第12話  視聴覚室へ

 公園で結翔と綾女を見てしまった。

 楽し気に話す二人の姿は、私の心に不透明な影を落とした。

 湿気をはらんだ空気のように疎ましくて、つかみどころのない不安。

 だが、日々は目まぐるしく過ぎていき、自身を顧みる時間はなかった。


 その週の土曜日。午前中。

 影の精霊の群舞の練習が、団の稽古場で行われた。

 本来ならば、土曜日のレッスンは休みだが、「公演まで間がないから」と、急遽設けられたものだ。

 でも、それは体の良い口実で、本当の理由は、私と咲良の出来が今一つだからだった。


 それなのに……。

 「有宮さん、他の人に合せて」

 「赤城さん、もっと優しく……(これはミルタじゃないのよ)」

 変わらず同じ指摘を受ける私と咲良。

 体力と気力が、汗と共に搾り取られるようだ。

 背後を振り返ると、曖昧な笑みを浮かべる“二番目”と目が合う。

 彼女の眼差しは“気にしないで”と言っているようにも見えた。

 だが、私の心には苦い思いが募るばかりだった。


「今日はここまで」


 レッスンが終わり、更衣室へ向かう私の耳元に触れる微かな音。

 すれ違いさまに、愛菜が舌打ちをしたのだ。


「……嫌な人……」


 愛菜の背に鋭く視線を投げかけ、低く呟く咲良。

 心無い態度が彼女の闘志に火をつけようだ。

 ……だが、私の心は折れる寸前だった。


「そこにいるのは沙羅ちゃんだね!」


 聞き覚えのある声に私は振り返る。


「相山さん!」


 『ジゼル』の時に、ヒラリオンを踊った相山健司だった。


「やっと会えた! 欠員の代わりに生徒を起用するって聞いた時から、絶対沙羅ちゃんは選ばれるって思ってた! 俺は今回出演しないから、じっくり鑑賞させてもらう……今日は別件で打ち合わせに来たんだ……」


 咲良が一緒とはいえ、見知らぬダンサー達の中で孤立していたのだ。懐かしさに心がほろりとする。


「あ……その子は? 紹介してよ!」


 相山はようやく咲良の存在に気づいたようだ。


「赤城咲良……彼女も一緒なんです……」


 「はじめまして」と、頭を下げる咲良。

 咲良は相山や杉田達と合流する前に降板したため、彼女が相山に会うのは初めてだった。


「はじめまして……赤城さん……」


 相山が挨拶を返す。


「順調? レッスンは?」


「あ、あの……」


 彼はレッスンの有様を聞かされていないのだろうか。

 どう返答していいのかが分からず、私は言葉を詰まらせる。

 相山は、私達の様子から何かを察したようだ。


「そか……でも、無理はしなくていい……君たちはプロのレッスンに参加しているんだ……戸惑うことがあっても無理はない……もちろん、俺でよければ相談にのるけど?」


 言葉通り受け取っていいものかと、判断しかね、私は咲良と顔を見合わせる。


「そうと決まったら、さ、さ……ロビーでお茶でも飲もう!」


 相山に背中を押され、私と咲良はロビーに辿り着いてしまった。


「いいんですか? 打ち合わせに来たんですよね?」


「そ! でも、俺は終わった……あ、晴哉もだけど、あいつはこれから……」


 私達は相山に勧められ、ソファーに座った。


「飲み物を持ってくる!」


 遠慮をする二人を後に、自販機に走る相山。

 こんなに気を遣われては申し訳ないが助かる。

 携帯していていた飲み物は、既に飲み干していて、喉がからからだった。

 やがて、ペットボトルを抱えた相山が、二人のところに戻って来た。


「はい……ミネラルウォーターでいいかな?」


「ありがとうございます!」


 私達は声を揃えて礼を言い、ボトルのキャップを捻る。

 水が喉を通る爽快さに、少しだけ気持ちが軽くなるようだった。

 

「さてと……何か困ったことがあるのかい?」


「実は……」


 緊張が解れた私は、ぽつりぽつりと現状を語り、咲良がそれに耳を傾ける。

 

「うーん。そういった話は聞かないなぁ……」


「そうなんですか?」


 意外だった。

 私達の体たらくは、団員の間で噂になっているとばかり思っていたから。


「うん……、つまりね……話題にするほどじゃないってことなんだ……二人ともまだ学生だし、許容範囲というか……想定内というか……大目に見ているというか……ま、本番までに何とかなればってことだね……」


 私達の存在は、未熟さも含め受け入れられていたのだ。

 肩の荷が降りたものの、やはり甘えたままでは良くないと思う。

 舞台に立つからには、自分の役割を果たしたい。

 相山の話の後も、気持ちを緩めることは出来なかった。


「……そんな深刻な顔しないで……どう言えば安心してくれるのかな……」


 相山を困らせながらも、私と咲良はきつく口元を結んだまま。

 だが相山は、何か良いアイデアがひらめいたように、ぽんと手を叩いた。


「そうだ! 楡咲バレエ団で演じられた『ラ・バヤデール』の映像を観るかい?」


「そんなものが!?」


 思わぬ提案に、私と咲良が身を乗り出す。


「うん……昨年の公演を録画したやつだ……いずれ公開されるかもしれないけど、今のところは門外不出ってやつだな……三階の視聴覚室にある」


「見せてください!」


 バレエ少女が声を揃えて懇願する。


「オーケー、オーケー、……まずは水分補給……」


 相山に促され、水をもう一口。


「準備はいいかな? ……いざ、視聴覚室へ!」


 相山に連れられ、胸を高鳴らせながら、私は階段を上る。

 これから素晴らしい舞台を目撃するのだから。







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