第7話  晴れ着で初詣

 結翔を連れ帰宅すると、母に出迎えられた。

 結翔を居間に案内すると、父がでソファーに腰掛けて待っていた。


「あけましておめでとうございます。有宮さん………昨年は大変お世話になりました……今年もよろしくお願いします……」


 礼儀正しく挨拶をする結翔を、父が感心したように見つめる。


「あけましておめでとう……久しぶりだね……受験がもうすぐだが、体調はどうかね? 忙しい中ありがとう……こちらこそ宜しくお願いします……」


 と、父も深々と頭を下げた。


「ま、面接みたい……ふふっ……お食事にしましょう! お雑煮食べるわよね? 結翔さん?」


「はい、いただきます!」


 テーブルにつくと、おせちが並べられる。

 松前漬け、黒豆、昆布巻き、栗きんとん……母の自慢の手作りだ。

 私が作ったのは……。


「いただきます」


 結翔が雑煮を食べ、おせちをつまむ。

 そして……お煮しめの蓮根に箸をつけ、頬ぼる姿を、私は固唾を呑んで見守った。

 結翔の口の端が、満足そうにゆっくりと上がっていく様に、私はほっと胸をなでおろす。

 そう。お煮しめは私が作ったのだ。


「どうかした? 沙羅ちゃん……」


「……う、ううん……どう? お煮しめ……美味しい?」


「……うん……」


 にこりと笑う結翔。


「……優しい味がする……」


 と、椎茸に、続けて人参へと箸を伸ばし、噛みしめながら笑顔を見せる。


「そ、そう……? あはは……」


 そうなのだ。

 私は結翔の弁当を作っていたことがあるが、実際に食べる姿を見るのは初めてだった。

 でも、美味しそうに食べている。

 安心するし、すごく嬉しい。


「結翔さん、お餅のお代わりはいかが?」


 母の言葉に「お願いします」と結翔。

 椀を乗せた盆を手に戻った母が、


「結翔さん、ゆっくり召し上がってね……沙羅ちゃんは、ちょっと仕度してくるから……」


 と言った。


「……は……い……」


 雑煮の椀から顔を上げ、何事かと、不思議そうに私を見る結翔。

 彼の視線を背に、私は母と共に自室への階段を上がる。

 退席の理由は着付けの為で、私は母に手伝われながら、着物の袖に手を通す。


「……地味じゃないかしら……この着物……」


「あら、……とってもよく似合っているわ……沙羅ちゃんは色が白いから……髪の色にも……花の柄もぴったり……」


 髪は低めに結い、菊を模した髪飾りを添える。


「はい、出来上がり! 鏡を見てごらんなさい……」


 母の言葉に、私は自分の姿を鏡に映す。

 白地に菊をあしらった振袖。

 一見地味に見えるが、手描きと刺繍による豪華なものだ。

 大輪の菊と、添えられた葉の薄緑が地の白に溶け込んでいく。

 丹精込め描かれた花弁は瑞々しく、匂い立つようだ。

 母の言うとおり、この着物は自分に合っているかもしれない。

 だが、正月とはいえ、今まで見せたことの無い自分を見せることに戸惑いを覚える。この姿を結翔はどう思うだろうか。

 どきどきと胸が苦しいのは、きっと慣れない帯のせいだ。

 着物の裾に気を払いながら、そろりそろりと階段を下りる。


「お待たせしました……」


 母に連れられ、再び居間へ足を踏み入れると、結翔はまるで彼の時間が止まったかのように私を見た。

 寒風に頬を赤く染め、共に日の出を見たのは今朝、早朝の事だった。

 ほんの少し前、階段を上る前の私とは別人のように見えるだろう。

 息を飲む結翔を前に、私の呼吸も止まりそうだ。


「あ、あの……お待たせしました……」


「あ、……えっと……」


 私が深々と頭を下げると、結翔もつられたようにお辞儀をした。


「ま、……お見合いみたいね!」


 いつの間にか母が後ろでにまにまとしていた。


「……マ、ママ!」


 激しい抗議の視線を向けると、「はいはい」と言いながら、母は再びにまにまとする。


「ねぇ、沙羅ちゃん。初詣がまだなんじゃない?」


「……あ、そうだった!」


 江ノ島には江ノ島神社があり、少し足を伸ばせば鎌倉に行くことが出来る。

 初詣には恰好の場所で、観光スポットの宝庫だというのに、私達はほとんど何処にも寄らず帰って来たのだ。


「あの……結翔さん……近くの神社でいいですか?」


「うん、沙羅ちゃんの知っているところで……」


「そうと決まったなら、早速行った方がいいわ……あ、でも……その前に写真を撮りましょう……せっかく沙羅ちゃんの晴れ着姿だもの……」


 そう言って、私、結翔、父と母が交代に互いに私と並んだり、結翔を交えたり、賑やかに撮影会が行われ、最後に私と結翔が二人並んだ写真を撮った。


「写真は結翔さんのスマホに送るからね……?」


 恥ずかしいからやめてと抗議するも、母は聞き入れず、送信ボタンを押した。

 母はいつの間に、彼とアドレスの交換をしたというのか。


「ありがとうございます」


 結翔が天使の笑顔で礼をすると、母が嬉しそうに頷いた。

 彼のスマホには、余所行きの自分の姿が保存されるのだ。

 他の人には見せないで欲しいと思う。


 その後、私達はようやく家の近くの神社へと向かったのだった。


「……あ、……あの……結翔さん?」


「何?」


「おかしいですか……着物?」


「ま、まさか!」


 きっぱりと否定され、驚く私。


「……えっと……そんなことは……」

 

 でも、それは一瞬のことで、結翔はすぐに口をもごもごとさせた。

 どうしたのだろう。なんだか様子がおかしい。

 でも、嫌な感じじゃないので、私はやきもきするのを止めることにした。


 辿り着いたのは、家から歩いて五分ほどの小さな神社。

 引っ越す前までは、毎年ここにお参りに来ていたのだ。

 小さいながらも木立に囲まれたやしろは、静かで心休まるものがあった。

 結翔は、着物を着た私の歩幅に合せて歩いてくれた。

 鳥居をくぐり、静々と歩きながら賽銭箱の前に立つ二人。

 頭を二度下げ、柏手は一つ。最後にもう一拝。

 こうして私達は、無事に初詣を終えることが出来たのだった。


「一年の始まりを、こんな風に静かに過ごすっていいね……」


「そうですね……」


 結翔は毎年どんな正月を過ごしているのだろうか。

 そんな考えが、ふと頭をよぎる。


「うん……すごくいい……清々しい気持ちになれる……」


 結翔がくしゃりと笑い、心がほんのりと暖かくなる。


「……ねぇ、沙羅ちゃん?」

 

 ようやく普段の会話が戻って来て安堵するも、結翔は遠慮がちに言葉を選んでいる。


「なんでしょう?」


「うん……あのさ……フランス人の曽祖父さんって、父方の人?」


「……ええ、そうですけど……?」


「そか……その、沙羅ちゃんのお父さんって……」


 私は結翔の言いたいことがわかった。

 この髪や目の色は、父方の曽祖父から受け継いだものだ。

 だが、父の髪は少し明るい程度の栗色だし、目もほぼ黒に近い。

 祖父も同様だ。

 結翔が不思議に思うのも無理はないだろう。


「……金髪と黒髪の人の間では、この色はあまり発現しません……父も子供の頃は、私と同じ色でした。でも、小学校に入学する頃には、栗色に変わったそうです……目の色も……私がなぜこの色を引き継いだかはわからないんです……」


「そうなんだ? じゃあ、沙羅ちゃんの髪がミルクティ色なのは、奇跡だね……」


 結翔が天使の笑顔を浮かべる。


 ふ、ふみゅー!

 奇跡だなんて!

 でも、目の前の結翔は喜んでいるようで、私も嬉しくなる。


 いつしか帯のきつさも気にならなくなっていた。

 菊をあしらった着物は、自分によく似合うと思う。

 晴れ着姿を結翔に見せられる喜びが、静かに私の心を満たしていく。

 穏やかな元旦の午後が終わろうとしていた。


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