第33話  昼餐会

 十二月第二週の土曜日。正午前、自室。


 俺は紺のスーツを着て、青いネクタイを締める。

 今日は、父の会社の役員たちを集めての昼餐会だ。

 不定期に行われるものだが、今日は自分も加わる。

 目的は親睦を深めるため、情報交換……等々。

 今日は俺の品定めと言ったところだ。

 最終チェックに鏡を見る。


 「日焼けが元に戻ってる」


 思い出されるのは彼女の言葉。

 夏と共に巡礼は終わり、新しい一歩を踏み出す時が来たのだ。


(しっかりしろ! 俺!)


 掌で両頬をぴしゃりとはたき、部屋を出て父に連れられ廊下を歩く。

 父が食堂の扉を開けると、視線が一斉に俺達に向けられた。

 いや……視線の的は俺一人。

 二つの空席があるじを待ちかねている。

 席の一つは上座最奥。父の為のもの。

 そして、もう一つはその右隣り。俺の為に用意され父に次ぐ上席。

 役員達は既に向い合わせで座していて、好奇の眼差しを笑顔で押し隠す。

 今日の主賓は俺。

 役員達の背後を足早にすり抜け「指定席」へと向かう。

 靴音は絨毯に消され、吐く息の音さえしない静寂に包まれる。

 客達の心の声が聞こえないことは幸いだ。

 

 「彼にその席は相応しくない」


 誰もが口に出来ない苛立ちを呑み込んでいるのだから。

 経営者の息子であることは、上席に値する理由にはならない。

 体中から嫌な汗が吹き出し、足がすくむ。

 

 ふと。

 小さな白い肩が思い浮かんだ。

 結い上げた髪。細く長い首筋にしゃんと伸びた背中。

 彼女は過ぎるほどの重責を背負い、それを果たした。

 夢を語る眩しい笑顔。堪えきれずに零れる涙。

 全てを乗り越え自身の糧としたのだ。

 彼女を励ましながらも、救われたのは俺自身だった。

 ひたむきな瞳にどれほど勇気づけられただろう。


 負けたくない。

 彼女に相応しい人間でありたい。

 足の震えを隠し席に就くと、父が役員達を労う。


「忙しい中集まってくれてありがとう。今日は息子も同席させてもらいます」


「歓迎です! 結翔君が、私達と関わろうとすることは、事業に関心を持つことと同じですから!」


 と、専務の松坂。彼は父の左隣に座り、真正面から俺を見据えた。

 赤みがかった髪。がっしりとした体格に精力的な顔立ち。

 俺は分不相応にも、彼の上座に位置しているのだ。

 彼は俺の状態を知りたがっている。

 俺は留年した挙句に、自分探しの旅に出てしまったのだから。


「……事業の件は、休学中も勉強していました……その……今回のスペイン旅行は、それを確認するためでもありました……」


「……ほう……それは初耳ですね……具体的に聞かせて頂けませんか?」


 専務の松坂が身を乗り出してきた。


「具体的に……ですね……MORIYAの経営状況の推移を調べていました……2019年は住宅部分の売上が激減していますね……」


 松坂の顔色が変わった。

 予想はしていた。

 2019年の減益の理由……企業統合の失敗。

 統合した企業が、多額の負債を抱えていたことを見抜けなかったのだ。

 担当は糸谷派の営業部長だった。

 松坂は、彼を抱き込み利用するため、その責任を不問とした。

 これは派閥争いを緩和するための苦肉の策として、社内では暗黙の了解となった。


「……ですが、それがスペイン旅行と何の関係があると?」


 松坂が俺を推し量ろうとしている。

 何をどの程度知っているのかと。

 統合の失敗は公表されているので調べればすぐにわかることだ。

 だが、担当者の処遇は公にされていない。


「住宅部門の売上は激減しましたが、MORIYAは大事に至りませんでした……何故なら、その年は資材部門の米国売上が伸びたことでカバー出来たからです……」


 母が俺に学ばせていたのは、学校で得られる知識だけではなかった。

 父の事業に直結することも含まれていたのだ。

 事業内容、経営方針、売上の推移、……それだけではない。

 人事的な事。個々の社員の能力、業績、特性。それに加え、社内間の動向、派閥の動きだ。

 特に、派閥問題はMORIYAの中で、未だ大きな懸念事項となっている。


 俺は、それを小学生が公式を覚えるように、丸暗記するだけで、生かすことを考えずにいた。

 だが、それを使う時が来た。

 この一か月間、俺は過去に学んだことを掘り起こし、何がどう使えるのかを検証し続けていた。

 

「……リスクを考慮するならば、事業を拡大する必要があります。海外進出もその一つです……米国では順調に利益を伸ばしていますが、欧州が弱いと思いました……進出をするならば、その国の文化や歴史を学ぶ必要があります……私は、それを確認するために長期旅行をしました……」


 ――俺は無為に時を過ごしていたのではない。


 話の筋にはやや無理がある。

 だが、松坂の俺への認識を変えさせる為には、彼の意識に揺さぶりをかけることが必要だ。

 そのために俺は、企業統合の話を持ち出したが、これ以上この話は深めたくはない。

 営業部長の件を話題にすることは、松坂を批判することと同じだ。

 多くの支持者を持つ彼を敵に回したくはない。

 役員達は泰然と構えてはいるものの、心穏やかではないはずだ。

 瀬戸際に立たされ、汗ばんだ手を握りしめる。

 額に冷たい汗が滲み、俺は動揺を隠すことに必死だった。


「……結翔、二人だけで話すのは後にしなさい……親睦を深めるための席だから……松坂さん、結翔は未熟者です。力になってください……」


 見かねた父が助け舟を出し、ようやく生きた心地になる。 


「喜んで! 結翔君がやる気になってくれたことが分かって安心しました……スペイン旅行は良い学びになったようですね……いろいろと話を聞かせてください!」


 松坂の表情が穏やかに緩んでいった。


「遅れてしまいました……食事にしましょう……」


 父の言葉と同時に、前菜とスープが運ばれ、給仕が始まった。

 昼餐会では略式のコース料理が提供されることが定例となっている。

 役員達は料理を堪能しながら、移り変わる話題に耳を傾けていた。

 こうして、昼餐会は一時間後に終了した。


 父が客達を見送りに出て、食堂は俺一人になった。

 白いテーブルクロスを前に、出席者の顔を思い浮かべる。

 確信はないが、俺への視線が好意的なものに変わったことを感じた。

 完全に信頼を取り戻すには、まだ時間が必要だ。

 だが、今日の出来事はその第一歩となるだろう。


 ―― これで空中庭園に戻れる。


 俺は静かに目を閉じ、彼女の笑顔を思い浮かべた。



 

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