第28話  幕間ー舞踏の神様ー


 ……沙羅…… 


 ……沙羅…… 


 私を呼ぶ声が遠くに聞こえる。

 初めに目に入ったのは白い照明の光。

 その後、ぼんやりと人の輪郭が見えてきた。


「…………沙羅、ぼっとしないで! 早く着替えないと!」


 私はゆっくりと辺りを見回す。

 目の前には、村娘の役を終えた鈴音が立っていた。


「……あ……え……?」


 私は楽屋の鏡の前に座っていた。


「……どうしたの? 一幕で燃え尽きちゃった?……無理もないけど……だって、すごい演技だったもの!」


「……本当に……?」


「うん!」


 鈴音が大きく首を縦に振る。


「真に迫っていて、心にズシンと来た! 私、舞台の上なのに泣いちゃった!」


 私は途切れた記憶を呼び起こす。

 二幕のラストで倒れた後、意識を失っていたようだ。


「……私、自分でここに来たの?」


「そうよ? 自分で歩いてきた……どうしたの? 覚えてない?」


 鈴音が掌を私の顔の前でひらひらと振る。


「……うん……」


 本当に覚えがないのだ。

 急に息苦しくなって、倒れてそのまま。

 自分がどうやってここまで来たのかさえ分からない。


「……もしかして……」


 鈴音が声を潜め、私の耳元で囁く。


「ジゼルが乗り移ったんじゃない?」


「ま、まさか!!」


 ぎょっとする私。


「だって、まるで心臓の発作で倒れたジゼルみたいだもの!」


「……そんな……そんなことってあるのかしら?……気味が悪い……」


 ジゼルは病弱で命を落としてしまったのだから、あまり嬉しいことではない。


「どうかした!? 具合が悪いの?」


 異変を察知した来栖が、素早く駆け寄って来た。


「……あ、いえ……」


 楽屋は人と荷物でごった返していたが、彼女はその間を縫うようにやって来た。


「どこか痛いところはない!? 膝は? 足は大丈夫なの!?」


「は、はい……どこも痛くありません……」

「そう……顔色は悪くないわね……」


 来栖が何一つ見逃すまいというように、厳しい眼差しで私を見つめる。


「よかった……大丈夫みたいね……」


 来栖の表情かおがほっと緩むも、それは一瞬のことだった。


「何を見ているの!? さっさと準備なさい! 時間がないのよ!」


 発せられた号令を耳に、生徒達は慌てて仕度を再開する。


「沙羅、貴女もよ……着替えなさい……髪も直さないと……貴女の髪は私が結います……さあ、座って……」


「ありがとうございます」


 来栖がブラシを手にし、私はドレッサーの前に座った。


「綺麗な髪……」


「……ありがとうございます……」


「カフェオレ……違った……ミルクティだったわね……ふふっ……」


 来栖がクスリと笑い、初対面の日に無意味な訂正をしたことを思い出す。


「何が起こったの? ジゼルが憑りつくなんてあり得ない……」


 髪を梳かしながら来栖。


「……あ、あの……狂乱の場を演じるうちに、手足が冷たくなって、息が苦しくなりました……貧血かと思って……そのうちに意識が……」


 私の作り上げた狂乱の場は、ジゼルが過去の思い出に逃げ込むものだった。

 偽りの幸福と優しさ。それだけが彼女の慰めであり、支えだったのだ。

 練習ではずっとそう演じ続けていた。

 だが、あの瞬間、冷気と激しい動悸が私を襲った。

 そして、それはジゼル自身の姿でもあったのだ。

 彼女は身体の異変から死を予感し、狂気から現実へと引き戻された。

 真実はあまりにも残酷で、彼女は絶望と恐怖にかられたまま死に至ったのだ。



 ―― ジゼルと心がひとつになった瞬間。



 指先にはあの時の感触が、未だ生々しく残っている。


(……練習ではこんなことなかったのに……)


 予想外のハプニングに戸惑う私。 


「そうだったのね……よかった……自然な演技で……ジゼルの悲しみがストレートに伝わって来た……もしかしたら……」


「……もしかしたら……?」


「貴女に付いているのは、……踊りの神様かもしれないわね……」


「踊りの神様!?」


「そう……努力した貴女に踊りの神様が味方になってくれたの……」


「そ、そんな……」


 容易に信じられることではない。


「さあ、できた! 白い花飾りを結った髪の下に付けました……」


 わっと、歓声を上げる、ウィリと村娘達。


「綺麗! ヨーロッパの森に住む妖精みたい!」


 と、鈴音。


 鏡を見る。

 ミルクティ色の髪に、金茶の瞳。細く長い手足。


(……妖精?……ううん、妖精と言うよりは……)


 白い衣装に、白い髪飾りを付けた姿は、初々しい花嫁のように見えた。


「生前のジゼルの面影を残した髪型にしました。……その方が、きっと沙羅のイメージに合う……貴女の踊りを見続けた私が言うのだから間違いない……思う存分やりなさい。自信を持って!」


「はい!」


 踊りの神様……。

 そんなものがいるのだろうか。

 もし、本当に存在するのなら、全力を尽くす者に味方するに違いない。

 私は彼らに相応しい舞踏を捧げなくてはならないのだ。


 幕間が終わる。

 私は心に決意を抱き、舞台へと戻っていった。


 



 

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