第61話  【エピローグ】 ー夏の風吹くー


 梅雨明けが待ち遠しい七月の下旬、私と結翔の壮行会が催された。

 場所は結翔の実家。

 招待客は私と私の両親、紬と彼女の母親、それと牧嶋だった。

 壮行会提案をしたのは紬で、結翔父親が家を提供してくれた。


 私は水色のワンピースを着て、髪をハーフアップにした。

 紬はラヴェンダーの服に、髪を上げている。

 結翔の父親は若々しく穏やかな人で、紬の母親は知的な雰囲気の女性だった。

 楽しげに話す四人は、すでに家族のように見えた。


 食卓では私と結翔は並んで座った。


「……でも……よかったですね。……お金が戻ってきて……」


 嬉しいことだが、不思議でもある。


「本当に!」


 気がかりではあるものの、考えないことにしよう。

 せっかく設けられた会なのだから、今日は存分に楽しみたい。


「沙羅ちゃん……庭に出てみない?」


 結翔が提案し、私達は庭へと足を運んだ。


「……素敵なお庭……」


 梅雨の晴れ間、雨露を含んだ木々や芝生の緑が目にしみるようだ。


「そうだね……でも、そんな風に感じたのは、今日が初めてかもしれない……」


 結翔が、眩しそうに目を細めて庭を見渡した。


 確かに初めてこの家に来たとき、霧雨の降る暗い庭が怖いとさえ思った。

 あの日、私が心細い思いをしたように、結翔もずっとそんな気持ちでここを眺めていたのだろうか。


 でも今は、草木の緑が、夏の訪れと新しい日々を予感させる。


「紬ちゃんのお母さん……秋絵さん……優しそうな人ね……」


「うん……父には今度こそ幸せになって欲しいと思う……」


 結翔が記憶たどるように言う。


「母との結婚が不幸だったとは言わない……でも、辛いことは多かったはずだ……愛する人がずっと病気で苦しんでいたから……母もだよ。寝たきりで何もできなかった分、俺を父の役に立つように教育したんだと思う……」


 結翔の言葉に耳を傾ける私。


「それでも、母には自分自身の生きがいを見つけて欲しかった。俺のためじゃなくて……」


「……」


「でも、これからは秋絵さんがいる。紬も……俺も頑張るよ」


「結翔さんのお母様も喜んでくれます……」


「うん」


 “結翔さんを見守ってあげてください”

  

 私は、そっと結翔のお母様に祈った。


「……スペインに行けるようになってよかったですね。素敵な旅になりますよ……」

 

 許されるための旅ではなく、心から楽しめる旅に。


「そうだね。歩いて、いろいろな人に会って、いろいろな経験をしたい。それに、実際に巡礼をすれば、アルベルゲを知ることができる。……いつか自分で作りたい……巡礼者達が安らげる宿をね……」


「たくさん見て、目に焼き付けてきてくださいね!」


「ああ!」


 この夏私たちは旅に出る。

 結翔だけではない。私もモナコでたくさんのことを学ぶだろう。

 

「沙羅ちゃんに初めて会った日、踊りを見た日、この子は自分自身の夢を持っている子だって分かったんだ。……それをずっと追いかけて欲しい。俺も応援する……あのね……沙羅ちゃん……」


「はい?」


 私が結翔に向き直った、その時だった。


「結翔、沙羅ちゃん……お父様が記念撮影をしましょうって!」


 牧嶋が現れた。


「……あ、あら……? お邪魔だった?」


 何故か困惑する牧嶋。

 結翔はやや戸惑った後、すぐに牧嶋に向かい、


「……大丈夫です……牧嶋さん……時間はたっぷりありますから……」


 と言った。

 

 そして私に向き直ると、


「ね? 沙羅ちゃん? ……これからもよろしく……」


 と、天使の笑顔を向けた。


「……は、はい……」


 事態が飲み込めないまま返事をする。


 牧嶋に続いて私達を呼ぶ声が室内から聞こえた。


「今行きます!」


 結翔は返事をすると、


「……沙羅ちゃん……」


 私に手を差し伸べた。


「はい!」


 頬に触れる風が夏の訪れを知らせる。


 私は結翔に手を引かれ、庭から室内へと戻っていった。







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