第11話  公園にて

 『ラ・バヤデール』のレッスン開始から、一週間が経った。

 だが、代役二人の状況は変わらず、注意を受けるばかりだった。

 私に対しては、「有宮さん、周りに合せてください」と、言われるだけ。

 腕の高さ、足の位置。全てに気を配り、揃えているつもりなのに、改善が見られないとみなされているようだった。

 共演者達との間に距離ができ、空気が冷たくなっていくような気さえした。


「……ったく……子供の教室と違うのよ……」


 通りすがりに、愛菜が突き放すように言った。

 “子供の教室”

 これは楡咲バレエ学校のことではなく、私が中学時代まで通っていた、城山晶子の教室のことなのだ。

 自分のせいで、城山まで悪く言われてしまい、心が深く沈み込んでいく。


「……大丈夫?……」


 咲良が耳元で囁く。


「……う……ん……」


 何故無関係な先生まで悪く言われてしまうのか。

 納得がいかない。


「嫌な人……団員だからって、あんな言い方……」


「……」


 だが、返す言葉がない。

 私には実力がないのだから。

 重い心を抱え、私達は帰路に就くのだった。


 その週の日曜日だった。

 レッスンは休みで、私は母と都心へ買い物に出かけた。

 公園内のレストランで食事をし、外を眺めると、図書館が目に入った。

 ここは以前、結翔と来た覚えがある。


「あ……沙羅ちゃん、パパから電話。何かしら? こんな時に……」


 「ちょっと待っててね」と席を外す母を見送り、私は再び視線を窓外に戻す。

 空は晴れ、風はなかった。

 冬にしては暖かい午後で、人々は束の間の日差しを愛しんでいるように見えた。

 ベンチでくつろぐ人、花壇の間をぶらぶらと散策する人。

 のどかな風景に心が慰められるようだった。

 枯れかけた芝生に腰を掛けたら、どれほど気持ちが良いだろうか。

 芝生に落とした視線をずらしていくと、ベンチに見慣れた人影を見つけた。

 短く刈られた髪。白いセーターに紺のコート。

 初日の出を見に行った日と同じ服装。

 

 ――結翔。

 

 結翔は受験間際で、私は連絡を取ることさえ控えていた。

 その彼が今目の前にいる。

 不思議な気もするが、受験中とは言え、息抜きに外出することもあるだろう。

 ここは結翔の学校の近くだし、彼の家からもそれ程離れていない。

 偶然彼を垣間見られたことに、私は密かに感謝した。

 ところが、灰色の雲はすぐそばに控えていて、登場を待ちかねていたのだった。


 何かを見つけた結翔が手を振っている。

 誰?

 私は目を凝らし、結翔の視線の先を追う。


 ストレートの黒髪。

 Aラインのコート。

 顔は見えないが、シルエットに見覚えがあった。


 広瀬綾女。


 結翔の同級生だった女子大生だ。

 綾女はこの近くに住み、図書館に行く途中の彼女と、偶然に会ったことがある。

 この場で再び彼女を見るなんて奇遇としか言いようがない。 

 結翔の嬉しそうな様子は、表情を見なくても仕草でわかる。

 二人はそのまま、どこかへ移動していった。

 公園内のカフェに入るのだろうか。

 それとも図書館へ?


「沙羅ちゃんただいま……パパったら、今日は夕飯いらないって……あら……?……どうかした?」


 母が私の顔を覗き込む。


「……ううん……なんでもない、……あはは……」


 作り笑顔で堪える私。

 晴れた日曜日の午後。

 私の心は灰色にくすんでいくのだった。


 その夜、私は少し疲れていた。

 宿題は夕べ済ませてあったので、早めに休もうとしていた時だ。


 ――チリリン


 スマホの音。


 結翔からの電話だ。

 何故、こんな時にと思う。

 そのまま放置して、寝てしまったことにしよう。

 「疲れていた」。明日そう言えばいい。

 私は呼び出し音を無視しようとしたが、出来なかった。


「……もしもし……」


「こんばんは……沙羅ちゃん。今大丈夫?」


「……う、うん……」


「何かあった?」


 結翔は人の気持ちにさとく、私の不安を察知したようだ。

 用があって電話をかけてきたはずなのに、私の異変を放って置けなかったのだろう。


「……」


 続く沈黙。

 結翔は聞き手に回り、沈黙を保つことで、相手からの話を促すことが上手い。

 彼は理屈ではなく、心でそれを知っているのだろう。


「な、なんでもない……あはは……」


「……そう? それならいいけど……あ、舞台の練習はどう?」


「あ……えっ……と……」


 結翔の言葉に心臓が止まりそうだった。

 レッスンは絶賛大不調。

 受験前の結翔を不快な話で負担をかけたくなかった。


「……」


 何か言わなくては。

 何でもいい。結翔を安心させなくてはいけない。

 彼は今、大事な時期なのだから。


「……沙羅ちゃん……きっと、上手くいく……沙羅ちゃんなら、絶対に大丈夫……」


 私の気遣いは役立たず。

 結翔にはお見通しで、慰められてしまった。


「う、……ん……」


 涙でくぐもる声を抑え、ようやく返事をする。


 今私が話したいこと。

 舞台での良い話。

 でも、それは出来なかった。


 そして……公園で見かけた結翔の事。

 何のために綾女に会い、どんな話をしたのか。

 知りたい。

 でも、それを口にすることは出来なかった。

 結翔は今大事な試験を控えているのだから。


「大丈夫! 電話ありがとう……結翔さんも頑張ってね……」


 見えない相手に笑顔を作る。

 どうか伝わりますようにと願いながら。


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