第16話  盟友

 課題を抱えつつも、発表会の練習は順調に進んでいった。

 自分の実力に対する不安と、「何とかなる」という楽観的な気持ちが同居する中、私は日々を過ごしていった。


 発表会の練習開始から三週間が経った日曜日。

 私はいつも通りに、ポットと菓子皿を用意して結翔を待った。

 

「……今年は後、何回空中庭園で勉強が出来るかな……」


 フェンス越しに、色づく街路樹を眺める。

 十月は、あと数日で終わろうとしていた。


「沙羅ちゃん、結翔さんが見えたわよ」


 母の声に、私は階段を駆け下り結翔を迎え入れた。


「いらっしゃい、結翔さん!」


「こんにちは沙羅ちゃん……どうかした……?」


 私はいつの間にか結翔を見つめていたのだ。


「……あ、えっと……日焼けがまだ残っていると思って……」


「ははは……もう一か月経つのにね……あと少しだよ……」


 結翔が笑う。


 私達はガゼボへ行き、素早くテキストを広げた。

 予習は済ませてある。

 結翔と会える貴重な日曜日。

 時間を無駄にすることなく、大切に過ごしたい。


「……ねえ、沙羅ちゃん……学校の勉強はどう? スペイン語の……」


「結翔さんのおかげで、もうすぐ追いつきます……先生から、“短期間で頑張りましたね”って褒められました……」


「……そう……よかった……」


「……結翔さん?」


 口調がやや硬く、いつもの朗らかさがない。

 彼の様子がおかしいことに、私はようやく気が付いた。


「どうかしたんですか?」


「……沙羅ちゃんの勉強も一段落付いたことだし……しばらくの間、スペイン語のレッスンを休みたいんだ……」


 突然の事だった。

 結翔のスペイン語のレッスンは、私が学校に授業に追いつくためのものだ。

 だから、目的が果たされた今、それを終わらせても不思議はない。


 ……でも……。


「……しばらくの間だよ……俺、受験もあるし……それに……やらなくてはならないことがあるんだ……」


 結翔は忙しい中、私のために時間を作ってくれていたのだ。


「……ごめんなさい……私、もっと早く気を利かせればよかった……」


 私の胸に不安がよぎる。

 結翔と会う度に浮かんでは消え、確かめようとしながらも、避けてきたことだった。


「結翔さん……あの……私とこうしていることで何か言われた事ありませんか?」


「そ、そんなことは……」


 結翔が口ごもり、私は自分の勘が正しかったことを知る。

 彼帰国した日、麗奈がスペイン語のレッスンを中断するように、主張したことを思いだした。

 結翔に忠告をしたのは麗奈一人ではなく、他の人にも言われていたのだ。

 

「……私、結翔さんに迷惑かけていたんですね……」


「そんなことない! 全部俺の責任なんだ……俺が今までしてきたことが原因なんだ……沙羅ちゃんのせいなんかじゃない!」


「……でも……」


「この前も言ったよね? 俺は信頼を失ってしまった……だから、それを取り戻さなくちゃいけない……大学に入るのは当然で、それだけじゃ駄目なんだ……」


 そう言えば……。

 以前、結翔は考えがあると言っていた。


「……受験だけなら、ここでこうしていても何とかなる……でも、それ以上の成果を上げる必要がある……」


 結翔は私に、「甘えてもいい」と言った。

 でも、今はその時じゃない。

 彼はずっと私を励ましてくれていた。

 今度は、私が結翔を見守る番なのだ。彼を信じなくてはならない。


「わかりました……でも……どのくらい待てばいいんですか?」


「……ごめん……それは分からない……でも、出来る限り早く終わらせる……」


 瞼がぼうっと熱くなり、涙が零れそうになるのを堪える。

 結翔の肩には重い責任がのしかかっているのだ。

 私に彼を助ける手立てはないが、せめて困らせるようなことはしたくない。


「……結翔さん頑張ってください……そして、またスペイン語を教えてください……」

 

 声の震えを抑え、笑みを浮かべる。

 私に出来る最大の笑顔。


「もちろんさ……スペイン語は奥が深いんだ……だから、いつまでも勉強し続けることができる……いつまでも会うことができるんだよ……」


 私は再び気になることを見つけてしまった。

 でも、今尋ねるのに相応しいことなのか。

 躊躇いながらも、言葉が口をついて出る。


「あ、……あの……結翔さんがここへ来るのは、スペイン語を教える為だけですか? ……そ、その……もし、スペイン語を教える必要がなくなったら?」


 何という質問をしてしまったのだろう。

 結翔を困らせないと決めたばかりなのに。


「そ、そりゃ……沙羅ちゃんに会いたいからだよ……」


 結翔の口から聞きたかった言葉。

 私に会いたい。と。

 頬が熱を持ったように熱く、頭がくらくらする。


「……だから、沙羅ちゃん……どうか待っていて欲しい……」


 泣き顔を見られないように俯く私に、手が差し出される。


「……え?」


「握手!」


「あ、……あの……」


「同盟だよ! お互いに頑張ろうって……」


 結翔は照れて、少し恥ずかしそう。

 私はおずおずと、差し出された手を取る。

 会うことがなくとも、互いの存在を感じ合い、それぞれの課題に励む。

 私達は共に誓い合うのだ。


「これで同盟成立だ!」


「結翔さん、頑張ってください」


「ありがとう……沙羅ちゃんも……」


 街路樹の色づく晩秋の日曜日。

 こうして二人は密かに盟友となったのだった。


 


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