第11話  新しい私

「一幕のヴァリアシオンを踊ります!」


 私は稽古場の隅へ行き、そこから回るように移動をして定位置へと向かう。


「……ちょ、ちょっと待って!」


 突然呼び止められる。

 踊るどころか、歩いただけなのに。

 何事だろう。


「硬い! 呼吸いき止めてない? もっとゆったり……呼吸に合わせて……」


「は、……はい!」


 私は再びスタンバイをして、深呼吸をした後、息を吐きながら歩きだす。

 来栖を盗み見ると、不満気な顔をしているものの、ストップはかからない。

 さっきよりはマシということか。


 定位置につくと、スカートの裾を摘まむ仕草で準備のポーズプレパラシオン


「ストップ! ……全然良くなっていない……貴女が今踊っているのはジゼル……素朴な村娘なの! お姫様じゃない!」


 自分はそのつもりだった。

 姫君ではなく、村娘を演じているつもなのだ。


「……言っている意味がわからないようね? 可愛らしさがない……おおらかと言うよりは、鷹揚おうようなの……それにね、今ジゼルがどんな気持ちでいるか想像したことある?」


「あ……その……踊ることができて、喜んでいるんです……」


 禁じられていたダンスを許される場面だ。

 踊る喜びを体中で表現しなくてはならない。


「そう……その通り……でも、貴女からはそれが感じらない……」


 自分は精いっぱい演じているつもりなので、彼女の言葉はショックだった。


「貴女は、まだ私が見るレベルに達していません……しばらく一人で練習してください」


 来栖のストレートな物言いに、私は動けなくなってしまった。

 ここまで否定され、どう踊れというのか。

 だが、来栖は私の気持ちなどお構い無しに、レッスンを続けた。


「さぁ……次!……ミルタを見ます!」


 「はい」という返事の後、ミルタ役の咲良が定位置につく。

 私は彼女に場所を譲り、稽古場の隅で一人練習を始めた。


 私の踊りを見ずに、何が分かると言うのか。

 何がどう悪いのかを、具体的に指摘して欲しかった。

 

 稽古場中央では、咲良がミルタを踊っている。

 ミルタはウィリの女王で、威厳をもって仲間達を統率する。

 アルブレヒトの命を奪うために、ジゼルに彼を誘惑させる冷酷さをも併せ持つ。

 咲良の踊りは品が良く、ジャンプが得意なのでミルタ役にぴったりだ。


「いいです……この調子でいきましょう。でも、油断はしないように……本番まで練習を続けてください……」


 咲良は元々ミルタに合っていたのか。

 ジゼルを踊る実力が自分には足りないのか。

 すっきりしない気持ちを抱えながら、私は一人練習を続けた。


 練習の後はいつも通りのスケジュールが待っている。

 帰宅をして、勉強をして眠りに就く。

 疲労感よりも、気持ちの落ち込みの方が強かった。

 それでも、踊り疲れた私は、いつしか眠りに就いていった。


 その日以来、私のレッスンは思わしくなかった。

 来栖は渋い顔をするだけで、何が悪いのか、どうすればいいのかを教えてくれない。

 汗が冷たく体に纏い付き、体力だけが消耗していく。

 吐く息が苦しくて、体温が下がっていくような気がした。


 どうすればいいのか。

 自分は主役なのに、このままではその役割を果たせない。

 何の進展もないまま、最初の一週間が過ぎていった。


 日曜日。

 スペイン語のレッスンのため、結翔が家を訪れた。

 吹く風が心地よく、屋外で過ごすには格好の秋日和だった。

 勉強が終わると、いつも通りにお茶の時間が始まる。

 茶を淹れながら、ミルクを入れるか、ストレートで飲むかを迷う私。

 甘いミルクティは魅力的だが、琥珀色の水色を損なうのも惜しい。

 深く澄んだ茶の色は、落ち葉の季節を先取りするかのようだった。

 時が、季節が過ぎていく。

 何も掴めない自分を追い越していくかのように。


「……沙羅ちゃん?」


「……え?」


 結翔を前に、私はいつの間にか思案に耽っていたのだ。

 待ち望んだレッスンの最中だというのに。


「あ、ごめんなさい……ぼっとしちゃって……あはは……」


 作り笑いを浮かべる私を、結翔が静かに見つめ、その時間はいつまでも続くようだった。

 何故か気まずく、私はカップに視線を落とす。

 沈黙を先に破ったのは結翔だった。


「……何かあった?」


「そ、そんなことは……」


「何かあったんだね?……悩みがあるなら話して欲しい……」


「あ、……あの……」


 結翔は忙しい中、無理をして空中庭園に来ているのだ。

 彼を困らせるようなことはしたくない。


「沙羅ちゃん……この前は、俺の話を聞いてくれただろ?……それなのに、俺には話してくれないの?」


 テーブルに肘をつき、少し上目づかいで私を見つめる結翔。

 言葉は優しく暖かで、隠し事をする自分が不実に思えた。


「……あの、いいですか? 少しだけ……」


 結翔が笑顔でこたえ、私はひと口茶を飲んだ後、話を始める。

 ここ数日の間、頭を離れなかった私の悩み。

 主役に抜擢されながらも、成果を出せずにいることだ。

 何が悪いのかさえ理解できず、他の生徒から取り残される焦り。

 自身を危ぶむ気持ちと、周囲に対する申し訳なさ。

 少しだけと言いながらも、話はとりとめなく続き、自分でも何が言いたいのか分からないほどだった。

 だが、結翔は遮ることなく、最後までそれを聞いてくれた。

 話し終わる頃には、肩の荷が下りたように、ほっと気持ちが安らいでいた。


「そっかー! それは大変だったね……」


「……『白鳥の湖』では悩んだけど、今回とは比べようもなくて……今まで私は何をしてきたんだろうって……」


「……それは違うよ……沙羅ちゃんは今まで一生懸命やって来た……でもね、物事って、……その都度新しい気持ちで取り組まなきゃいけない……それに、悩みが深くなったのは、沙羅ちゃんが成長したせいだ……今の沙羅ちゃんは過去の沙羅ちゃんじゃないんだ……」


「わかりま……し……」


 と、言いかけた時、涙が零れ落ち、私はそれを抑えることができなかった。


「……わっ!……沙羅ちゃん! ……ごめん! 偉そうに! 俺、何もわかってないのに!」


 結翔が慌ててハンカチを差し出す。


「……ありがとう……」


 白い布に顔を埋め、私は泣いた。


 嬉しかった。

 努力を否定されなかったこと。

 ジゼルに挑戦する勇気を与えられたことが。


 これまでの経験や練習は、決して無駄にはならない。

 大切な財産と言えるだろう。

 でも、新しい役を踊るには、新しい自分にならなくてはならない。

 私はそれを結翔に教えられたのだった。


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