第20話  軌道

 発表会を三週間後に控えた十一月の第二週。

 私達は日々レッスンに明け暮れていた。


「沙羅、空中でポーズを決めて!」


 来栖の檄が飛ぶ中、私は、二幕終盤の連続ジャンプの練習をしていた。

 ジゼルがミルタに花束を差し出し、アルブレヒトの命乞いをするが拒絶され、最後の力を振り絞って踊る場面だ。

 ダンサーの体力の限界とジゼルの悲壮感が重なる。

 恋人達の命を懸けたダンスに、観客は共感し、舞台へと引き込まれていくのだ。


「一番高い位置でアラベスクをして!」


「……は、……はい……」


 息が切れ、返事もままならない。


「……じゃあ、もう一度……ミルタに花を捧げるところから……」


 私は、緩やかな音楽に合わせて歩を進め、ミルタの前に花を捧げる仕草をする。


 そして拒絶。


 音楽は突如速度を上げ、ジゼルはワルツを踊る。

 ア・ラ・スゴンド(横)に足を上げながら、滑るように移動して、その足をアラベスク。


 移動しながら軸足で踏み切ってジャンプ。

 空中でアラベスク!


 ―― 決まらない……。


 自分の姿を見なくても、来栖の表情がそれを物語っていた。


「……今日は、ここまでにしましょう……来週から、バレエ団の男性ソリストと合流します……自分のパートを完成させておくこと! 次、ミルタに行きましょう……」


 「はい!」と、歯切れ良い声がし、私と入れ替えに光里が稽古場に立つ。


 光里の跳躍は高さも距離もあるために、楽々と舞台を一周することができた。

 しかも、私が苦戦している、空中でのポーズも決まっている。


 練習を終えた光里が私の所へとやって来た。

 ウィリの群舞の練習が始まり、私達は邪魔にならない様に端に寄る。


「光里のジャンプは綺麗……胸がすっとする……」


「ありがとう……でも、沙羅は精霊ウィリそのものね……こう……ふわっと上がる感じが……」


「……うん……でも、空中でのポーズが決まらなくて……」


「……そう?……うーん……」


 光里が考え込んでいる。

 彼女には私の苦労など理解できないのかもしれない。

 それでも何かを思いついたようだ。


「沙羅? ジャンプの時にイメージしてる?」


「イメージ?」


「うん……足を踏み切るときに、距離や高さ……頂点はどこか、どこに着地するのか……軌道をイメージしてるかな? 私はそうしてるけど……」


「そうなの?」


 踏み切るのは一瞬の事で、そんなゆとりはなかった。


「そうだ! ここで練習すれば? 見てあげる」


「ありがとう!」


 光里の助言を活かすために、さっそく練習に取り掛かる。


 突然イメージと言われても、どうしていいのかが分からないまま、一先ず試みることにした。


(ここで踏み切って、頂点はあの位置……)


 ジャンプの軌道をイメージしながら、私は軸足で床を蹴る。

 振り上げた足の先から上昇し、宙に浮かんだ体は跳躍の頂点へと向かう。

 その後、徐々に下降のラインを辿り、爪先、踵の順で床に着く。

 着地した足で床に押すようにプリエをし、後ろ足を伸ばす。


 ――ジャンプの終了。


(……出来ていたの……?)


 光里を見ると、彼女は黙したまま口を開かなかった。

 天真爛漫な光里が、私を見据え言葉を選んでいる。

 私にはそれが怖かった。


「……沙羅、ずっと良くなった!」


 しばしの沈黙の後、光里の声が明るく響いた。


「……沙羅、いつも通りでいい……十分できている……これ以上無理しないで……」


 光里は、私にプレッシャーをかけない方が良いと判断したのだろう。

 本番間近となれば、今できることの精度を上げるべきなのかもしれない。


 ……でも……。


「やっぱりジャンプは光里の方が上手……ポーズが絵になるもの……」


 私のジャンプは到底光里には及ばない。


 “ミルタに観客の心を持っていかれる!”


 来栖の言葉を思い出し、ひやりとする。

 このままで良いと言われても、満足していいはずがない。


 だが、光里は思いもよらない事を口にする。


「もっと自信を持って……沙羅のジャンプは……品があって優しい感じがする……将来、きっと人気が出ると思う……」


 ふ、ふみゅー!!

 

 将来人気が出るだなんて、ほめ過ぎだと思う。


「本当……繊細……というよりも、おっとりとしていて、ウィリになっても、温かい人間味が残っている……そんなジゼルなのね……」


「そんなことでいいの? ジゼルはこの世に未練をのこしたウィリでしょ?」


「解釈は人よる……精霊ウィリとしてのジゼル、アルブレヒトを愛する人間としてのジゼル……それぞれよ?」


「私は私でいいってこと?」


「そう……羨ましい……私は、役作りが苦手で……これからは沙羅を見習うね!」


 光里が屈託なく笑う。


「……そんな、役作りだなんて……」


 来栖のジゼルを思い起こす。

 過ぎゆく時を忘れさせる空中での静止ポーズ

 完璧なアラベスクだった。

 だが、感動を呼び起こすのは技術だけの問題ではない。

 彼女のジゼルが鮮明に心に残るのは、役の心を深く捉えているからだ。

 私は……。

 明るい村娘のイメージは掴めた。

 だが、狂乱の場、愁いをおびたウィリの姿。

 それぞれの場面を踊り分けなくてはならないのに、それが出来ずにいる。

 時間がない。


 来週にはパ・ド・ドゥの練習が始まる。

 そして、発表会はその二週間後なのだ。




 



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