第12話  言葉1

 月曜日になり、日常が始まる。

 私は放課後バレエ学校へ行き、ジゼルを踊るが来栖の反応はかんばしくない。

 何日もヴァリアシオンを踊り続け、そこから進むことはなかった。


「沙羅! アラベスクは上体をもっと引き上げて!」


「沙羅! ステップは軽く! 人の話聞いてる!? 何度も同じこと言わせないで! その耳は何のために付いているの!?」


 苛立つ来栖の声が稽古場に響き、それはレッスンの間ずっと続いた。


 冒頭から演技力を求められる場面が続くというのに、ヴァリアシオンの練習しかしていない。

 日に日に私の焦りは深まっていった。




 金曜日。

 レッスンの後、自主練をしたいと教師に申し出ると、「一時間だけならば」と許可を得た。

 この時間ならば遅すぎるということはないし、翌日は土曜日なので、ゆっくり休むことが出来る。

 自主練の後は私が消灯と戸締りをし、それを職員が点検してくれる手はずとなった。


「我儘言って申し訳ありません……」


 教師に頭を下げると、「時間を守るように」と、念を押される。


「……でも……誰もいないと心細い……」


 自分の一人の稽古場は、物音ひとつしない。

 まずは音楽無しで踊ることにした。

 同じところを繰り返し練習するには、その方がいい。


 移動をしてプレパラシオン。

 アラベスク。

 ジャンプをしながら方向を変えて静止ポーズ

 それを繰り返す。


 その時、背後でかさりと物音がした。


「……だ、誰?」


 恐々と振り返ると、


「沙〜羅〜!」


 鈴音だ。 

 にこにこと笑いながら、手を振っている。


「驚いた!……どうしたの? 鈴音も自主練?」


 こんな時間に何事だろう。


「まさか! 見学。私は群舞だから、合わせる相手がいないと練習する意味がないもの」


 と、ころころと笑う。


「……でも、どうして見学? 夜遅いのに……」


「うん……私、家近いし、それに……じっくり見たいの……沙羅の踊り……何故沙羅が選ばれたかを知りたい……」


「納得できた?」


「……うーん?」


 首を傾げる鈴音に、思わず私は吐息をつく。


「……違うみたいね……しょうがない……だって、私は踊れていないんだもの……」


 レッスンを始めて以来、来栖に言われ続けたこと。

 村娘らしくない。可愛らしさが足りない。

 話を聞いていない。

 

 指摘されたところを直そうと努めたが、来栖が首を縦に振ることはなかった。

 私の踊りは彼女の要求に応えていないということなのだ。


「そんなことない! 沙羅は踊れている……」


 と、鈴音が言いかけた時、みしりと廊下がきしむ音。


「だ、誰!?」


 体を寄せ合う鈴音と私。


「じゃ〜ん!」


 背の高い少女が顔をのぞかせる。光里だ。

 彼女はバレエ学校から自転車で十五分ほどの所に住んでいる。

 北海道の出身で、親戚の家に下宿をしながら通っているのだ。


「なぁ〜んだ! 人を驚かせて! 趣味悪っ!」


 鈴音がぷっと膨れた。


「何が“なぁ〜んだ”よ! 出し抜こうたってそうは行かないから! 私も沙羅の踊りを研究しに来たの!」


 二人の熱心さには驚くが、残ってくれて助かった。

 一人でレッスンするよりは、誰かいた方が心強い。


「沙羅って意外と元気よね? ……あれだけ厳しくされて、もっと凹んでるかと思ったけど……安心した……」


 光里の言葉に、鈴音がこくりと頷く。

 二人の表情かおは優し気で、私を気にかけているのがわかる。

 練習に付き合ってくれたのも、きっとそのためなのだ。

 申し訳なく思いながらも、心がほっこりと暖かくなる。

 

「でも……? 何かいいことあった? それで元気になったんでしょ?」


 意味ありげな光里の言葉に、鈴音が興味津々と私を覗き込む。


「……いいことだなんて……」


 空中庭園での会話を思い出し、私は口ごもる。

 結翔は、私を優しく励ましてくれた。


 ふみゅー。

 は、恥ずかしい。

 私のことなんてお見通しなのね……。


 しばらくの間、二人は私をからかっていた。

 自主練を邪魔されながらも、人がそばにいてくれる事がうれしかった。


「……あのね……沙羅……」


 鈴音が落ち着いた口調で話し始める。


「あのね……さっきも言ったけど、沙羅は踊れている……でも、音楽にも振り付けにも意味があるのだけれど……沙羅にはそれが読み取れていないかも……」


「そ、……そうなの……?」


「……振り付けも音楽も、役柄を表現している……それを大切にすれば、自然とジゼルらしくなるはずなの……特に沙羅は容姿や雰囲気が合っているから尚更……」


 本当なのだろうか。

 私はいつだって、役の気持ちを懸命に考えてきたはずだ。

 だが、それが出来ていなかったということか。


「……うん、前のめりに考えるだけじゃなくて……少し引き気味にして……聞き取るの……作曲家が、振付師が何を言いたいのかを……振り付けも音楽も、彼らの“言葉”だから……」


(言葉……?)


 振付や音楽が言葉だなんて、考えたことさえなかった。

 それに、どうすれば聞き取ることができるのか。

 自分には見当もつかないことだった。


「一時間経ちました」


 終了時間を告げる職員の声。


「わっ! すみません!」


 私達は慌てて戸締りをし、タオルと飲み物を手に更衣室へと走り出た。




 週末、私はイヤホンを耳に音楽を聞き続けた。

 ジゼルのヴァリアシオンは、葡萄の収穫を祝う晴れの日に踊られる。

 仲間からの祝福を受け、幸福に酔いしれるジゼル。

 明るい調べは、そんな彼女の気持ちを表現したものだ。

 旋律メロディーもリズムも振り付けも、全て頭に入っている。

 それなのに、まだ理解が足りないというのか。

 

「沙羅ちゃん、もう、遅いから早く休みなさい……明日から学校でしょ?」


 母の声に時計を見れば、とうに就寝時間は過ぎていた。

 

 「もう寝ます」と返事をし、私はベッドにもぐり込むのだった。





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