第24話  最後の一枚

愛菜まな! 晴哉なら、更衣室にいるからすぐに来るよ!」


 相山の声に、“愛菜”がハッと驚く。

 彼が私のすぐ隣にいたことに、気が付かなかったようだ。


「……あ、あの……」


 愛菜が気まずそうに下を向く。

 少し前の迫力が嘘のようだ。


「……愛菜? どうしてここにいるの?」


 廊下の向こうから杉田がやって来た。

 その姿を見た茉奈は、言葉を失い立ちすくんでいたが、


「晴哉……迎えに来たの〜」


 甘え声を出すと、杉田に走り寄り、腕を組んで体を摺り寄せた。

 彼女の豹変ぶりに、相山と私は呆然となる。

 目をらんらんと光らせていた山猫が、突如甘えん坊の子猫に変身してしまった。

 一体何が起こったというのか。


「……今、忙しいからダメだって言ったじゃないか……」


 叱ってはいるものの、杉田の声は優しい。


「だって、会いたかったんだものぉ〜」


 愛菜は、組んだ腕の力を一層強めると、勝ち誇ったような笑みを私に向けた。

 

(……な、何? 何が起こっているの?)


 突然のことに戸惑う私の前で、愛菜は一層強く杉田に抱き着く。 


「愛菜、痛いし、重いよ……じゃあね、沙羅ちゃん!」


「……お、おつかれさまでした……」


 杉田の挨拶に、作り笑顔でこたえる私。

 何事かと訝る間もなく、二人は体を寄せ合いながら退場していった。


「……まったく……我儘だなぁ……共演するたびに嫉妬してたらキリがないってのに……」


 呆れかえる相山。

 「杉田は団に彼女がいる」

 彼の言葉を思い出す。

 どうやら愛菜のことのようだが、何だか話が変だ。


「……嫉妬……? 誰が誰に嫉妬をするっていうんですか?」


「……えっと……いや……その……実は、晴哉の共演者が金髪の可愛い女子高生だって、話が広まっちゃって……沙羅ちゃんを見て、すぐわかったんだろうね……髪や目の色で……」


 ふ、ふみゅー!

 そんなことで嫉妬するなんて!


「相山さんの言う通りです……キリがありません!」


 でも、……誰がそんな噂を流したというのか?

 心当たりと言えば……。

 私が相山をチラ見すると、


「……ま、まあ! 早くチケット貰って帰らないと、事務室閉まっちゃうよ! さあ、早く!」


 テンションが妙に高い。


 疑惑は残るけれど、追及するほどのことではないし、まずはチケットを受け取るべきだろう。


 窓口で職員に渡された用紙に記入する。

 チケットを待つ間、相山は私の話し相手になってくれた。


「でも、無理もないか……晴哉と愛菜は、共演がきっかけで付き合うようになったから……それに、晴哉は、ほら、……あの通りだろ? 浮気するようなヤツじゃないけどさ……」


 私は杉田との初対面の日を思い出す。

 イケメンの上に口が上手い。

 ふむふむ……誤解する女子は多いかもしない。


「……でも、関係ない沙羅ちゃんに嫌な思いをさせちゃった……晴哉には話しておく……」


「……そんな……杉田さんには話さなくても……」


 確かに、共演者に嫉妬するなど大人げないことだ。

 でも、愛菜の視線には敵意さえ含まれていたのに、何故か憎めなかった。


 ――羨ましい……。


 彼女は不安で確かめに来たのだ。

 私を、恋人の心を……。

 そして、自分の気持ちを伝えに来たのだ。



 その夜、私は両親にチケットを渡した。

 祖父母、城山バレエ教室時代の仲間。岩永には郵送する準備を整えた。

 紬と絵美には学校で渡せばいい。

 牧嶋の分は来栖が用意する。


 あと、一枚……。


 結翔のための一枚。


 結翔は今厳しい状況に置かれている。

 彼が課題に専念できるように、私からは連絡を取らない様にしていた。

 最近は結翔からの連絡もない。

 彼も忙しいのだろう。


 このチケットを送るべきかと、迷わずにはいられない。


 忙しい中公演にくれば、彼の時間を奪ってしまう。

 来られなければ、罪悪感を持たせ、負担をかけてしまうかもしれない。


(……どうしよう……)


 チケットを封筒に入れられず、手を止めた時だ。


 ―― チリリン


 結翔だ。

 慌ててスマホを手に取る。


「もしもし!」

 

「こんばんは、沙羅ちゃん……夜遅くにごめん……今大丈夫?」


「うん! そんなことより、結翔さんこそ……」


「俺は平気……それより、沙羅ちゃん連絡くれないから、忙しいのかと思った……」


「……そ、それは……」


 結翔も私と同じ気持ちだった。

 互いに遠慮し、連絡を控えていたのだ。

 そのせいで寂しい思いをしたが、ようやく話すことができた。


「……沙羅ちゃん……あのさ……」


 結翔の口調が何か言いたげに重くなる。


「何?」


「……あのさ……」


「……何……?」


 どうしたのだろう。

 いつもの結翔らしくない。

 遠慮していると言うよりは、照れているようだ。


「……俺……発表会行ってもいいかな……?」


「え?」


「ほら……前、おさらい会の時はダメだったろ?……その……男は呼ばないの……?」


 一瞬、結翔の言葉が理解できなかった。

 何を言っているのかと。


 そして、


 ぷっ、


 っと、噴き出してしまった。

 確かにおさらい会は、狭いスタジオで出演者が女性だけだった。

 だから、共演者に遠慮して結翔を呼ばなかったのだ

 でも、今回は違う。

 ホールは広く席も十分にあるし、プロの男性ダンサーも出演するのだ。

 結翔には変わらず、“バレエは女性のもの”という考えが根付いているようだ。


「あ! 何が可笑しいんだよ! そこ、笑うとこ!?」


 笑いをかみ殺すも、結翔にはお見通しだ。


「……ううん……来てくれると嬉しい……でも、大丈夫なの?……だって……」


 結翔は受験前で、しかも父親の会社の問題も抱えているのだ。

 “待っていて欲しい”と言われた時の心の痛みが蘇る。


「大丈夫だよ!」


 きっぱりと言い切る結翔。


「……」


 不思議だ。

 あんなに笑ったばかりなのに……。


「……来てね……私頑張る……」


 涙声を抑えながら、ようやく口にした言葉。


「……沙羅ちゃん……?」


 スマホ越しに結翔の声が優しく響く。


「……ごめんなさい……嬉しくて……」


 嬉しくて何故泣くのだろう。

 

 結翔からの返事は無い。

 彼は今、どんな顔をしているのだろう。

 会いたい。

 今すぐ会って、確かめたい。


 私は言葉もなく、スマホを握りしめるだけだった。

 

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