第17話  女子会

 翌朝、カーテン越しの朝日で目覚めた。

 新しい一週間が始まる。

 でも……日曜日になっても結翔に会えることはないのだ。


 信頼を取り戻さなくてはならない。

 結翔は言っていた。

 思えば、私達の状況は似ている。

 私は父からの信頼を失ってしまった。

 気持ちの弱さが招いた過去の出来事。

 それが今もなお、私達を縛るのだ。

 だが、結翔の担う責任と、私のそれは比べ物にならない。

 しかも、私はどうすべきか、見当もつかずにいるのだ。


 放課後、いつも通りに稽古場へと向かう。

 自分がなすべきことをするために。

 たとえ将来さきがどうであろうと練習を重ね、発表会を成功させなくてはならない。

 学校と稽古場の往復で毎日が過ぎ、夜には勉強に励む。

 机に伏したままうたた寝をしては、何度も母に起こされた。


 私は“ジゼル”が掴めずにいた。

 彼女の気持ちが理解しきれない。

 病弱な少女の喜び。

 恋を失った悲しみ。

 裏切られてもアルブレヒトを助けようとした献身。

 理解できぬまま踊り続けていた。


 ある水曜日、私は紬から誘いを受けた。


「沙羅さん、今週の土曜日にスイーツビュッフェに行きませんか? 義父ちちから、招待券をもらったんです……ホテルのビュッフェです!」


「……あの……嬉しいけど……ごめんなさい……」


 好意はありがたいが、私は時期が時期で太るわけにはいかない。 

 だが、紬の気遣いに抜かりなどあるはずがなかった。


「大丈夫です。サラダやサンドイッチがあって、お食事が充実しているんです…… フルーツもたくさんありますよ?」


「……そうなの……?」


「だから、ぜひ! 沙羅さんとご一緒したいんです!」


 そういえばここのところ、学校とレッスン以外に出かけることがなかった。

 ホテルのビュッフェ……。行って見たい気もする。


「……ね? 沙羅さん?」


 紬が瞳をうるうるとさせて私を見上げる。

 その姿は掌の小動物のようで、抱き寄せて頬ずりをしたくなるほど。

 あまりの可愛らしさに、私の心が揺れる。


「……じゃぁ、お言葉に甘えて……」


「これで決まりですね!」


 紬が嬉しそうに手を叩いた。

 こうして私達はスィーツビュッフェへと行くことになった。


 スィーツビュッフェは、庭が見渡せるホテルのラウンジで催されていた。

 窓から陽光が差し込み、客たちは思い思いに好きな食べ物を皿に乗せていく。


「わ……このシーフードサラダ美味しそう! このレタスとトマトのサンドイッチ綺麗! 冷製パスタ! あ、苺にマスカットも!」


 私達は嬉々として皿に食事やデザートを盛り付けていくが、紬の皿にはケーキのたぐいがほとんどない。


「ごめんなさい……私のせいで……」


 紬は私に合わせたのだから、申し訳ないと思う。


「気にしないでください……私、ここに来たかったんです……素敵なラウンジですし、お食事も美味しいいし……あ、ケーキを取ってきますね。一つを二人で分ければ、たくさんの種類が食べられます」


 紬はそう言って席を立ち、すぐに数種類のケーキを皿に乗せて持って戻って来た。

 ケーキは小ぶりで、紬の言う通り半分にすれば数多くつまめそうだ。

 スイーツビュッフェの醍醐味は、目で楽しみ、あれこれと試すことにある。

 食べること自体は二の次と言っていい。

 席はゆったりとしているし、お茶は飲み放題だから、久しぶりにゆっくりと話ができそうだ。

 今日は二人きりの女子会。

 普段できないおしゃべりを存分に堪能できる、滅多にない機会だ。

 心ゆくまで楽しもうと、私は密かに心に決める。


「主役を踊るそうですね……」


「そうなの……でも、責任重大……」


「沙羅さんならばきっとやり遂げます」


「……ありがとう……」


 今日は来てよかったと思う。

 紬と話すのは楽しいもの。


 ……でも……

 こんな話をしたら、楽しい気分に水を差してしまうだろうか……。

 私は躊躇った。

 でも……紬にしか聞けないことがあるのだ。


「……」


 ほんのひと時、私は食事の手を止めた。


「……沙羅さん……」


 つぶらな瞳がやさしく潤む。

 私の気持ちを察しての事だろう。


「……ごめんなさい……せっかく誘ってくれたのに……」


「いいえ……大切な話ができなくては、お友達じゃありませんから……」


 紬が小さく囁いた。


「……結翔さんのことですよね……大丈夫……元気です……でも……」

 

「……でも……?」


「……学校から戻ったら、部屋に籠りきりなんです……まるで、あの頃みたいに……食事も部屋に運ばせて一人で食べてるんです……」


 家に閉じこもり、外出を一切しなかった結翔。

 私の知らない彼の過去は、紬にはとって苦い思い出だろう。

 紬はしばらくの間俯いていたが、顔を上げると苺の唇に笑みを浮かべた。


「……でも、大丈夫です! 学校には行っていますし……朝晩の挨拶もしてくれるんです……」


「……あのね……紬ちゃん……結翔さんは何かやりたいことがあるって言っていたの……だから、閉じこもっているのはそのせいかもしれない……」


「えっ? やりたいことってなんですか!?」


 期待に瞳を輝かせ、紬が身を乗り出して来た。


「う、……うん……私も何も知らないの……でも、心配する必要はないと思う……」


「……よかったぁ……結翔さんには目的があるんですね……」


「そうなの……だから信じてあげて……」


 そうは言うものの、私自身不安は拭いきれない。

 自分を認めさせるためにすべきことがあると、結翔は言っていた。

 私はそれを信じているし、信じたいと思っている。

 それなのに……。


「沙羅さん?」


 呼びかけられて、紬と目が合う。

 優しい眼差しに見つめられ、心が静まっていく。

 私は初めて会った日から彼女が大好きだった。

 華奢で細い指、豊かな黒髪に苺のような唇。

 紬は人形のように可愛らしい少女だった。


 でも……私が惹かれたのは、紬の外見だったのか。


 違う。

 彼女からにじみ出る仄かな温かさだったのだ。

 言葉にしなくても伝わる優しさ。


 知り合ったばかりの頃、私は彼女の生い立ちを知らなかった。

 紬はそんな素振りも見せずに、自分のことよりも人に心を配っていた。

 そういう心根は自然と伝わるものだ。

 紬の思いやりが心に入り込み、心がほわりと温かいものに包まれる。

 結翔は今どうしているのか。周囲の無理解に苦しんでいないか。

 不安の芽は摘んでもなお芽生え、気づけば棘あるいばらのように茂る。

 だが、温かい微笑みが、それらを祈りの言葉へと昇華していった。


 ――あ……。


 この気持ち……。


 ―― ジゼル!


 体が弱く、働くことも出来ず、大好きなダンスも禁じられていたジゼル。

 でも、明るい性格が誰からも愛されていた。


 彼女はどんな日常を過ごしていたのだろうか。

 仲間が働いている間、一人家に残されたジゼル。

 その間、どんな気持ちでいたのか。

 

 人を思いやり、働く仲間を案じ、無事を祈ったのではないか。

 そして、共に踊る時間を大切にしたのではないのか。

 そんな少女だからこそ、村人達に愛されたのだ。

 心はジゼルと一つになり、初めて純朴な村娘を理解することが出来た。

 それは、私が自分だけのジゼルを見つけた瞬間だった。


「……沙羅さん……?」


 紬が心配そうに私を見ている。


「あ、あはは……ごめん……お食事に見とれちゃった……」


「そうですね……いただきましょう!」

 

 「いただきます」と、私達はサンドイッチを口に運んだ。

 

 ラウンジを出ると、別れの挨拶も早々に、私はバレエ学校へと向う。

 そんな私を紬は何も聞かず笑顔で見送ってくれた。

 彼女の思いやり、優しさには感謝せずにはいられない。

 ロッカーには予備のレオタードとトゥシューズがある。

 私はジゼルのイメージを掴もうとしていた。

 いや、まさにジゼルが私の中にいるのだ。

 それを自分の物にするために、すぐにでもレッスンに打ち込みたかった。

 

  



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