第16話  プリマ二人1

「……え、っと……」


 愛菜の権幕にたじろぐ私。


「なに言ってんだ? そっか、そういうことか……ごめん、沙羅ちゃん、……愛菜の八つ当たりだ……」


「……え?……と?」


 だから何故? 何が起こっているのか。

 相山は何に納得しているのか。

 私と何のかかわりがあるのか。


「実はね……沙羅ちゃんと晴哉が踊ったジゼルが好評で、第二部のガラコンサートで、晴哉はベテランのソリストとジゼルのパ・ド・ドゥを踊るんだ……」


 そんな!

 全然理屈が合わない。

 我儘なんて言葉を通り越して、既に支離滅裂ではないか。


「……ちょっと待って……晴哉も終わる頃だな?」


 相山はスマホを取り出し、電話をかけると、すぐさま杉田が現れた。

 ちょうど打ち合わせが終わったと彼は言った。

 それにしても、なんというタイミングの良さだろう。

 突然の呼び出しにもかかわらず、余裕の王子スマイル。

 一点の曇りもない爽やかさ。

 こういうところが、愛菜をやきもきさせるのかもしれない。


「どうしたんだい愛菜?」


 杉田があやすように肩を抱くと、愛菜は子猫のように大人しくなってしまった。

 我儘が通って、ひどく満悦の様子。

 心にもやもやが残るものの、私は安堵する。愛菜の思い込みで、鑑賞会が台無しにされるところだったのだ。相山の厚意を無駄には出来ない。

 それなのに、私自身は何も掴めず、それが心残りだった。

 

 ――が


 心によぎる記憶を呼び戻す。

 何かが目覚め、頭をもたげようとしていた。

 彼方からの囁きが私を駆り立てる。


「相山さん! 三幕をもう一度! もう一度見せてください!」


「オーケー! 沙羅ちゃん! 何かヒントが見つけられたみたいだね?」


 確信はないが、見つかるかもしれない。

 一縷の望みにかけ、私は座席で待機する。


 いつの間にか、杉田と愛菜は隣り合って座っていた。

 愛菜が満足げな笑みを浮かべているが、私は苛立ちを呑み込み、見ないふりをする。

 今はそれどころではないのだから。

 

「じゃあ、三幕もう一度……」

 

 相山が再び機材をセットした。


 後悔に苛まれるソロルの踊りの後、精霊達が山を下りてくる。

 

 アラベスク。

 プリエをしながらパンシェ。


 プリエは膝を曲げる動きで、体重を軸足にかける。

 そのタイミングに意識を集中する。


 ダンサー達の動きに一つのブレもない。

 どうして、ここまで揃えることが出来るのか。

 一度目の視聴の記憶を手繰り寄せる。

 心の奥底で、微かな明かりが何かを照らす。

 光は徐々に光度を増し、対象を鮮明に浮き上がらせた。

 それは……。


 ――音楽!


 彼女たちは音に添うように踊っているのだ。

 ダンサーは三十二人。

 だが、音楽は一つなのだ。

 音に合わせて移動すれば、ずれはなくなるということか。

 ステップは音楽そのもので、目を凝らせば、旋律が見えるようだった。


 二度目の視聴も瞬く間に終わった。

 自分の欠点も理解した。

 音に合わせられずにいたのだ。

 でも……。

 私はジゼルで、音楽と振り付けから、役の心をくみ取ることを学んはずだ。

 

 ――足りなかったの?

 

 自分は努力して上達したつもりだった。

 だが、こうしてプロのダンサー達の前では実力が不足していたのだ。


「……ありがとうございました……私、もっと音をよく聞いて、合わせるようにします……」


 ……でも、私だけ。咲良は音に合わせることが出来ていた。

 自分はバレエ学校のレベルにさえ達していないということなのか。


「……あのさ……沙羅ちゃん? バレエ学校では音のとらえ方に厳しくてね……で……バヤデール三幕は発表会の演目レパートリーでもあるんだ……だから、咲良ちゃんも踊っている……愛菜も……」


 咲良が頷くと、


「そうよ。もっと音を丁寧に扱えって、先生にさんざん注意された……」


 ややうんざりしたように愛菜が呟いた。


「そうなんですか?」

 

 揃えて首を縦に振る咲良と愛菜。

 咲良も愛菜もバヤデールを踊り苦労した経験があったのだ。


「……悩んじゃったね? もっと早くに知っていれば……団の先生は、沙羅ちゃんが入学して間がないことが、頭から抜けちゃったんだな……それで、咲良ちゃんと同条件で接してしまったのかもしれない……」


 相山の推測は信用してよさそうだ。

 そういうことならと、ほんの少し肩の荷が降りるようだ。


「よかった……二人とも問題点が見つかったみたいだ……これからは、それを直すように頑張ればいい……」


「はい!」


 声を揃える私と咲良。

 相山のおかげで、改善点が見つけられたのだ。

 欠点を自覚できれば、解決は間近だろう。


「今日はありがとうございました……勉強になりました……明日から頑張ります……」


 ニキヤとガムザッティの対立を描いた二幕は、二人のプリマが競い合う素晴らしいものだった。

 来栖のガムザッティは、心刺す鋭いナイフのようだった。

 徹底した役作りが彼女の持ち味だろう。

 一方、舞花演じるニキヤは、激しい慟哭を表現しながらも、薄布に包まれたような柔らかさがあった。

 おっとりとした上品さ。

 感情を露わに表現せずとも、心に沁み込む不思議な魅力。

 私は、対照的な個性を目の当たりにした。

 二人は共に楡咲で学んできたというのに、不思議だと思う。


「……あのさ……」


 不意に愛菜が口を開き、私は不吉な予感に襲われる。

 彼女はいわばトラブルメーカーで、何を言っても、何をしても不穏な空気を漂わす。

 だが、彼女は頓着することなく話を続けた。


「あのさ、有宮さんの踊りって、穂泉さんに似てない? おっとりと優しい感じ……有宮さんの先生って、楡咲のソリストだった人でしょ? 楡咲の伝統ってやつ?」


 私と舞花の踊りが似ているなんて、彼女に失礼ではないか。

 人が聞いたらなんと思うだろうかと、不用意な言動に私は憮然とする。


 その時だ。はっと息を飲む音に、私は隣席の咲良を見た。

 険しい眼差しで咲良がこちらを凝視している。

 「どうかした?」と聞こうにも、咲良はピリピリとした空気を放出していて、話しかけられる雰囲気ではない。 

 私は落ち着かない気持ちのまま、彼女を見守るしかなかった。


「……さあ、今日はこれでお開きにしよう……」


 視聴覚室の椅子と機材を片付けながら、私はニキヤとガムザッティの諍いの場面を思い出していた。

 激しすぎる心情は私にとって理解不能。


 「大人の恋愛だからね」


 相山の言葉を思い出す。

 

 ――大人になれば? 


 何が分かるというのか。

 男の人を取り合い、争うことが大人の恋愛なのか。

 ニキヤとガムザッティは掴み合いの争いをしていた。

 王女と舞姫。嫉妬に駆られた女達は、身分を忘れ、自分さえも見失ってしまったのだ。

 

 愛菜を見る。

 嫉妬を隠さず、見当違いの八つ当たりをする。

 あれが大人の態度と言えるのか。

 だが、迷惑この上ない愛菜も、流石に恋敵ライバルを謀殺しようなどとは考えないだろう。

 ガムザッティの行為は、ソロルに立ち直れないほどの打撃を与えた。

 愛する人を見殺しにした彼が、薬にのめり込んでしまったのも仕方がなかったのかもしれない。


 思索に耽る私に相山が語りかける。


「沙羅ちゃん? 愛菜が迷惑かけちゃったね……晴哉によく言っておくから……」


「そっ、そんな! 相山さんが責任を感じる必要なんてありません! 杉田さんに話す必要も……鑑賞会まで開いてくださったのですから……これ以上のご迷惑は……それに私、気にしてません!」


「流石! 沙羅ちゃんは大人だなあ!」


 感心したように言った後、相山が小さく笑った。


「沙羅ちゃん?」


「何でしょう?」


 私を見つめる彼の目は、温かく穏やかだった。


「……沙羅ちゃんは聞き分けがいい分、いろいろ抑えちゃうかもしれないけど、たまには我儘を言ってもいいんだよ? ……ま、あれは迷惑だけどね……」


 相山は愛菜をチラ見し、苦笑いをする。


「相山さんたら……あはは……」


「だな! 沙羅ちゃんと愛菜じゃ大違いだもんな!」


 相山が声を立てて笑うと、私もつられてしまった。

 

 一瞬、閉ざされた心の蓋が開き、公園での光景が思い出される。

 結翔は電話越しに、私のわだかまりを察知した。


 「なにかあった?」


 彼の問いかけに、私は正直に答えることができなかった。

 聞いてはいけないような気がして。

 聞くことが怖くて。


 愛菜の乱入と呆れた我儘。

 突如、硬化した咲良の態度。


 こうして、気がかりを残しつつ、鑑賞会は無事に終了したのだった。



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