第15話  役割

 翌日から光里が代役となってミルタを踊ることになった。

 光里は飛ぶ。高く、豪快に、ダイナミックに。疲れさえ見せずに。

 だが、それは過ぎるほどだった。


 ジゼル第二幕の舞台は、訪れる者もいない夜の森。

 ウィリは、そこで踊る精霊。言い方を変えれば、亡霊と言ってもいいだろう。

 生前果たせなかった無念や暗い情念を、死後も抱えながら踊る。


 そして、光里演じるミルタは、彼女達をべる女王なのだ。

 冷徹に命令を下し、男達を躍らせた挙句、死に追いやる。

 

 それなのに……。


 光里のミルタは、あっけらかんと陰影が無く、演技力の乏しさは私をはるかに上回っていた。

 女王としての、風格や威厳が全く感じられず、春の日差しを浴びた雲雀ひばりのように宙を舞う。

 ウィリは朝日と共に力を失う精霊なのに……。

 咲良の持つ、厳かさ、重厚さは欠片もなかった。

 役柄から言うと、光里はミルタに全く向いていない。

 向き不向きが、これほど左右される演技を私は初めて見た。


「……ねぇ……光里って、ペザントの方がよかったんじゃない?」


 飛び跳ねる光里を見ながら、鈴音がため息をつく。


「う……ん……でも……もう、そういう話は止めない?」


 鈴音に悪気は無いのだが、こんな話をした直後に咲良が怪我をしたのだから、縁起の悪いことは避けたい。


 来栖が額に手を当て、しかめ面をしている。

 選択を誤ったことを後悔しているようだ。

 光里の演技がこれほど酷いとは思わなかったのだろう。

 だが当の光里は、周囲の思惑を気にすることも無く、毎日元気に飛び回っていた。

 光里がジャンプをすると、誰もが目を見張る。

 高く、胸のすくような爽快な跳躍。

 最早これは個性と呼べるものではないか。

 やがて来栖も光里を受け入れ、それを尊重するようになった。


 だが、来栖は私の側へとやって来ると、


「……いい? 沙羅……このままじゃ二幕は飛蝗ばったみたいにぴょんぴょん跳ねるミルタに、観客の心を持っていかれます! しっかりなさい!」


 と、私だけに聞こえるように囁いた。


 それは困るし、とても嫌だ。

 だが、私は光里のジャンプに見惚れるだけだった。



 一方、私はといえば、二幕のレッスンが始まっていた。


「沙羅、パ・ド・ドゥのソロパート踊って……」


 「はい」と返事をして、私は五番ポジションでプレパラシオン。


 音楽が流れる。

 ジゼルはアルブレヒトを守るために、自分の墓のかたわらに立たせる。

 墓に添えられた十字架が彼を守ってくれるからだ。

 だが、ミルタはジゼルにアルブレヒトを誘惑するように命令を下す。

 ジゼルは逆らうことが出来ず、ヴィオラの音色に合わせ踊り始める。

 

 ク・ドゥ・ピエした爪先を、軸足に沿わせながら引き上げ、膝に付けルティレへ。

 その足をア・ラ・スゴンド(横)へ高く上げ静止ポーズ

 上げた脚を下ろして、一番ポジションを通りながら、後ろへ上げてアラベスク。

 そして、プロムナードで方向を変える。

 プロムナードは、軸脚を床から離さずに回る動きのことだ。

 踵をずらしながら移動するのだが、この時ポーズが崩せない。

 男性舞踊手に支えてもらいながらのやり方もあるが、このパートでは一人でする。


 ゆっくりと丁寧に、重力を感じさせないように動く。

 ウィリは精霊で、空気みたいな存在なのだから。


「ふーん……」


 踊り終わると、来栖がほんの少し口の端を上げた。


「……やっぱり、沙羅はこっちの方がよかった……」


「え?」


「……うん……合ってる、ウィリ役……ぎりぎりまで堪えながらポーズを作るのだけれど、動きが自然……しっとりと情緒的で……ピュア……すごくいい……」


「……あ、ありがとうございます!」


 来栖が私を認めてくれた。

 頬が緩みそうになるのを、私は必死でこらえる。

 束の間の喜び、安堵。

 だが、それに浸る時間はない。

 彼女はすぐに新しい問題を投げかけるのだから。


「……でも、……やっぱり深みが無い……貴女はどんなジゼルを踊りたい?」


「……あ、あの……」


 実のところ、私にはジゼルの気持ちが理解できずにいる。

 裏切られたショックで命を落とした彼女が、なぜアルブレヒトを助けたのかが。


 来栖のジゼルは生前の記憶に苦しんでいた。

 苦悩が深い程、アルブレヒトへの献身が尊いものとなる。

 それが来栖の作り上げたジゼルだった。


「沙羅……貴女は一幕も二幕も、ジゼルのイメージが掴めていない……このままじゃ、“きれいだったね”で終わってしまう……観客に感動を与えられないし、心に残らない……」


「……は、はい……」


 でも、どうすれば役の心がつかめるのか。

 私は思案するばかりだった。


 気が付くと、熱心に鈴音が私を見ている。

 何事かと休憩時間に尋ねると、


「うん。ほら、いざって時には代役が必要でしょ!」


 と、けろりと言った。


「……ちょ、ちょっと! 縁起でもないこと言わないで!」


「冗談だってば! 沙羅の踊りが素敵だから見ていたの……丁寧よね……ウィリをよく表現している……沙羅は高度なことをさりげなく出来る……羨ましい……私はどうしても大袈裟になってしまって……」


 自分の踊りは地味だと悩んでいたので、鈴音がそんな風に思ってくれていることが嬉しかった。


「……でね……しっかり研究しようと思って……私も沙羅みたいに踊りたいから……それに、何があるか分からないし……」


「後の方は、無いことを祈ってね……あはは……」


 複雑な気持ちになるけど、鈴音には悪気は無いのだと自分に言い聞かせた。


 その翌日には、アントルシャ・トロワ・シャッセの練習に取り掛かる。


 アントルシャと言うのは、両足で踏み切り、真上に飛んで空中で足を組み替えるジャンプだ。


 足を入れ替える回数により呼び名が違う。


 アントルシャ・カトル:空中で一度交差して、元の五番ポジションで着地する。


 アントルシャ・シス:カトルと同様に飛び、空中で二度足を交差する。

 着地時の足のポジションも同様。 


 そして、私が今練習しているのは、アントルシャ・トロワ

 アントルシャ・カトルと同じように垂直に飛び、空中で一番にし、前後の足を変えてク・ドゥ・ピエの状態で着地をする。


「沙羅、ク・ドゥ・ピエのポジションは、ちゃんと守って! 体を引き上げる!」


 ク・ドゥ・ピエした足を伸ばし、ターンをしながらシャッセ。

 シャッセというのは、先に出た足を、もう一方の足で追いかけるようなステップのこと。ポーズの間の繋ぎのような動きだ。


 これを繰り返しながら進んでいくのだが、テンポは速く、ステップは細かい。

 正確に踊るのは、やはり難しい。


「大変なのはわかるけど、ここはちゃんとやって!」


 熱を帯びる来栖の声。

 ジゼルが愛する人アルブレヒトへと駆け寄る場面だ。

 列になった村娘の前を、舞台を横切って一人踊る。

 観客の注目が集まる中、決して気を抜くことができない。


 私は定位置に戻ると、再び踊り始める。

 もう、この場面を何度練習しただろうか。

 息が切れ、体が重い。

 でも、私は踊らなくてはならない。


「沙羅、大分よくなりました……でも、貴女ならもっとできる。頑張りなさい!」


「……はい!」

 

 苦しい呼吸いきを抑え、私は返事をする。


 もっと上手くなりたい。

 最高のジゼルを観客に届けるために。

 どれ程苦しくても練習を続けたいと、私は思った。




 ※ アントルシャと数について。


 カトルはフランス語で4、シスは6、トロワは3と言う意味ですが、この数字は、踏切から着地までの、足の動きをカウントしたものです。

 

 偶数では踏み切った時と同じポジションで着地し、奇数では足を変えて片足で着地します。


 ※ペザント・パ・ド・ドゥ

 ペザントとは農民や村人という意味で、葡萄の収穫を祝う場面で踊られます。

 若い男女による、素朴で活気あるダンスです。

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