第29話  発表会当日ージゼル第二幕1ー

 ―― 二幕


 舞台はのどかな農村から一転し、暗い夜の森へと変わる。

 沼地近くの湿地帯。草が生い茂り、訪れる者はいない。


 暗闇に蒼白い影が浮かび、次第にその姿を露わにする。

 婚礼衣装と見紛みまごう白いドレスを着、頭上に白い花輪を頂く。

 精霊ウィリの女王ミルタだ。


 ヴァイオリンの音色が、霧のように淡くたなびく。

 光里は爪先立ちで歩きながら、舞台へと進み出て、後ろに足を伸ばしたアラベスクの姿勢で移動。


 軸足で踏み切り、空中へ放り投げた足に軸足を打ち付け着地。

 空中で両足を伸ばしながら、高く跳躍。


 光里は身長が高く、動きの一つ一つが壮麗だ。

 ジャンプは高く距離もあり、舞台を大きく使うことが出来る。

 ダイナミックな踊りが観客を魅了していることだろう。


 やがて、ローズマリーの枝を手にすると、仲間達ウィリを呼び起こす。


 ローズマリーの花言葉は記憶。


 「彼女たちの生きた記憶はダンス。ダンスだけが生きた証だった。だからこそ、ウィリに身をやつしても、踊り続けるのだ」


 思い出される来栖の言葉。


 幻想的な群舞コールドが始まる。

 夜露に濡れた羽根を広げるウィリ達。

 初めは儚げに、やがてダンスは徐々に活気を帯びてくる。


 ミルタと二人のお付きの踊り。

 ここでも、光里の跳躍力が発揮される。

 

 群舞の最後は、光里がジュッテ・アントルーナンで舞台を一周する。

 軸足で踏み切り、空中で足を入れ替えながら回転をする、花が開いたように華やかなジャンプだ。

 

 私は舞台袖で光里が飛ぶ姿を凝視する。

 光里のジャンプは目を見張るほどに素晴らしかった。

 だが……違和感を覚えずにはいられない。

 主役の自分よりも光里の方が目立ってしまう。

 そんなことではない。もっと大事な何かが損なわれようとしている。

 ここは夜の森、ウィリの哀愁を表現する場面だ。

 一度は光里の個性を受け入れたものの、セットや照明の備えられた生の舞台では、彼女ミルタが浮いた存在に見える。 


「……困ったものね……光里が暴走している……」


 来栖が私の耳元で呻く。


「……皆練習以上の踊りをしている……いい感じに仕上がっていたのに……このままでは舞台が台無しになってしまう……実力を発揮することは大事だけど、調和も大切なの……そうしないと、この物語のテーマを観客に伝えることが出来なくなる……」


「……そ、そんな……」


 声を押し殺し、私は呟いた。

 違和感の正体を知り、背筋にひやりと冷たいものが通り抜けていく。

 一人一人が自分の力を発揮し、舞台を作っていくものだと思っていた。

 だが、作品全体のテーマ伝えるためには、バランスを欠いてはならない。


「……だから……沙羅……貴女が光里を超えなさい。主役であることを観客に思い知らせるの。そうやって舞台の調和を取り戻して! 光里に負けないで! 頑張りなさい!」


「はい!」


 躊躇うことなく私は返事をする。

 使命のような熱い気持ちが私を突き動かすのだ。


 ウィリ達は踊り続ける。

 右端から左舞台袖に向かって三人で列を作り、アラベスクのまま、軸足をプリエし進んでいく。

 左端からも同様に列になって中央へと向かう。

 ウィリの数は徐々に増え、層を作る。

 左右の列は少しずつ距離を近づけていき、右側の列は左側の前を通り、左右の列は交差しながら袖へと向かう。

 その様は壮観で、連なるチュチュがドレスのドレーブのように見えた。


 やがて、ミルタはローズマリーの枝を手に、新しいウィリを迎えることを仲間達に宣言する。


 ―― 私の出番だ。


 ミルタの導きに引き寄せられるように、私は歩を進める。

 光里の足が震えている。

 彼女も緊張しているが、悪い感じじゃない。

 慎重に歩くことで、ミルタの厳かさが感じられる。

 光里が絶好調なら、私も負けるわけにはいかない。


 女王に一礼するジゼル。

 

 突如上がる曲のテンポ。


 私は、アラベスクをしたまま、軸足を曲げ回転を続ける。

 両足で爪先立ち、手を上に伸ばしでターン。

 数種類のジャンプを繰り返した後、ポーズをして退場する。


 ジゼルが舞台袖に戻るのと入れ替わりに、杉田アルブレヒトが舞台へと出ていった。


 来栖にタオルを渡され礼を言う。

 束の間の休息の後、私は再び舞台へと戻る。


 ―― ジゼルとアルブレヒトの再会。


 ジゼルの墓前を訪れるアルブレヒト。

 後悔に苦しむ姿に、農村での朗らかさはない。

 ジゼルの気配を感じたアルブレヒトは、彼女が自分の前に姿を現すことを切に願う。


 ジゼルがそばにいるのに、アルブレヒトはそれを見ることができない。

 触れ合っても、空気のようにすり抜けていく。


 ウィリの姿を見た者は命を奪われる。

 初めは戸惑っていたジゼルも、徐々に大胆になり、遂にはアルブレヒトの前に姿を現す。


 ジゼルの存在を確信したアルブレヒトは、森の奥へと踏み込んでいくが、あっという間にウィリに取り囲まれてしまう。

 命乞いをするアルブレヒトへの拒絶は、群舞コールドの隙のない腕の動きで表現される。

 観客を戦慄させる絶望的な場面は、ダンサー達が力を合わせることにより生み出されるのだ。


 ――私の出番!


 ジゼルは走り寄り、アルブレヒトを見逃してくれるようにと懇願するが、聞き入れられない。


 彼女は、自分の墓の十字架の側にアルブレヒトを立たせ、庇うように両手を広げ、彼の前に立つ。

 魔力を失っていくウィリ達。


 ミルタは口惜し気に、ローズマリーを放り投げた後、ジゼルに命令をする。


 “あの男の前で踊りなさい”



 ジゼルはミルタに逆らうことができない。


 私は、ゆっくりと足を横に高く上げる。

 上げた脚を下ろして、一番ポジションを通りながら、後ろへ上げてアラベスク。

 床に軸足を付けたまま、踵をずらしながら、円を描くように一周する。

 観客に美しい姿を見せられるように、ポーズを保ちながら私は回った。

 


 ここは人ならざる、幻惑の世界。

 現世うつしよは忘却の彼方。

 ウィリ彷徨さまよう夜の森。


 ジゼルに魅せられたアルブレヒトが墓を離れ、ふらふらとジゼルの元へと歩み寄って行った。


 命をした舞踏が始まる。

 力尽き踊れなくなった若者は死に追いやられる。

 闇は深く夜明けの鐘は遠い。

 美しも残酷な戦いは幕を開けたばかりなのだ。

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