第2話   星は輝く2 ー前倒しのクリスマスー

「沙羅さん、お待ちしておりました……」


「き、木下さん!?……どうしてここへ?」


 私に声をかけたのは、塔ノ森家の運転手、木下だった。


「会長の言いつけで参りました……さあ、お乗りください……寒くありませんか? 車内なかは暖かいですよ……」


「ありがとうございます……お言葉に甘えて……」


(……木下さんが迎えに来てくれるなんて……)


 なんだか申し訳ない気がする。

 恐縮しながら乗り込めば、外の寒さが嘘のように暖かい。

 車が発進し、私はシートに深く座り直す。


「……お手数かけて申し訳ありません……」


「お気になさらずに……会長のお心遣いです……沙羅さんは結翔さんの大切な人ですから……」


 ふっ、ふみゅー!?……。

 私は混乱した思考を必死でまとめようとする。


 大切な人。

 大切な人。


 え、えっと……。


(……木下さんたら、何をサラッと言ってるの?……)


 そうだ。

 大切な友達。

 そう。友達。

 それに、元大家の娘だし。


 そう。

 そう。

 それに違いない!


 落ち着きどころを見つけた心が、次第に静まっていく。


「……でも、やっぱり申し訳ないです……クリスマス・パーティーに呼んでいただいた上に迎えまで……」


「パーティーだなんて、そんな大げさなものじゃありません。会長の気心の知れた方だけを集めた、内輪の集まりですから……」


 内輪の集まり。

 木下の言う、“内輪”の規模はどのくらいなのだろうか。


「クリスマス・パーティーと言っても、本当のクリスマスは、皆さん、家族やお友達など、より近しい方と過ごしたいでしょうから、日にちを前倒しにしているんです……忘年会みたいなものですね……」


 友達でも家族でも、恋人でもない者達の集まり。

 内輪と言っても、オフィシャルな会合ということなのだから、緊張せずにはいられない。

 でも……。

 私には楽しみにしていることがある。

 そう……。


「結翔さんは少し遅れます。ぎりぎりまで家庭教師の方とお勉強です。でも、すぐにお見えになりますから……」


 私の楽しみ。

 結翔と会えること。

 少しくらい遅れたってかまわない。

 だって、彼は受験生なのだ。

 本当ならば、勉強に専念しなくてはならない時期に、気兼ねなく会うことができる。

 それが何よりもうれしかった。


 十分ほどで、車は目的地に到着し、木下が助手席のドアを開ける。


「ありがとうございます……」


「楽しんできてくださいね」


 笑顔で見送られ、私は塔ノ森家の門をくぐった。


 芝生に敷かれた石畳を歩き、ポーチでインターフォンを鳴らすと、出迎えの女性が現れた。


「お、お招きありがとうございます……有宮沙羅です……」


 緊張気味に名乗ると、屋内へと案内された。

 廊下を歩きながら周囲を見渡す。

 アイボリーのクロスに白いカーテン。生成りに塗装した木製の窓枠。

 窓は大きく、昼には明るく室内を照らしていたことを思い出す。

 深緑の絨毯を歩けば、いつしか心が安らいでいく。

 この家には、訪れる人を優しく迎える何かがある。


 ……そして、それを作り上げたのは……。


 一人考え事に耽っていると、


「こちらのお部屋です」

 

 女性に告げられ、我に返る。


(……いけない! ぼーっとしちゃった……立食形式だって、結翔さん言ってたっけ……失礼のないようにしないと……)


 扉の前に立ち深呼吸。

 女性がドアを開き、部屋に入るようにと促される。


「……ありがとうございます……」


 一礼した後、一歩前に踏み出した瞬間。


(……えっ……)


 音のシャワーが降りかかる。

 密やかな笑い声、給仕の運ぶグラスやカトラリーが重なり合う音。

 この部屋で生じる音の全てが一つになり、音楽のように耳に響く。


(……え……っと……)


 私がまごまごとしていると、


「驚かれましたか? この部屋は音を柔らかく反響させます……そういう作りなんです……お客様の話声が音楽のようですよね……人の声って、一番のBGMだと思いませんか?」


 女性が控えめに、でも僅かに誇らしげに言った。


「あ、……はい……」


 確かに、カフェなどの人のいる場所が妙に落ち着くことがある。

 生活音というのは意外と心休まるものだ。

 でも、よほど計算しつくさなければ、これほどの効果は得られないだろう。


 この家を作り上げたのは、きっと……。

 

 出席者はざっと見たところ、五十人は下らなそうだ。

 この人数が塔ノ森家にとってどの程度の意味を持つかはわからない。

 だが、一個人の家にこれほど集まるのは大変なことだろう。

 瀟洒な建物、着飾った人々、テーブルに並べられた豪華な食事。

 圧倒されっ放しの私に、給仕が声をかける。


「お飲み物をどうぞ……これから旦那様の挨拶の後、乾杯になります……」


「あ、あの……オレンジジュースを……」


 グラスを手にするも、乾杯の相手が見つからない。

 落ち着きなく周囲を見渡すと、私を呼ぶ可愛らしい声。


「沙羅さん! お待ちしていました!」


「紬ちゃん!」


 よかった。

 結翔が遅れて来るせいで、私は会場に一人放り込まれたようなものだった。


「紬ちゃ〜ん」


 目を潤ませ、私は紬のもとへと走り寄る。

 手にグラスがなければ、私は彼女に抱き着いていたと思う。

 やがて壇上に結翔の父親が立つと、客達が一斉に彼を見た。

 塔ノ森のスピーチが始まる。彼は一年を振り返り、来賓達に感謝の意を述べる。

 彼の話し方は静かで穏やかなものだった。

 口調は優しく、自分の言葉で語る。

 私は心がほわりと温かくなるのを感じた。


「……私の話はここまでにしましょう……皆さん、今夜はどうか楽しい時を過ごしてください……」

 

 塔ノ森はグラスを挙げ、


「乾杯!」


 パーティーの開催を宣言した。


 私と紬がグラスを合わせると、カチリと小さな音が鳴った。


「沙羅さん、今年はお世話になりました……来年もよろしくお願いします!」


「こちらこそ、よろしく!」


 過ぎ去る年を振り返り、新しい年への期待に胸を膨らませる。

 慌ただしいながらも、私はこの季節が好きだ。


 その時、給仕の一人が紬のそばに来ると、何やら小声で囁いた。


「……あ、の……沙羅さん……ごめんなさい……母が呼んでいるみたい……」


「気にしないで……私なら大丈夫だから……」


 「すみません」と、紬は何度も頭を下げながら去っていき、私はまた一人になってしまった。

 

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