でよろしければ……ご一緒させてください!」


「じゃあ、明日……迎えに行くから……」


 迎えだなんてとんでもないと、遠慮をするも、舞花は聞く耳を持たなかった。

 翌朝、私はいつもより少しだけお洒落をして舞花を待った。

 彼女は運転手付きの車で現れた。


「お誘いありがとうございます……」


 頭を深く下げて礼をする。


「こちらこそ、突然誘ってしまって……今日は楽しみましょう! さあ、乗って……」


 車に乗り込みながら、舞花が普段どんな生活をしているのだろうかと考える。

 結翔と親戚なのだから、それなりの家柄のはずだ。

 私は、元旦に結翔と初日の出を見に行ったことを思い出す。

 あの時、結翔は江ノ島に行くと駄々をこね、私を困らせた。

 ハラハラしたものの、子供のように喜ぶ彼を見て、よい息抜きになったのだろうと思ったのだった。

 だが、今思えば、それは違っていたのかもしれない。

 結翔は受験の結果をさほど気にしていなかったのではないか。

 彼は母親から受けた英才教育のせいで、高い学力を身に着けていた。

 そのための自信だったのかもしれない。

 いや、それすらも違う気がする。

 結翔にとって、受験は些末なことで、もっと遠くを見ている。

 まるで、合格よりも大切なものがあるかのように。

 結翔は自分には理解できない部分が多すぎる。


 舞花も……。

 血が繋がっているせいか、結翔と舞花は似ていると思う。

 容姿ではなく、……その……持つ雰囲気が。

 目の前の事に一喜一憂することなどないように見える。

 だから、公演の合間に気軽に私を誘うのだ。

 この数週間、レッスンに夢中になっていた自分には信じられない存在だ。


「……ふふっ……番号は紬ちゃんに教えてもらったの……あの子は私の味方……紬ちゃんに沙羅ちゃん……可愛いお知り合いが二人も出来て嬉しい! 今度は三人でお出かけしましょうね? 番号を教えてくれたことで、紬ちゃんを怒らないでくれる?」


「もちろんです!」

 

 結翔が懸念するのは、突飛な行動で彼女が私を振り回すことだろう。

 だが、初めて会った日から私は舞花が好きだった。

 初対面の印象というのは当たるものだ。 

 これが人徳というものか。


「結翔のお祝いは、鞄にしようかしら? 学校へ持っていく……」


「……あ、いいと思います……きっと喜びます!」


「その後、沙羅ちゃんのお洋服をゆっくり探しましょう……それから、お茶もしましょうね……それにしても、普通の女の子なら、スイーツバイキングに行けるけど、私達はそうはいかない……公演も控えているし……」


 車は街路樹の美しい通り出ると、ある鞄店に止まった。

 品揃えは大小様々で、旅行鞄から手提げ、ショルダーバッグ、腰に携帯するポーチもあった。

 

「今って、何が流行ってるの?」


「あの……リュックサックじゃないでしょうか……収納が充実しているものがいいと思います……あと、タブレットが入れられれば便利かも……」


「ありがとう! じゃあ、一緒に探してね!」


「はい!」


 私と舞花はリュックサック売り場へ行くと、一つ一つ丹念に見て回った。

 店員はその度に、ファスナーを開け、内部も見せてくれた。

 やがて、ナイロン製の黒いリュックに目が留まる。


「ぜひ、背負ってください……重さや背負い心地も大切ですから……」


「じゃあ、沙羅ちゃん、ちょっと試してみて……」


「わかりました!」


 私はリュクを肩に掛け、舞花の前に立つ。


「……どう?」


「……あ、はい、軽くて……肩や背中にあたる感触もいいです……」


 このリュックはモノがよさそうだ。

 結翔もきっと気に入るに違いない。

 だが、彼女は納得がいかないようで、リュックを背負った私を真剣な目で見つめている。


「うーん? ちょっと横向いてみて……」


 私は舞花に言わるままに、横に方向を変える。


「どうですか?」


「そうねぇ……後ろ姿も見てみたい……」


「……はい……」


 言われるままに、舞花に背を向ける私。


「……あの……どうでしょう?」


 少し念が入り過ぎている気もするが、結翔の為に慎重に吟味しているのだろう。


「そうねぇ……もう一回りしてみて……」


「……わかりました……」


 私はくるりと一回りすると、再び舞花の正面に向かい立つ。


「……あ、あの……?」


「ちょと、その場で跳ねてみて……」


「……えっ……と?……こうですか?」


 やや不審に思いながらも、言われるままにぴょんと一飛び。

 上着に触れたナイロンの生地が、カサリと音を立てた。


「うふふ……沙羅ちゃん……かわいい!」


 舞花がくすくすと笑う。


 ふみゅー!


 何をさせられていたのかと、頬が熱くなる。


「ほ、穂泉さん!?」


 声がやや大きくなる私。


「ふふっ、ごめんなさい……でも、品物が良く見られた。サイズはユニセックスだから、沙羅ちゃんには少し大きいけれど、結翔には丁度よいわね? ありがとう……」


 「これをお願いします」と、舞花は店員にリュックを渡した。


 舞花に振り回されながらも、買い物は無事に終了した。


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