第23話  狂乱の場

 水曜日、私はレッスンへと向かう。

 今日は一幕のラスト、『狂乱の場』を演じる。


 収穫を祝う踊りの輪に、ヒラリオンが突如乱入してくる。

 わざとらしくも、恭しくアルブレヒトに膝くと、不穏な空気に周囲がざわめく。


 “彼は何か誤解しているんだよ”

 アルブレヒトはジゼルを安心させようとするが、ヒラリオンが高価な剣と角笛を二人の前に突き出す。


 必死でその場を取り繕うとするアルブレヒト。

 

 村人たちは不信感を抱き、母親は不安に震える娘を抱きしめる。


 業を煮やしたヒラリオンが角笛を吹くと、立ち去ったばかりの公爵一行が戻って来た。


 婚約者の有様に驚く公爵令嬢バチルダの手に、アルブレヒトは接吻をする。


 瞬時にジゼルは二人の間を引き裂くが、バチルダの指に光る指輪に衝撃を受け、その場に倒れこんでしまう。

 そして体を起こすと、髪を振り乱したまま踊り始める。

 

 私は踊る。

 おぼつかない足取りで、誰かと腕を組んでいるかのように。

 無い花を散らす仕草をしながら、幸せな日々を思う。

 

 ―― 花占いの結果はどうだったかしら……?


 記憶を辿るが、思い出すことができない。

 どうしてだろう?

 だって、あの時は“二人は幸せになれる”と、アルブレヒトが言ったはずなのに……。


 絶望の中、慰める母親、ヒラリオン、仲間たち……。

 

 やがてジゼルは、アルブレヒトが隠し持っていた剣を取り、命を絶とうとするがヒラリオンに止められる。

 

 だが、病弱なジゼルの体は、踊り過ぎの為に限界に達していた。

 それに加え、アルブレヒトの裏切りが、心臓に強いダメージを与えていたのだ。

 慰めを求めて母親に走り寄るも、そのまま母の腕の中で息を引き取る。

 “お前のせいだ!” と、ヒラリオンを責めるアルブレヒト。

 だが、村人の冷たい視線はアルブレヒト自身に向けられていた。

 彼は、ジゼルの亡骸に取りすがろうとするが、母親と村人に拒絶される。

 従者に引きずられ、逃げるようにアルブレヒトは村を去っていった。


 残されたのは、物言わぬジゼルと、胸を切り裂く母親の慟哭、涙にくれる村人たち……。


 一幕の終了。



 長い沈黙。

 誰も言葉を発せず、待ち続ける。

 来栖が口を開くことを。


「……大分よくなった……演技も自然だし……」


 『狂乱の場』は、私にとって、一幕最大の難所だった。

 来栖の一言で、ようやく肩の荷が降りるような気持ちだ。

 杉田も相山も、ほっとしたような笑顔を私に向ける。


「どんな気持ちで踊ったの?」


「……あ、あの……ジゼルは、突然起こったことが信じられなかったんじゃないかと思いました……何故こんなことになってしまったんだろう……あんなに幸せだったのに……」


「……記憶を辿ったのね?」


「はい……ジゼルは、すぐには信じられなかったんだと思いました……現実が受け入れられなかったんです……」

 

 ジゼルは明るい娘ではあるが、心は強くない。

 心を引き裂くような悲しみから逃げ、自分の世界にこもってしまった。

 これが私の考える“狂気”だった。


 幸福の絶頂にいるジゼルを作り上げれば、それを失った絶望も理解できる。

 こうして私は役作りを深めていったのだった。


「……貴女なりの『狂乱の場』が作り出せたわけね……いいわ……この場面だけじゃなくて、全体的によく踊れるようになった」


「ありがとうございます!」


「……でもねぇ……なにか、こう物足りない……緊迫感と言うか……でも、まぁ、この調子でいきましょう!」


 そして、周囲を見渡しながら、


「チケットが出来ました。事務室で受け取ってください……一人十枚配布されます」


 と言った。


 こうして、今日のレッスンは終わった。


 更衣室を出た時、相山と鉢合わせる。


「やぁ、沙羅ちゃん。順調だね!」


「皆さんのおかげです!」


「……それにしても……来栖さんの“物足りない”がまた出たな……」


「……また?」


「そう、“また”! あの一言に泣かされたダンサーは星の数ほどいるんだ!」


「そうなんですか?」


「ああ……」


 相山が肩をすくめる。

 恐らく彼も、泣かされたダンサーの一人なのだろう。 


「沙羅ちゃんは気にしなくていい……来栖さんの言うことは、参考程度にね……もう本番間近だから、これからは自分のペースを大切にしたほうがいい……沙羅ちゃんは、順調なんだから……」


「わかりました!」


 相山の言葉は信じてよさそうだ。

 この調子でいけば、通し稽古もリハーサルも問題なく出来るだろう。

 今日はチケットを受け取って帰ればいい。


 前方に目をやると、事務室の前に女の人が立っていた。

 すらりと背筋の伸びた姿、綺麗な仕草。

 ダンサーのようだ。年齢は二十代前半ぐらい。

 

 彼女は、私達の足音に気づいて振り返ると、そのまま固まってしまった。 

 そして、射貫くような鋭い眼差しで、私達を凝視する。

 違う。

 彼女が見ているのは私一人。私だけを睨みつけているのだ。


「あ……あの……何か御用でしょうか……? お伺いしますが……」


「貴女が?……貴女が私に何を教えると言うの?」


 憮然とした口調。

 余計なお世話と言うところだろう。

 きっと、楡咲バレエ学校のOGなのだ。


「し、……失礼しました……」


 私が彼女に何をしたと言うのか。

 釈然としないまま謝罪をすると、


「……有宮沙羅さん?」

 

 女性が私に問いかける。


「……」


 容易に答えるべきか私は戸惑う。

 何故、彼女が私の名を知っているのかがわからないのだから。


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