第4話  幕間

「ふみゅージゼルが〜!!」


 私は赤く目を腫らし、ロビーに立ち尽くす。


「沙羅ちゃんお待たせ!」


 牧嶋から紙コップに入った珈琲を渡される。


「……す、すみません……」


 ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、私は頭を下げる。

 珈琲のほろ苦さに、ようやく気持ちが落ち着いた。


「平気だから……ほら、ごらんなさい……」


 牧嶋が辺りを手で示すと、泣きはらした女性がチラホラと視界に入る。

 どうやら私だけではなく、誰もが衝撃的な舞台に心打たれたのだ。

 ほっと息とつくものの、やはり申し訳なく再び詫びる。


「……でも、……斬新なジゼルですね……初めてです」


「そう、沙羅ちゃんにもわかったでしょ?……普通のジゼルと違うこと……」


「普通のジゼル……あ、そうです! やっぱり違うんですね?」


 ジゼルの解釈は様々だが、私が今まで見たものは、一幕では可愛らしく幸せなジゼルばかりだった。

 多分それが一般的で、十代の少女達にとっては理解しやすい役柄と考えられている。

 だからコンクールや発表会などでたびたび踊られるのだ。


 それなのに……。


「見ていてハラハラしました……ジゼルが純粋過ぎて……危うく見えたんです……」


「そう……ジゼルは確かに体が弱かった。でも、来栖夕舞はそれ以上に、ジゼルの心にも錯乱に陥る原因があったという解釈をしているの……」


 そうなのだ。

 あの明るさ、素直さ。すべてに危惧せずにはいられなかった。

 体が弱く、村人達と仕事に行くことの出来ないジゼル。

 愛されながらも、仲間はいなかったのではないか。

 一人孤独で、心に独特の世界を持っていたのかもしれない。

 だからこそ、アルブレヒトにあれ程夢中になってしまったのだろうか。

 

 来栖は彼女独自のジゼルを作り上げた。

 彼女の演技は悲劇を予感させつつ加速し、一幕ラストの狂乱へとつながる。

 ジゼルの死に涙しながらも、不思議な納得感があった。


「……仮に頭の中でイメージできても、実際に踊るのは困難よ……」


 牧嶋の言葉に、私は来栖の正確なステップを思い出す。

 確実な基礎と技術に裏打ちされてこその表現力なのだ。


 開演前、牧嶋の意味ありげな素振りが理解できた。

 これは夢物語ではない。

 壮絶な人間ドラマなのだ。


 ぶるっと体が震える。


 私はこれから来栖の『ジゼル』第二幕を観ようとしている。

 果たして自分は何を目撃するのか。

 

 開幕五分前の鐘が鳴る。


 期待と恐れを胸に、再び座席へと向かうのだった。

 

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