第14話 女王の代役
発表会の練習開始から、三週目の月曜日。
私も他の生徒も来栖の指導に慣れ、稽古は軌道に乗り始めていた。
だが……課題は山積みだ。
一番の問題は、私の踊りが地味な事。
「沙羅! 貴女よりも村娘の方が目立ってます!」
今、私は狂乱の場を演じている。
アルブレヒトの不実を知ったジゼルが、錯乱した末に絶命する場面だ。
村人たちがなす術もなく見守る中、ジゼルは絶望の中死へと向かう。
心が壊れるほどのジゼルの悲しみを表現するのだが、演技の苦手な私にとって大きな難所の一つだ。
さじ加減が難しいのだ。
体を伏したまま、ちらりと背後を窺えば、大きく目を見開き、悲しみに悶える鈴音がいた。
「そこの村娘、顔をすぐに伏せなさい! 正面向かないで! (……それでなくても
いつしか鈴音の個人指導となり、私は彼女の演技を見物する。
……が……。
上手いのだ。演技が。
顔を伏せる仕草、肩を震わせ嘆く姿。
すべてが様になっている。
このままでは、主役は村娘・鈴音になってしまう。
私は本気で危機感を覚えた。
来栖は顔をしかめながら側に来ると、私の耳元で囁いた。
「ま……いいわ……沙羅。やり過ぎるよりはね……本番では貴女は中央に出るし、照明も当たるから、村娘のあざとさも目立たない……でもね、それに甘えちゃだめ……もっと主役らしくなさい!」
「は……い……」
思わぬ伏兵の出現に、私の課題がまた一つ増えた。
自身の演技の不得手さ加え、演技過剰な村娘がいるのだ。
鈴音に負けないためには、自分の実力をアップさせるしかない。
次に来栖は二幕のウィリの指導を始めた。
私と鈴音は端に座ってそれを見学する。
「ね、ね……沙羅! 来栖さん私の事なんて言ってた?」
期待に目を輝かせる鈴音に、“あざとい”とは言えない。
「えっ、とね……村娘に負けない様にって……」
「そう? やっぱり来栖さんは私のこと認めてくれているのね!」
「あはは……そうなのかな……ほら、二幕の練習が始まるから……」
二幕
まずはミルタの登場だ。
二幕はミルタのソロから始まる。
ミルタがローズマリーの枝を手に、厳かにウィリ達を呼び起こす。
「咲良はミルタ役が合ってる……女王らしい威厳が感じられるもの……」
「本当に……咲良は子供の頃から、楡咲の優等生だったんだ……」
「そうなのね?」
咲良は、私立の進学校に通う十六歳で、学年は私と同じ一年生だと鈴音が言った。
バレエと学業を両立させる、文武両道の女子高生。
性格は真面目で、やや強め。
練習前のお喋りに加わることもなく、黙々とストレッチをしているのが常だ。
しっかり者の彼女は、厳格なミルタのイメージによく合っていた。
咲良、鈴音、光里は、子供の頃から楡咲バレエ学校で研鑽を積んでいる。
それを差し置いて私が
(……いけない……人と比べるなんて……)
やがてウィリの群舞が始まる。
光里はウィリの一員として踊っていた。
「……やっぱり、光里は目立つ……ねぇ、もし、光里がミルタ役だったらいいと思わない? ジャンプが得意だし……」
鈴音の言うとおり、光里のジャンプは素晴らしい。
高さがあって、キレが良くて、見ていると爽快な気分になる。
「うん……そうかも……でも、今は咲良が踊っているから……」
ウィリの群舞の終盤、再びミルタのソロが始まる。
高い跳躍が何度も続き、あと一つで終わるという時だった。
着地した瞬間、咲良が足を滑らせ、そのまま転倒してしまった。
“バン”と鈍い音と共に、悲鳴をあげるウィリ達。
「大丈夫!? 咲良!?」
来栖が駆け寄ると、青ざめた咲良が頷いた。
顔を歪ませながらも、必死に痛みを堪えている。
かなり辛そうだが、彼女がそれを口にすることはなく、歯を食いしばりじっと堪えていた。
「誰か! 事務室へ行ってドクターの手配してもらって!」
彼女は来栖と咲良に質問をした後、タクシーと病院の手配をしてくれた。
どきん。
怪我をした日の記憶が蘇る。
あの時の痛み、恐れ、もう踊れなくなるのではないかという不安。
決して忘れることなど出来はしない。
完治したはずの足が、熱を持ったように
「……大丈夫? 沙羅……顔が青い……」
「……平気……それより、咲良、怪我していないといいね……」
「……そうね……」
鈴音の顔も僅かに青ざめている。
スタジオに陰鬱な空気が立ち込め、重くのしかかるようだ。
レッスンは中断された。
翌日の休止を告げられ、待機が命じられる。
生徒達の動揺を配慮した来栖の判断だった。
黙したまま、家路を辿る
誰もが咲良の病状を案じるとともに、我が身を振り返る。
決して他人事ではなく、いつ自分に降りかかっても不思議はないのだから。
レッスン再開の知らせが届いたのは、水曜日の夜だった。
自宅の電話に連絡があり、「明日からレッスンを再開します」と、職員に告げられる。
穏やかながらも事務的な口調からは、咲良の状況を知ることは出来ない。
気持ちを和らげようとお茶を淹れる。
立ち上る湯気を見つめ、いつしか私は祈っていた。
(……どうか……咲良の怪我が軽いものでありますよう……)
と。
木曜日の放課後、バレエ学校に到着すると、稽古場はざわざわとした空気に包まれていていた。
じっと来栖の言葉を待つウィリ達。
「……先日、咲良が怪我をしました……ドクターの診断は捻挫でした……軽い捻挫……骨には異常はなかった……十日ほどで完治します」
わっと、歓声上がり、咲良の軽傷を喜ぶ声が、
「……でもね……残念だけど、今回の発表会は諦めてもらった……軽い捻挫と言っても、油断は禁物なの……だから、大事をとって役を降りてもらうことにしました……」
私は鼻の奥がツンと痛くなった。
あんなに一生懸命練習をしていた咲良が役を降りるのだ。
どれ程悔しいだろう。
「……それで、代役を立てます……光里……
光里に視線が集まるも、当人はぽかんと口を開けたまま。
「ほら、光里! 返事!」
鈴音が光里の背中を叩くと、光里がぴょこんと跳ね上がった。
「あ、は、はい……やらせていただきます!」
「よろしく……咲良の代理はそう簡単には務まらないわよ!」
来栖は光里を奮い立たせ、同時に、担う責任の重さを知らしめる。
「はい! 頑張ります!」
ウィリの女王ミルタ。
こうして、光里は代役を務めることになったのだった。
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