第19話  合同レッスン

 本番まで残すところ後二週間という土曜日。

 舞花以外のソリスト、ガラコンサートの出演者がレッスンに合流した。


 合同レッスンは、出演者達の練習の成果を確かめ合う日でもある。

 団員同志、仲間のダンスを楽しみながらも、ぴりりとした緊張感が漂う。


「やあ、沙羅ちゃん!」


 杉田も現れ、先に愛菜に声をかけてから、私のもとへとやって来た。

 愛菜はちらりと私を見たが、振舞いには余裕が見られ、杉田が上手く説得したのがわかる。


「……この前は、愛菜が迷惑かけたそうだね……ごめん……」


 彼はわざわざ謝りに来たのだ。


「……いいえ……そんな……」

 

 愛菜には振り回されっ放しだった。

 しかも、彼女の不用意な発言で、咲良との関係が気まずくなってしまった。

 トラブルメーカーとは、愛菜のような人間を指すのだろう。

 だが、彼に罪はなく、しかも謝罪をしているのだから、ここは杉田に免じて水に流すべきだろう。


 影の精霊のヴァリアシオンが始まる。

 このヴァリアシオンは第一から第三まであるが、どれも精霊らしく幻想的な振り付けだ。

 舞台では、群舞コールドと呼応して踊るのだが、今日はそれぞれ分かれてレッスンをする。

 今移動すると、練習に障りが出る為、私達は並んだまま見学をすることにした。

 私と杉田は小声で会話をする。


「……あの……穂泉さんは?」


「んー、他の舞台があってね……リハーサルで初顔合わせだ……」


 他のバレエ団に客演中だと聞くが、ほとんどぶっつけ本番ではないか。

 僅かに不安になる私。


「大丈夫だって! 穂泉さんならばっちりだよ……」


「そうですよね!?」


「しー! 沙羅ちゃん、声が大きい……」


「ご、ごめんなさい……」

 

 つい興奮してしまった。


「楽しみです……私、穂積さんをライブで見るの初めてです……」


 しかも観客としてではなく、同じ舞台で踊るのだ。

 緊張はするけれど、共演できるのが嬉しい。


「ガラコン楽しみにしてます!」


 バレエコンサートのチケットは即日完売だったが、自分は四枚手に入れることが出来た。

 これはまさに奇跡と言える。両親と祖父母に渡すつもりだ。

 私に用意された席は、ガラコンに出演する団員と交代で利用するものだ。

 自分の出番は一部のみだから、二部は観客として堪能できる。

 出演しながらなので、二倍得した気分だ。


「沙羅ちゃんのために踊るからね!」


「……杉田さんたら……あはは……」


 私の笑顔はひきつっていたに違いない。

 彼に悪気はないのだが、こういう言動が誤解を生むのだろう。

 愛菜は苦手だが、ほんの少し同情したくなる。


「……でね……サプライズがあるらしい……」


「サプライズ?」


「そっ! サプライズ!……それにね……見られるかもしれないよ……今回……」


「えっ! 何がですか!?」


「しーっ! 声……大きい……」


 意味ありげな杉田の態度に、興味がそそられるも、再びソリスト達に目を移す。

 愛菜を含め、群舞の団員達は素晴らしかったが、ソリストのそれはまた格別だ。

 舞花のものとなれば、どれほどのものか。


「……私も早くプロのダンサーになりたいです……」


「うん、頑張るんだよ……」


 杉田王子は私を励ました後、ジゼルのパ・ド・ドゥを踊るために、中央へと歩み出た。


 私は杉田と発表会で共演している。

 彼は、自身が素晴らしいダンサーであるだけではなく、未熟な私を十分すぎるほどにサポートしてくれた。


 今回、杉田はベテランのソリスト秋山と踊る。

 秋山の踊りは、しっとりと情緒的で、ウィリの儚さをよく表現していた。

 彼女は、私のような危うさがないから、杉田も自分のダンスに専念できることだろう。

 杉田が秋山を高くリフトすると、練習用のチュチュがふわりとたなびいた。

 ……ほっと……と、零れる感嘆の吐息。

 秋山と組むことにより、彼の実力が存分に発揮されている。

 アルブレヒトの貴族的な品格が、愁いが一層露わになるようだ。

 私はサポートを受けていながら、彼の実力を出し切れていなかったのだ。

 自分もパートナーに望まれる踊り手になりたいと切に願う。


 杉田が踊り終わると、団員達から拍手と激励の言葉が飛び交った。

 出番が終わると、杉田は愛菜の元へと戻って行った。

 並ぶ二人を見ると、理由の分からないもやもやが心を覆った。


 「沙羅ちゃんもたまには我儘を言ってもいいんだよ」


 相山の言葉を思い出す。


(いけない……集中しないと……)


 見ることも立派なレッスンなのだ。


 次はドン・キホーテのパ・ド・ドゥ。

 三幕の結婚式の場面に踊られるもので、華やかなテクニックがふんだんに盛り込まれたダンスだ。


 私は雑念を振り払い、目の前のダンスに集中した。

 踊り終わると、再び拍手が沸き起こる。


「次は影の精霊の群舞」


 教師の呼びかけに私は腰をあげる。

 団員達の視線を浴びながら位置につくと、ピースサインをした杉田が視界に入った。

 気持ちを静め、意識を集中させ準備のポーズプレパラシオンで音楽を待つ。

 甘美な旋律に合せ、アラベスクで進み出る。


 私は精霊。

 影の国へとソロルを招き入れる。

 優しくたおやかに、傷ついた戦士を誘う。 


 一説によると、精霊達は全てニキヤの分身だとも言われている。

 ソロルは綾なすように重なるニキヤの幻影を見るのだ。

 彼が初めて見る幻。

 ソロルの心に住む恋人。

 先頭の精霊には、特別な役割があるのかもしれない。


 私は踊った。

 団員達に合せ、音に合せ、役の心を忘れないように。

 三十二回のアラベスクの後、八人が横に並び、四つの列を作る。

 整然とした秩序の中、粛々とポーズが繰り返される。

 私は体力の限界だった。

 だが、踊る仲間に励まされ、体の底から不思議な力が沸き起こるのを感じる。

 彼女達が私を踊らせるのだ。


 音楽が止み、踊りが終わった時だった。


 ぱちぱちと拍手が起こり、それは次第に大きくなっていった。

 ピーと口笛を鳴らす者、ヴラヴォーと声を上げる者。

 私はしばらくの間、何が起こっているのかが分らずにいた。


「よかったよ、影の精霊!」


「ラ・バヤデール一番の見どころだからね! 公演が楽しみだ!」


 皆が口々に賛辞の言葉を投げかける。

 私達の踊りは共演者に認められたのだ。

 まだ、本番でもリハーサルでもない、レッスン中だというのに。

 

 外気は冷たいものの、陽ざしは明るさを増し、春の訪れを待つばかり。

 合同レッスンは、温かな空気の中で終了したのだった。

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