第30話  発表会当日ージゼル第二幕2ー


 ――ジゼルとアルブレヒトのパ・ド・ドゥ。


 私は、杉田に支えられ、足を前に伸ばし、爪先で円を描くように後ろに回してアラベスクをする。


 サポートを受けながら、軸足で床を蹴りジャンプ。

 杉田のリフトは匠みで、私は宙に舞う精霊のように動くことができた。

 アラベスクやアチチュードをしながら、空気シルフのように踊る。


 ジゼルは裏切られたショックのあまり、命を落としてしまったが、アルブレヒトへの愛は変わらなかった。

 アダージョは、微かなホルンの音色で閉められる。

 切れることの無い二人の絆を表すかのように。

 

 アルブレヒトのヴァリアシオンは、スケールの大きなジャンプが続く。

 杉田の跳躍は、ダイナミックなだけでは無く、優雅さを兼ね備えていた。

 空中で足を打ち付けて着地した後、流れるように上体を反らしながら、次のジャンプへの助走をする。

 途切れることなく飛び続け、疲れを見せることも無い。

 アルブレヒトは、一幕では浅慮な若者、二幕では後悔に苛まれる青年貴族。

 杉田はこれを見事に演じ分けている。

 プロの実力を前に、瞬きさえ忘れ、私は魅入られていった。


 息も絶え絶えに倒れ伏すアルブレヒト。

 体は鉛のように重く、冷たい汗が体に纏わりつく。

 ジゼルはミルタに花を捧げ、アルブレヒトの命を助けてくれるようにと、再び願うが拒絶される。


 ジゼルは祈りを込めて踊る。


 ここは……。

 何度も練習したところだ。

 跳躍をしながら舞台を回るのだが、空中の一番高い箇所で、アラベスクのポーズをしなくてはならない。

 練習では上手く決まらなかった。


 

 光里の暴走により、舞台のバランスが壊れてしまった。

 私は彼女を超えることで、それを取り戻さなくてはならない。

 光里以上の跳躍をしなくてはならないのだ。

 高さや距離はもちろんのこと、美しいポーズで飛ばなくてはならない。

 “振り付けも音楽も全部言葉なの”

 鈴音は言っていた。

 作品を通して彼らはメッセージを発している。

 崩れた調和を修復し、“言葉”を伝えることが私の役目。

 何故なら……


 ―― 私が主役なのだから。


 “ジャンプの軌道をイメージして!”


 光里の言葉だ。


 私はどきどきとしながら助走する。

 練習では上手くいかなかったものが、本番で決められるのだろうか。

 不安を抱かずにはいられない。


 “今日は踊りの神様が付いている”


 来栖が言っていた。


 踊りの神様。

 果たしてそんなものがいるのだろうか。

 でも……。

 もしいるのなら私は願う。


 「どうかジャンプを成功させてください!」


 “沙羅はジャンプする時に軌道をイメージしてる?”


 繰り返されるは光里の言葉。


 軌道。

 軌道。


 念じるように心で呟き、軸足で踏み切った瞬間、私は軌道をイメージする。


 ―― 一瞬……。

 

 来栖のジャンプが脳裏をよぎる。

 楡咲バレエ団の公演で見た時の記憶だ。

 心に刻まれた鮮やかな残像。

 その姿が私自身とぴたりと重なった。


 見えた!

 軌道が!

 踏切から着地までの!


 私は飛ぶ。

 自分の力を出し切り、この跳躍に全てを賭けるのだ。



 

 ―― 時間が止まる……。




 焦りも不安も消え、私は空中でアラベスクをする。

 左手を上に上げ、左足を後ろに伸ばす。

 イメージ通りに……。


 

 そして、着地……。


 できた!

 

 沸き起こる拍手を耳に、私は知った。

 ジャンプが成功したことを。


 安堵の気持ちを引き締め、舞台中央へと出て踊った後、杉田と共に退場。


「よくやった! 沙羅! 貴女は観客の心をつかんだのよ! 調和も取り戻した!」


 興奮した来栖が私に飛びついた。


「本当に! 頑張ったね、沙羅ちゃん! 今度は俺の番だ!」


 杉田は私の肩を叩くと、舞台へと飛び出していく。


 最後の時が近づいた。

 ウィリ達は再び列を作り、踊り始める。

 アルブレヒトを葬るために。


 アルブレヒトは力を振り絞り踊るが、命乞いは拒絶され続ける。


 杉田のアントルシャ・シスが披露される。

 空中で爪先を伸ばし、足を二回交差させるジャンプだ。

 二幕の終盤、ダンサーたちの体力は限界に達している。

 連続される跳躍は、踊り疲れたアルブレヒトの姿と重なり、観客は手に汗を握り、その姿を見守るのだ。

 

 アントルシャが繰り返され、何時までも続くように思われた。

 苦しい息を抑え、杉田が飛び続け、客席から拍手が起こる。

 だが、アルブレヒトもついに力尽き倒れ、それをジゼルが励ます。


 踊って!

 お願い! 頑張って!

 貴方はこんなところで命を落としてはいけない。

 明るい日差しの世界へ戻らなくては。

 貴方を待つ人の所へ帰らなくてはいけない。

 踊って!

 どんなに苦しくても、希望を捨てないで。未来を信じて!

 教会の鐘が鳴るまで。

 曙の光が貴方を照らすまで。


 ―― 明けない夜はないのだから。


 光里を超え、踊りで表現したいこと。

 私はそれを初めて理解することが出来た。


 私が伝えたいこと。


 ジゼルの愛。

 死によっても失われることの無い真実の愛。

 相手を思いやり、信じ、幸福を願う心。


 それは、私が演じるジゼルそのものなのだ。


 ジゼルの励ましも虚しく、アルブレヒトは力尽きてしまう。

 死の宣告をするミルタ。

 


 その時、


 教会の鐘の音が聞こえてくる。

 夜明けを告げる鐘の音だ。


 耳をすませるウィリ達。

 夜が白むにつれ動きが鈍くなり、ゆるゆると退いていく。


 空は薄紅に染まり、夜明けの時を待つ。

 眩い光が世界を照らし、朝が訪れる。


 別れの時が来た。

 アルブレヒトはジゼルを引き留めるが、叶うはずもない。

 固く包容するも、すり抜けていくばかり。

 もうすぐ、姿を見ることさえ出来なくなるのだ。

 既にウィリの姿は無く、二人だけが残される。


 ジゼルは身を引き裂かれるような悲しみの中、安らぎの笑みを浮かべる。

 自分は愛する人アルブレヒトを守ることが出来た。

 愛を貫くことが出来たのだ。

 これは誰にも変えることが出来ない真実なのだ。


 去り際に振り返り、一輪の花をアルブレヒトに手渡す。

 彼の未来を祝福するかのように。

 そして、朝日と共にジゼルは永遠に去って行った。


 一人残されたアルブレヒトは、白い花を胸に抱き天を仰ぐ。

 

 真実の愛を思いながら……。




 ―― 二幕の終了



 幕が下りると同時に、どっと、拍手と歓声が押し寄せ私を包む。

 踊り終えたばかりの体は熱いはずなのに、鳥肌が立ち、体が震えた。

 興奮と恍惚が交互に訪れ、呆然と立ちすくむ私に、走り寄る足音が近づく。


「よく頑張った! 沙羅! 聞こえるでしょ? あの拍手! 大成功よ!」


 一足先に出番を終えた鈴音が、瞳を潤ませ私に飛びついた。


「光里も!」


 鈴音は光里にもハグをする。


 光里もまた、目を赤く腫らしていた。

 私達三人は、抱き合ったまま涙を堪える。


 まだ、挨拶が済んでいないのだ。

 泣きはらした顔で舞台に立つわけにはいかない。


 終わった。

 私はジゼルを踊り切ったのだ。

 

 そこかしこで、すすり泣く声が聞こえる。

 今日のために、誰もが厳しい練習に耐え、それが報われたのだ。


 感涙にむせぶダンサー達に、来栖が号令をかける。


「さあ! 舞台に出て挨拶をしましょう! 観客が貴女達を待っています!」


 拍手と歓声の中、私達は舞台へと向かい、ルベランスをした。

 





 

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