第5話  星は輝く5 ープ・レ・ゼ・ン・ト☆ー

 

「……あ、……あの……」


 感激に声が震える、顔が熱くなり、喉はからからだ。

 憧れのプリマが目の前にいるのだから。


「は、はじめまして……」


 ようやく言葉を口にする。


「結翔ったら、バレエを習っている恋人がいるなら、私に会わせてくれればよかったのに……しかも、こんなにかわいい子……」


「こ、恋人だなんて!」

 

 ぱたぱたと熱くなった頬を手で扇ぐ。

 汗をかくのは室温のせいじゃない。


「沙羅ちゃん……お話しません?……ゆっくりと、……」


「は、はい!」


 いつの間にか、呼び方が、“さん”から“ちゃん”になっている。

 急激に距離を縮められ、ドキリとする。

 だが、そんなことどうでもいい。


「じゃあ、決まりね! 結翔、沙羅ちゃんをお借りするから……」


「ほどほどにな!」


 不安げな結翔の声を背に、上機嫌の舞花が私の手をとった。


 ――ふわり。


 ドレスの裾から零れる舞花のトワレ。

 頭の芯がじんと痺れるのは、きっと花の香りのせい。

 足元がふわふわするのは、絨毯に足を取られるから。 

 憧れのプリマに導かれ、私は夢の国にいた。

 

「ここにしましょう……」


 窓近くに置かれた椅子に腰をかける。


「お茶のお代わりはいかが?」


「は、はい!」


「ミルクティがいいかしら? 沙羅ちゃんの髪と同じ色……」


 舞花が給仕に飲み物を注文する。


「え、えっと……」


 “ミルクティ”……。


 これは、私が自身の髪色を表現する、自分の仕様の言葉で、他人ひとからは、しばしば“カフェオレ”とか“カラメル”と言い表される。

 でも、彼女はそれを一発で言い当てたのだ。

 なんだろう。この勘の良さ。


 結翔とどんな関係なんですか?

 尋ねたいことは沢山あるのに、それができない。

 このパーティに出席しているということは、結翔や彼の家と深い繋がりがあるのだ。

 知り合って一年にも満たない私が出来る質問ではなかった。


「うふふっ……このお部屋は初めて?」


「は、はい……とても素敵ですね……」


「私も……亡くなった深雪みゆきおばさま……結翔のお母様のデザインなの。この部屋だけじゃない……この家は彼女そのもの……」


 “母の思い出のある家が怖い”


 心に浮かぶ言葉を振り払う。

 あれは過去の出来事。今の結翔は家族とも和解して幸せなのだ。


「……本当に……人が多くて賑やかなのに、落ち着きます……」


 趣味よく居心地の良い部屋。

 私にはそれ以外感じられないし、それがきっと正しいのだ。

 舞花の微笑みの前、私の懸念は失せていった。


「……結翔と私はね、彼のお父様と私の母が従妹同志なの……二人は仲が良くてね……でも、沙羅ちゃんがバレエ習っていたら、私に会いたがるって、想像できなかったのかしら?」


「……え、っと……結翔さん……その、バレエには疎いみたいなんです……」


「そうなの?……確かに、男の子ですものね……」


「はい、多分……」


「結翔ったら、誤解をしているの……私は可愛い女の子が好きなの……それで、紬ちゃんが親戚になってくれた時に嬉しくて、いろいろお世話していたら、“しつこい!”って、文句言われちゃった……」


 憤慨する姿が、おっとりと柔らかい。

 同じ楡咲のプリマだが、気性の激しい来栖とはかなり様子が違う。


 性格だけではない。彼女は芸風もまた、来栖とは正反対のタイプなのだ。

 個性の強い来栖と比べ、舞花は正統派、王道とも称される、楡咲バレエ団のプリマだ。

 舞花は、大学卒業と同時に入団。二十二歳で『眠れる森の美女』の主役、オーロラ姫でデビューし、成功を収めた。

 二十五歳で結婚、一年後に出産、その半年後にプリマとして復帰。

 来栖と同期だというから、現在年齢は27か、8。

 楡咲の秘蔵っ子で、大学進学や結婚が決まった時には、楡咲がパニックを起こしたと、鈴音が言っていた。それでも、子供が生れた時には、涙を流して喜んだと聞く。いかにも先生らしい話だ。

 

 そんなことより……。

 予期せぬプリマとの邂逅だ。

 何か有意義な話がしたい。

 でも、何を話せばいいのだろうか。


「……あ、あの……来年の七月に『白鳥の湖』に出演なされますね?……あ、……と、その前に、半田バレエ団に客演すると伺ってます……」


「あら? ご存じ? て嬉しい!」


「穂泉さんの大ファンなんです!」


「うふふっ……あとね……二月に臨時公演が決まったの……」


「臨時のですか?」


「そう……一日だけ……コンサート形式で、一部と二部に分かれて公演するの……二部はガラコンサート……」


 一日限りのバレエコンサート! 

 ぜひチケットを入手したい。

 事前に知ったことは、チケットの獲得を有利にするのではないか。

 私は期待に胸を弾ませる。


「一部はね、『ラ・バヤデール』の三幕……私はニキヤを踊る……」


 『ラ・バヤデール』!

 古代インドを舞台とした、神に踊りを捧げる舞姫バヤデールニキヤと、戦士ソロルの悲恋を描いたバレエで、幻想的な二幕は群舞の美しさで知られている。

 1887年にロシアの劇場で初演された。


「絶対観に行きます!」


「ふふっ、沙羅ちゃんが来てくれるなら頑張っちゃう!」


 舞花は可愛らしく笑った後、少し真面目な顔になった。


「……沙羅ちゃん……結翔のこと……よろしくね……あの子も色々と大変なの……知っているでしょ?」


「あ、……少しだけ……」


「……見たでしょ? さっきの有様……皆、様子見をしている……結翔を危うんでいるし、松坂さんの機嫌も損ねたくない……誰もが保身に走っている……MORIYAの現状そのものだった……」


 私は少し前の結翔の言葉を思い出す。

 結翔は問題を解決し、空中庭園に戻って来たはずなのに、そのことが新たな物議を呼んでしまったのだ。


「でもね……結翔には良い仲間が出来たみたいだから、少し安心しているの……ほら、あのぱっとしない人達……」


 “ぱっとしない人達”と言われて、頷くわけにはいかない。


「え、えっと……あはは……」


 作り笑顔の私に舞花が語る。


「MORIYAには派閥があって、それが経営に影を落としている……2019年に企業統合で大損害を被ったのだけれど、それも、社内の連携の悪さが原因だと言われている……まさに危機的状況……定年を待つばかりの人は、それでいいかもしれないけど、若い人達はそうはいかない……見限って転職という選択肢もあるけど、所属する組織に愛着があって、魅力的なリーダーが現れれば、それに従う者も現れる……あの三人は……新星を見つけたんだわ……」


 新星。

 新しい星。

 結翔はそんな存在なのだろうか。

 幻のような光景を思い起こす。

 結翔は光に囲まれ、静かに輝いていた。

 あれは何だったのだろう。


「ま……私の目の前にも新しいスターはいるけどね……それとも……エトワール?」


 ふ、ふみゅー!

 舞花さん! 言い過ぎです!


 エトワール。

 フランス語で「星」という意味だが、花形、人気者という意味もあり、パリ・オペラ座バレエ団では、最高位のダンサーの称号を指す。

 バレエを志す者にとって、特別な意味を持つ言葉だ。

 それを自分に使うなんて!


「……え、……えっと……」


 恐縮のあまり、私はその場でぴしりと固まる。


「……あ、らぁ……固まっちゃった……?」


 私の困惑などお構いなしに、舞花がクスクスと笑う。

 彼女は天然なのだ。

 結翔が私と舞花を引き合わすことを躊躇った気持ちが理解できた。

 ……でも……。

 自然体の彼女は、生き生きとして魅力的だと思う。


「……沙羅ちゃん……もっと、自信を持った方がいい……貴女にはその価値があるもの……」


「あ、ありがとうございます……」


「今夜は楽しかった……でも、ここまで。あそこで結翔が待っている……」


 舞花の視線を追えば、結翔が心配そうにこちらを窺っている。


 舞花に見送られ、私は結翔の元へと戻って行った。


「大丈夫? 沙羅ちゃん……しつこくされなかった?……あの人悪気はないんだ……」


「ううん! 楽しかった!」


「そう、よかった……あ、沙羅ちゃんにプレゼントがあるんだ。クリスマスの……」


「私も!」


 そう。今日は前倒しのクリスマス。

 そして、年内は結翔に会うことは出来ない。

 だからプレゼントを渡すことが出来るのは、今夜だけなのだ。


「これ、沙羅ちゃんに……」


 渡された包みを開くと、金色のテディベアのキーホルダーが現れた。

 手足を伸ばした状態のテディベアで、大きさは5センチぐらい。


「……か、かわいい! こんなに小さいのにふかふか……つやつやの巻き毛になってる……」


「よかった! 喜んでくれて……沙羅ちゃんの髪色と同じだろ?」


「うん……ありがとう……レッスンバッグに着けます!……あ、私も……」


 私が渡した包みを結翔が開く。


「スケジュール帳?……あ、スペイン製!」


 結翔へのプレゼントは、黒いカバーのかかった、ポケットサイズのスケジュール帳だ。


「へぇ……、使用言語がスペイン語なんだ……曜日とか、……祝日も……」


 そう、スペイン語仕様のスケジュール帳。

 カレンダーが日本向けになっていないので、日本人には使い勝手がよくない。これを購入するのは、日本在住のスペイン人のビジネスマンだと、売り場の人が言っていた。

 でも、私はこれを見た瞬間に気に入ってしまったのだ。


「デザインがいい……用紙が生成りで見やすいし、フォントも洒落てる……ありがとう! 大切にする!」

 

「楽しい一年にしてください!」


「ああ! この手帳いっぱいに書き込めるように頑張る!」


 天使の笑顔に心が温かくなる。


 星の瞬く夜。

 こうして少し早いクリスマスの夜は更けていくのだった。













 

 








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