第18話  影の精霊

 日曜日が終わり、月曜日になった。

 放課後には団員と共に群舞のレッスンに励む。


 アラベスク。

 爪先と膝を伸ばして。

 パンシェ。

 ゆっくりと正確に。ポジションを外さないように。

 音楽を聞いて、旋律をなぞるように。

 ソロルの内面を顕すかのような、優しく甘い旋律。


 ソロルは戦士。生まれは貴族。

 戦場では勇猛果敢、恐れを知らず。

 王の信任厚く、民からは慕われる。

 だが、彼は乞うている。

 愛する女性ひとの許しを。


 第三幕、影の王国はソロルの心象風景だ。

 彼が自分でも知らずに求めた世界。

 私達コールドは、それを表現しなくではならない。


 レッスンでは本番とは違い、傾斜の無い平坦な床を進むのだが、三十二人の精霊達が重なり合う様は壮観だ。

 一人一人が力を合わせ、群舞を完成させなくてはならない。

 

 そして、私はその先頭に立つ。

 列の前のダンサー程、アラベスクの回数は増え、先頭ともなると三十二回も繰り返される。

 

「有宮さん、赤城さん……よくなった……有宮さんは周りと合うようになったし、赤城さんは柔らかくなった……」


 ようやく教師のお許しが出たものの、これからが本当の練習なのだ。


「じゃあ、今度は通してみましょう!」


 指導を挟みながらしていた三十二回のアラベスクを、これからは最後まで中断することなく続けなくてはならない。


 私は呼吸を整えると、舞台上座に見立てた位置で、準備のポーズプレパラシオン


 音楽が流れる。

 今年に入り、私はこの曲を何度耳にしたことだろう。

 音楽は体に身につき、自分の一部となってしまった。


 影の精霊の登場。

 下座へ向かって白い行進が始まる。


 一回……


 私は進み出てアラベスクをする。


 二回……。


 二人目のダンサーが私の後に続く。


 三回……


 アラベスクをしながら、次々と登場する精霊達。


「……そう……優雅に、女性らしく……上体を反す時はしなやかに……」


 教師の指示に従い、団員達は列をなしてポーズを繰り返す。


 ……五回、六回……八回……。


「目線は遠くを見るように……優しく……」


 九回、十回……


 十一人目の登場と同時に、私は上座へと方向を変え進み、二人目がそれに続く。

 十二人目のダンサーは下座へ向かって、新たな列を作る。

 列は重なりながら、徐々に増えていく。


 ……十二、十三、十四……。


 重なり合う白い幻覚まぼろし


 片側の足だけを軸足にして、同じポーズを繰り返すのだ。

 立つ足が痺れ、つりそうだし、背中も痛い。


 ……二十二、二十三……二十八……。


「みんな頑張って! 有宮さん、赤城さんも!」


 教師の檄が飛ぶ。

 先頭の私は、列の中で一番多くアラベスクをするために、体に負担がかかる。

 体力も気力も搾り取られるようだ。

 だが、それを踊りに出してはならない。

 私はソロルの見る幻。優しく彼のもとへと向かう。


 ……三十……三十一……三十二……。


 三十二回のアラベスクが終えた団員に、次の試練が待ち受ける。


「フォーメーションを変えて! 素早く!」


 ダンサー達は横八人に並び、四列のフォーメンションを作り、順々に爪先立ちで歩き始める。

 風に吹かれて飛び立つように。

 フォーメーションは次々に変化し、私は追いかけるように、団員たちに合せ続ける。

 ワルツのリズムに合せて踊る精霊達。


「音楽をよく聞いて! ルティレの膝は高く! 動きが細かいけど慌てない!……おっとりと……」


 ステップは小刻みで素早いが、観客にそれを感じさせてはならない。

 優しくエレガントに見せるのだ。

 私は教師の指導を耳に、ステップに集中する。

 やがて、音楽が止まり、群舞を踊り終えた時だった。


「休憩にしましょう……」


 精霊達が束の間の休息についた時、教師は私に言った。


「有宮さん、最後が辛いのは分かる……貴女は三十二回もアラベスクを繰り返すのだから……でもね、それを見せちゃダメ……」


「は、……はい……」


「頑張って! 貴女ならきっと出来る……大分よくなりました、……もう少しよ!」


「はい!」


 私は安堵と喜びに包まれる。一歩前進したのだ。

 相山が鑑賞会をセッティングしてくれたおかげだ。

 咲良と目が合うと、彼女はぷいと顔を背けた。 

 あの日以来、咲良は私によそよそしい態度をとるようになった。

 私自身、來未と比べられ悩んだことがあり、バレエを辞めようとさえした経験がある。

 

 人は比べたがるものなのだろうか。

 意識的に、あるいは無意識に。

 他人を、時には自分自身を。

 たった一言、ちょっとした言い回し。

 そんなものに振り回されてしまうなんて。


 それぞれが力を尽くし、個性を発揮すればいいのではないか。

 私も咲良も成果を上げつつあるのに、気まずくやりきれない。

 共に努力を重ねたのに、喜びを分かち合うとができないなんて。

 一抹の寂しさを胸に、私は稽古場を後にするのだった。





 

 


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