第三章

第1話  星は輝く1 ートナカイ娘は踊るー

「……よく似合ってる……鈴音……」


「あらっ?……貴女ほどじゃないから……光里?……、沙羅も負けてないし……」


「そ、そうかな……あはは……」


 私達は角を突き合わせ、声を潜めて囁く。


 そう……角。


 なぜか私達の頭上には角がある。

 赤い上着に黒いベルト。赤いトレーニングパンツ。

 お馴染みのサンタクロースの衣装だ。

 そして、頭にはトナカイの角。

 角飾りは頭から頬を伝う帽子のような被り物で、リボンを顎で結んで留める作りだ。


「……ったく……サンタクロースかトナカイのどっちかにして欲しかった!」


「本当!」


 二人の言葉に激しく頷く私。

 いけない。

 頭を大きく振ると、角の付いた帽子がずれてしまう。


「覚悟を決めないと!」

 

 鈴音が高らかに宣言をする。


「そうそう! やる時はやる! (嫌々でも!)」


 威勢よい光里のかけ声。


 二人の気迫に押され、私はただ、うんうんと頷くばかり。


「お待たせしました! サンタさんからのプレゼントです! 上級クラスの生徒さんの模範演技がはじまります!」


 三人娘を紹介する教師の声と、ぱちぱちと沸き起こる拍手の嵐。

 ここまで来たら後には引けない。やるしかないのだ。


「行くよ!」


 勢い任せに稽古場中央へと走り出て、等間隔に並んで準備のポーズプレパラシオン


 リズミカルなイントロに合わせ、両腕を捻りながら上へと上げる。

 そして、素早く90度に曲げた膝を後ろに上げてアティチュード。

 その足をク・ドゥ・ピエにして前へと伸ばす。

 方向を変えながら繰り返した後、ジャンプ。

 着地と同時に子供達の声援に包まれる。

 

 今年もあとわずか。十二月第三週の土曜日。

 私たちは楡咲バレエ学校の幼児・児童クラスの、合同クリスマス会の余興で踊っている。

 冬休み直前に催される、バレエ学校の恒例行事だ。


 疾走する旋律から零れて落ちる音符の粒。

 弾けるリズムに乗って、爪先立ちで小刻みに歩けば、


 “次! 決めるとこ!”


 光里のアイコンタクトに頷く鈴音と私。


 ――アティチュードでポーズ!


 爪先で立ち、もう片方の足を90度に曲げ、前に上げてアティチュード。

 悪戯をたくらむように、立てた人差し指を顎に添えて首を傾げる。


 わっと、客席から歓声が上がる。


(成功!)


 ポーズも決まったし、バランスも十分にキープ出来た。


 子供たちは大喜びだ。


 ピケ・ターンはつむじ風のように軽やかに。

 速度を合わせて、等間隔を保ちながら回る。

 弾む跳躍は高さを揃えて。

 大切なのはタイミングを合わせること。


 私達は、バレエ『ドン・キホーテ』二幕―夢の場―のヴァリアシオン、キューピッドを踊っている。


 キューピッドは、ギリシャ神話に登場する愛の神様。

 幼い子供の姿をしていて、背中には白い羽があり、性格は気まぐれ。

 悪戯で恋の矢を放ち、騒動を引き起こすこともある。


 バレエ・ドン・キホーテでは、主人公キトリを恋人と間違えたドン・キホーテを最愛の女性ドルネシアへと導く役割だ。

 舞台では、ギリシャ風の短いスカートのような衣装に、短い金髪のかつら、花の冠をつけて踊ることが多い。

 幻想的な二幕の中で、スピード溢れるダンスはコミカルでさえある。

 キューピッドの持つ中性的なイメージと、振付の可愛らしさで、子供達が初めて習うヴァリアシオンとしてしばしば選ばれる。

 時間は90秒と短く、瞬く間にラストだ。

 宙にふわりと浮かんだ後、ポーズを決めてフィニッシュ!


 拍手喝采の中、トナカイ娘たちはルベランスをする。


 だが、私達の役割はまだ終わっていない。


「さあ! もうひと踏ん張り!」


 長机を向かい合わせて作ったテーブルに、ケーキとカップを並べ、菓子や果物の籠を配置する。

 子供たちはわいわいと騒ぎながら、ケーキを食べ始めた。


「お疲れさま……みんな大喜び! ありがとう!」


「お役に立ててよかったです!」


 労いに出されたお茶を、礼を言いながら受け取る。

 今日は朝から大忙しだった。

 壁には緑と赤のリースが飾られている。

 金銀のモールに、サンタクロース、雪だるまの飾りつけ。

 教室の入り口にはクリスマスツリー。

 今日のクリスマス会の飾りつけは、ほとんど自分達三人でこなしたのだ。

 ツリーにオーナメントを吊るしたり、壁をモールで飾るのは、わくわくした。 

 忙しいながらも、三人はこの作業を心から楽しんでいた。


 ……でも……


(……さすがに疲れた……)


 朝から働き詰めで、しかもダンスまで踊ったのだ。

 カップに砂糖を多めに入れれば、お茶の甘さが心地良い。

 気が付くと、ちょいちょいと服の裾を引く者がいる。


「……え……?」


 振り返ると、小学校低学年くらいの小さな女の子が立っていた。

 大きな瞳を潤ませ、じっと私を見つめている。


「……どうしかした?」


 少女は黙ったまま、もじもじとしていたが、やがてピンク色の小さなものを鞄から取り出した。


「……え、……と……?」


 ――トウシューズ!?


 真新しいサテンのトウシューズは、桜のようなピンク色だった。

 シューズは小さくて、……22インチ?

 それでもこの子が履くにはサイズが大き過ぎる。

 まだトウシューズを履く許可は出されていなように見えた。

 

「……え……と……」


 無言のまま向かい合う私と少女。

 見かねた教師が助け舟を出す。


「貴女のサインが欲しいんじゃないかしら?」


 ふみゅー!

 サインだなんて!


 私が驚いて少女を見ると、彼女は大きく首を縦に振った。


「……で、でも……サインなんて私したことがなくて……」


「普通に名前を書いてあげればいいわよ……」


 突然のことに戸惑う私。

 他人の持ち物に自分の名前を書くなんて、なんだかおかしい。

 まるで自分の物だと主張しているみたいだから。

 少女はまだ幼く、小さな顔に比べて、目が大き過ぎるように見えた。

 長い睫毛に縁どられた黒目がちな瞳。

 それが、いっそう大きく見開かれ、今にも零れ落ちそうだ。


「え……っと、……あの……名前を書くだけでいいの?」


 遠慮がちに尋ねると、少女が大きくかぶりを縦に振った。

 サインペンを渡され、どこに書こうかと私は思案する。


「爪先のところでいいのよ?」

 

「わっ、わかりました……」

 

 教師に促されてサインをすると、少女の顔がぱっと明るく輝いた。

 そして、大喜びで仲間の元へと走っていき、小さなトウシューズを自慢するのだった。


(……や、やめて!! 恥ずかしい!)


 心で叫ぶも届くはずはなく、「いいなぁ!」とか、「ずる〜い!」と、パーティ会場は大騒ぎとなった。

 やがて、少女達がレッスンバッグや、ノート、ハンカチ、……サインできそうな、ありとあらゆる物を持って私の元へと押し寄せた。


「……え、えっと……」


 私を取り囲み、声高にサインをねだる子供達。

 どうしていいものか分からずにいると、


「……子供って早いわね……」


 愛おし気に教師が囁く。


「早い?……何が……ですか……?」


「楡咲の新しいスターを見つけたのよ……」


 ふ、ふみゅー!

 スター!?

 誰が? 誰が? 誰が?

 目が点になった私に教師が続ける。


「先週の発表会で演じられた『ジゼル』を子供達は見ているの……彼女達にとって、貴女はもうスターなのよ……」


 ふ、ふみゅー!

 スター!?


 混乱する私を横に、彼女は生徒達に指示を出す。


「はい、はい……前の人を押しちゃダメ……きちんと並びなさい……」 


 子供達は聞き分けよく、整然と私の前に列を作った。


 私は状況が呑み込めないまま、差し出された文具だの、鞄だの、衣類に“有宮沙羅”と書き続ける。


 これではもう、誰の持ち物か分からない。

 子供達の両親が気分を害しはしないか。

 そんな憂いを胸に、私は他人の所有物に自分の名前を書き続けるのだった。


 クリスマス会は無事にお開きとなり、私はシャワールームへと向かう。

 通常では、生徒の利用は認められていないが、今日は特別だ。


「有宮さん、お疲れ様……時間は大丈夫? この後、用事があるんでしょ?」


「はい! 大丈夫です!」


 元気よく返事をするも、精神的なゆとりはなく、かなり焦っている。


 シャワーの後は、速攻で髪を乾かさなくてはならない。

 ドライヤーをあて、温風になびく髪を指でわしゃわしゃとする。

 痛むのが心配だが、今そんなことを言ってはいられない。

 檸檬色のワンピースに着替え、鏡の前でチェックした後、コートを羽織る。

 やっとの思いで更衣室を出ると、鈴音と光里が待っていた。


「今年会うのはこれが最後ね……良いお年を!」


 光里の快活な声が響く。


「来年もよろしく! 沙羅! 光里!」


 笑顔でこたえる鈴音。


「こちらこそ! 良いお年を!」


 挨拶を交わす私達に、別れの時刻が迫る。

 バレエ学校は明日から休みとなり、次に会う時には年が明けているのだ。

 もう少ししみじみと一年の終わりを味わいたいが、なんといっても年の瀬は慌ただしい。

 私の心は既に、次の目的地へと向かっていた。

 アプローチを足早に歩けば、季節最後の冬薔薇が視界に入る。

 名残惜し気に深紅の花弁を愛でれば、


「沙羅さん」


 私に声をかける者がいた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る