第31話  主人公

 控室で着替えを終えた頃、紬と絵美がやって来た。


「沙羅さん、すっごく良かったです! 私泣いちゃいました!」


 瞳を潤ませる紬。


「ありとう、紬ちゃん!」


「……ステップが正確だった……基本通りね……二幕……ぎりぎりまで堪えて、動作を変えていくところ……巧だと思う……演技も自然で嫌味が無い……………………良かった……」


「……あ、ありがとう……絵美……」


 絵美の感想コメントは少し緊張するけど、やはりうれしかった。


「この後、レストランで食事だけど、現地集合でいい?……私はまだ残るから……挨拶もあるし……」


「喜んで! 今日の感動を分かち合いたいの!」


 声を揃えて紬と絵美。


 二人が去った後、私は片付けの続きに取り掛かった。

 結翔とはロビーで待ち合わせている。

 食事を共にすることは出来ないが、久しぶりに会えるのが嬉しい。


「お疲れさまでした……」


 楽屋を出ようとすると、


「……沙羅……」


 来栖に呼び止められる。


「あ、はい……」


「貴女のジゼルは素晴らしかった……私の予想をはるかに超えた出来だった……よく頑張りました」


 ストレートな誉め言葉が、すとんと心に入って来た。


「あ、……ありがとうございます!」


 来栖は満足そうに微笑んだ後、言葉を選ぶように話し始める。


「……うーん……あのね……観客の感想はまちまち……好みもあるし……褒められても、そうでなくても、一喜一憂しないように……参考程度にね……」


 心を見透かされたようで、ドキリとする。

 私は以前、観客の言葉に深く傷ついた経験がある。

 来栖も苦労をしたことがあったと、牧嶋が言っていた。


「……わかりました……ありがとうございました……」


 来栖に頭を下げると、私は結翔を探すためにロビーへと出た。

 閉幕から既に一時間以上が経過していたが、三人連れの男女が立ち話をしていた。


「今日の舞台はよかったね。発表会のレベルじゃないよ!」


 聞くとはなしに会話が耳に入る。


「そうそう、だって、バレエ団のソリスト達が応援に駆けつけてるから……あの、杉田ってダンサーは楡咲のホープでしょ? 最後のアントルシャ・シス! 感激しちゃった!」


「ジャンプと言えば、あの、ミルタ役の子も良かったわね!」


「同感、胸がスッとしたもの!」


「村娘でも光る子がいたし……踊りも演技もチャーミングだったわ!」


「……そうね……それにしても……ジゼル役の子は物足りなくない?」


「……あの金髪の?……そう……見た目は綺麗なのに……ねぇ……」


「村娘とウィリの踊り分けもイマイチじゃない?……二幕は人間臭くて……もっと幻想的に踊って欲しかったのに……」


 頷き合う批評家達。


 言われたばかりの言葉をリフレイン。

 「観客の感想はまちまち」

 案の定、来栖の勘は的中してしまった。


 そう。私は自分のジゼルを踊ったのだから、感想は参考程度に収めるべきなのだ。


 ……なのに……。

 さっきまでの達成感が、空気の抜けた風船のようにしぼんでいく。

 すごすごとその場を立ち去ろうとした時だ。


「そうかなぁ? 僕は、あのジゼルは凄くよかったと思う……品があって、基礎にも忠実だった」


 反論の声に思わず足を止め、聞き耳を立てる。


「人間臭いと言うよりは、温かみが感じられた……何よりもひたむきさがいい。アルブレヒトへの一途な愛に胸が熱くなった……二人とも、ミルタを褒めるけど、目立ち過ぎて、全体のバランスが崩れた印象がなかったかい?……それをあの子が取りまとめたんだ……とにかく……、彼女は最後まで踊り切った……愛を貫いたジゼルそのものじゃないか! 彼女こそが主人公だよ!」


 ――主人公。


 きっぱりと言い切られ、『批評家』達が黙り込む。


 「観客の感想はまちまち」

 「好みもある」

 「褒められても、そうでなくても、一喜一憂しないように」

 「参考程度に」

  

 来栖の言うとおりだ。落ち込んだり、のぼせ上ったりせずに、常に泰然と構えていなくてはいけない。

 それなのに……。

 たった一つの讃辞にこれほど心揺さぶられるなんて。


 心に高ぶりを覚え立ちすくめば、背後から懐かしい声。


「……沙羅ちゃん……」


 振り返れば結翔が立っていた。


「……ゆ、結翔さん……」


 彼の笑顔に、張り詰めた気持ちが安らいでいく。

 私は、自分がずっと背伸びしていたことに気づいた。

 主役を務める重責、自己の能力を超える困難さ。

 体力の限界に打ち勝ち、自分を励まし続けた日々。

 来栖、踊る仲間達、両親。

 彼らは助言をし、励ましてくれた。

 だが、誰にもこの苦しさを打ち明けることが出来ずにいたのだ。

 熱い思いが胸から喉へとこみ上げ、はらはらと涙が頬を伝い落ちる。


「……だ、大丈夫?……ひとまずここを出よう……ほら、これ使って……」


 差し出された白い布。

 零れる涙を押さえながら、結翔に手を引かれて劇場を出た。

 すれ違う人にチラ見されるも、結翔は気にする素振りもみせず、のんびりと歩き続ける。

 そんな彼の姿に、私の心もいつしか鎮まっていった。

 

「……ご、ごめんなさい……驚かせて……」


「平気、平気、それより沙羅ちゃんは?」


「あ、あの……もう大丈夫です……手……その……」


 結翔は変わらず私の手を引き、やがて二人は公園のベンチに腰掛けた。

 夕暮れは間近で、陽光の名残りを惜むように、人々が公園を去っていく。

 冬の短い一日が終わろうとしていた。

 私も結翔とも直ぐに別れなくてはならない。

 彼は忙しい中、私の為に駆けつけてくれたのだ。

 今度会えるのはいつになるのだろうか。


「……あら……?」


 心に焼き付けようと彼を見つめ、私はある変化に気づいた。


「どうかした?」


「……あ、あの……、日焼けが元に戻ってる……」


「ははは……そう?……会うのは一か月ぶりだからね……巡礼の名残もお終いだ……」


 結翔は夏に旅立ち、秋に帰国した。

 あれから季節は移り、いつしか冬になっていた。

 失われた日焼けに、会えずに過ごした日々を思う。


「よかったよ、舞台……沙羅ちゃんはどんな気持ちで踊っていたの?……ジゼルはどんな気持ちだったの?」


 何かを確認するかのような結翔の口調。

 瞳に静かな光を湛えて私を見る。

 でも、何を?

 結翔は何を知りたいのか。


「……あの……幸せになって欲しかったんです……アルブレヒトに……生きて、彼の人生を歩んで欲しかった……それが私のジゼル……」


 問いかけの真意を理解できぬままに私は答える。


「……そっか……最後に鐘が鳴ったね……」


 彼の心は、今ここではないどこか遠くにあるように見えた。


「……鐘……? 夜明けの鐘ですね?」


 ウィリの魔力を奪い、朝の訪れを告げる教会の鐘の音。


「うん……思い出したんだ……」


「……?……」


 何を?

 結翔は何を思い出したと言うのか。


「……思い出したんだ……サンティアゴ=デ=コンポステーラ大聖堂の鐘を……」 

 

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