第13話  ラ・バヤデール1

 期待に胸を高鳴らせ、咲良と並んで相山の後に続く。

 楡咲バレエ団は、一階のロビーに受付、理事を始めとする職員たちの部屋があり、二階に更衣室、稽古場がある。

 私も咲良も、これから行く視聴覚室のある三階に足を踏み入れるのは初めてだった。

 三階には、視聴覚室の他に資料室、ミーティングルームがあるが、普段は利用する者はいない。

 人気の無い廊下を歩くと“視聴覚室”とプレートの下げられた部屋に辿り着いた。

 いよいよ貴重な映像が見られるという時だった。


「ちょっと! 相山さん、女子高生相手に何してるの!」


 背後から刺すような甲高い声。


「愛菜! なんで君がそこにいる?」


 振り返ると、杉田の恋人愛菜が立っていた。

 彼女は、発表会でジゼルを上演した時、私とアルブレヒト役の杉田の関係を疑い、バレエ学校に乗り込んできた経緯がある。


「なんか怪しい……」


 相山を怪訝な目で睨みつけながら愛菜。

 いったい何が怪しいというのか。意味が分からない。

 彼女の目にかかってしまえば、すべてが疑惑の対象になるのだろうか。

 私はレッスンを開始してからの、愛菜の自分達への当たりの強さを思い出す。

 彼女の態度は、少し前の相山の話とは相いれないものだった。


「……ったく……何言ってんだ? これから二人に、去年上演されたラ・バヤデールの映像を見せるんだ……」


「バヤデール!」


 突如、愛菜が羨望の眼差しで私達を見た。


「……私も! ……私も見たい!」


 熱に浮かされたように、愛菜は同じ言葉を繰り返す。


「……オーケー、オーケー……落ち着いて、愛菜……いいかい? 二人と揉め事を起こさないこと……了解?」


「わかった……」


 態度を一変させ、急にしおらしくなった愛菜。

 横に目をやると、咲良が呆然とその有様を見ていた。

 私は以前、同じような光景を目撃しているので少しは免疫がある。

 それでも、咲良の気持ちは痛いほど理解出来た。


 ドアを開け、私達は視聴覚室へ入った。

 それは、広めのホームシアターという感じだった。

 前面に液晶画面があり、壁沿いに置かれた棚には、びっしりとDVDが並べられていた。

 楡咲バレエ団の公演、バレエ団の練習風景を記録したもの、他のバレエ団の舞台の映像もあった。

 資料室には、世界で活躍するダンサー達の貴重な映像もあると、相山が言った。

 相山がDVDをセットし、私は息を殺し、画面を見つめた。


 前奏曲が私達の期待を煽る中、幕が上がる。


 一幕 密林の神殿。


 ラジャの統治する古代インド。

 緑深き森の奥。

 照りつける日差しも止み、宵闇が訪れるころ、神を祭る“聖なる火”が焚かれる。


 聖なる火に祈りを捧げる大僧正と、彼を囲む神殿舞姫バヤデール

 その姿は夜に咲く月見草のよう。

 彼女達は色鮮やかな衣装を纏っている。

 薄布を重ねた衣はエキゾチックな魅力を感じさせるものだ。

 やがて、ヴェールで顔を隠した舞姫が現れ、大僧正が恭しく覆いを取り払う。


 ――ニキヤの登場。


 淑やかで、それでいて意思の強さを示す目の輝き。

 女神の化身さながらの神々しさ。


 ニキヤを演じるは穂泉舞花。

 私はクリスマスの夜の舞花を思い起こす。

 白い紗の生地に描かれた大輪の薔薇。

 あれは彼女そのままだったと。


 大僧正はニキヤに思いを寄せていた。

 恋焦がれ、胸の内を明かすも、「私は卑しい踊り子です」と退かれる。

 自らをわきまえ、大僧正を敬いながらも、ニキヤの態度が揺らぐことはない。

 思い余った大僧正は、頭上戴く宝冠をかなぐり捨てて迫るが、彼女はそれを毅然と拒絶するのだった。

 激しく愛を拒まれ、後ずさりする大僧正。 

 ニキヤの意思の強さを表現する場面だ。

 彼女の芯の強さが、このドラマの鍵となることを私は知っている。

 権力に屈しない気性が悲劇を生み、私が踊る影の王国へと繋がっていくのだ。

 私は相山の厚意に感謝する。

 この映像を見ることは、貴重な経験になる。

 一幕を理解することで、初めて影の精霊を踊ることが出来るのだ。


 ニキヤは苦行僧達に水を与えると、その中の一人がそっと耳打ちをする。

 彼女の恋人、ソロルが今夜会いに来ると。


 祈りが終わった後、ニキヤは聖なる火の前でソロルを待つ。

 

 ――ソロルの登場。


 ソロルは勇敢な戦士。生まれは貴族。

 戦場では恐れを知らず、王の信頼厚く、家臣には慕われる。 


 身分違いの二人は、人目を忍び逢瀬を重ねていた。

 喜びを全身で表しながら、ソロルの胸に飛び込むニキヤ。

 

 大僧正の前で踊る彼女とはまるで別人だった。

 神に仕える神殿舞姫バヤデールはそこにはいない。

 ただ一人の女性、ニキヤがいるだけ。


 このアダージョでは、ニキヤの女性的な美しさを表現しなくてはならない。

 舞花の踊りは、それを十分に満たしていた。

 一つ一つのポーズはもちろんのこと、何より彼女の作り出す体のラインが見事だ。

 まるで名工の手による彫像のよう。

 体中の筋肉全てが生命いのちを持ち、呼吸をするかのような動きは、しなやかで強靭な肉体が生み出すものだ。

 舞花は、生まれながらに優れた素養を持つダンサーだ。

 だが、その美しさは、日々積まれた鍛錬によるもの。

 どれほどレッスンに心砕けば、このダンスが踊れるのか。


 二人は聖なる火の前で愛を誓うが、それを大僧正に見られてしまう。

 何も知らない二人の陰で、大僧正は復讐を誓うのだった。


 一幕 二場 ラジャの宮殿


 王はソロルに、娘ガムザッティとの結婚話を持ちかけ、半ば強引に会わせる。


 ――ガムザッティの登場。


 金糸をふんだんに編み込んだドレスを纏ったガムザッティ。

 腰までかかるヴェールで顔を覆い、ソロルに向かって歩み寄る。

 

 歩くだけで、ガムザッティの美しさ、気高さが伝わってくる。

 ヴェールに隠された横顔、体のライン

 その姿に私は見覚えがあった。


 ソロルの正面に立ち、王女はヴェールをはずす。


 ガムザッティ演じるは……。


 来栖夕舞!


 なんという豪華なキャスティング!

 夢のような顔合わせに、鼓動が高まっていく。


 ガムザッティの美しさに魅入られるソロル。


 ガムザッティは王の娘。

 美しく、気高く、機知に富み賢い。

 白い孔雀も恥じらうその麗しさ。

 金の糸、銀の糸が綾なす絹の衣。胸元を飾るは、エメラルドにルビーにダイヤモンド。どれもが父王の鉱山から運ばれた品ばかり。

 全てを手にし、求めれば更に与えられる。

 だが、王女は生れて初めて手に入れられないものを知る。


 ―― ソロルの心。


 彼女は大僧正が父王に、“彼には恋人がいる”、と告発する姿を目撃してしまった。

 大僧正はソロルを罰するようにと進言するも、王はニキヤを亡き者にすると言い放った。

 不安にかられたガムザッティは、密かにニキヤを呼び出す。

 現れたのは、質素な身なりの舞姫だった。恭しく跪くニキヤの顔を、そっと覗き込み、その美貌に息を飲む。

 何も知らないニキヤに、ガムザッティは腕輪を与えようとするが、ニキヤは慎ましやかに退くだけ。

 やがてガムザッティは、ソロルが自分の夫となることをニキヤに伝える。


 ガムザッティは贅を尽くした宮殿、飾られた宝物を指し示す。

 「これはすべて私の物、そして夫となる人に与えられる。卑しい踊り子の貴女に何ができるのか。ソロルに何を与えられるのか」

 突然のことにニキヤは動揺するも引かず、自分達は聖なる火の前で愛を誓ったと告げる。

 衝撃を受けるガムザッティ。

 宝石をちりばめたネックレスを、もぎ取るように首からはずし、ニキヤに押し付ける。

 「これで諦めなさい!」

 ガムザッティの暴挙にニキヤは激怒し、二人は掴み合いの争いを始める。

 思い余ったニキヤは、手元にあったナイフでガムザッティを傷つけようとするも思いとどまり、その場を逃げるように立ち去っていった。


 残されたガムザッティは、ニキヤの命を奪うと心に誓うのだった。



 

 

 

 


 

 



 



 




 



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