第59話  未来へ

 四人の候補者の中で留学が許可されたのは真希だった。

 長年の夢を叶えた喜びに、真希の笑顔が輝いている。

 留学に関する細かい指示は後から出されるようだ。

 

 残された三人にはデュカスからアドバイスが与えられる。


 悔し涙を堪える候補者達。


(悔しい……)


 全力を尽くしたとはいえ、やはり負けたのだ。

 自分が劣っていたわけではない。

 真希が素晴らしかったのだ。

 でも……悔しい。


 二人は助言を受けると笑顔で礼を言い、その場を立ち去って行った。


 そして私の番が回って来た。


 デュカスは顎に手を添えて、しばらくの間考えていた。

 そして、沈黙が続いた後、ようやく口を開いた。


「……シソンヌのところ……少し上体の動きが硬かったし、角度が甘いかな……それと練習不足だね?」


 やはり私の練習不足は見抜かれていた。


「あと……全体的に地味かな?」


 気を使って言っているのがわかる。

 この場から逃げ出したい気持ちだ。


「……でもね。五番の足で立つ時、ク・ドゥ・ピエから膝へ引き上げる時、ステップがすべて基本通りだった。とても綺麗だよ……この踊りはね、基本を守ることでしか表現できないんだ。君はそれができていた……」


 と、にっこりと笑った。


 そして、


「ありがとう。楽しい2分間だった。伝わってきたよ。オーロラ姫のハート。未来を夢見るオーロラ姫だね。人間的な温かみが感じられたよ!」


(あ……伝わった……私の踊りが! 心が!)


 自分は選ばれなかった。

 だが心を伝えることが出来たのだ。

 これ以上の喜びがあるだろうか。


 そしてデュカスは思いもよらぬことを言った。


「私が教師を務めるモナコのバレエ学校で、この夏にサマースクールが催される……参加する気はあるかい?……ダンサーとして成長するためのヒントを与えられるかもしれないよ……」


 と、もう一度笑顔を見せた。


 振り返ると、牧嶋の顔がぱぁっと明るくなって、自分の身に何が起こっているのかがわかった。

 喜びがじわじわと込み上げてくる。


(信じられない……でも、夢じゃない!)


 モナコのバレエ学校のサマースクールを受講できるのだ。

 きっと、素晴らしい経験ができるだろう。


「よ、よろしくお願いします!」


 気づけば私は既に返事をしていた。



 オーディションから数日後。

 渡欧のアドバイスを受けに牧嶋の元を訪れた私は、真希に出会った。

 彼女も自分と同様の理由でスタジオに来ていのだ。


 留学を奪われた悔しさが、真希の旅立ちスタートを祝福する気持ちへと変わっていく。


「……おめでとう……頑張ってね……」


 と言うと、


「はい……」


 初めて真希は私に笑顔を向け、互いに微笑み合う。


「……真希さんは背が高くていいね……踊りのスケールが大きくなるもの……何センチあるの?」


「……174センチです。沙羅さんは?」


「……うん。昨日測ったら、165センチだった。四か月で1センチ伸びてた……170cmあるといいね……海外のダンサーは皆そのくらいだから……」


「でも、沙羅さんは今のままで素敵です……骨格は日本人離れしているのに、しなやかで繊細な動きが日本人そのものだもの……」


 思いもよらぬ真希の誉め言葉に驚くと同時に嬉しくもあった。


「ありがとう……」


 会ったことの無い曾祖父の血と、祖父母の代から暮らした日本の文化。

 それが今の私を作っているのだと思うと、感慨深いものがあった。


「私、留学が終了したら、モナコのバレエ団の入団試験を受けるつもりです。斬新なコンテンポラリーダンスを踊りたいんです!」


 真っすぐに前を見据える真希の瞳は、來未を思い出させた。

 今、來未はロンドンで研鑽を積んでいることだろう。


 真希はバレエ団所属の教室に所属していない。

 だから、自ら道を作るのだと私に言った。


「頑張って……私も負けない! いつか留学もしたい……それから……」


 それから、どうするのか。

 自分は、ただ好きなだけで踊ってきた。

 これからは明確な目標を持たなくてはならない。

 真希の真摯な眼差しが私の心を熱くする。


「夏休みが終わったら、沙羅さんはどうするんですか? 楡咲バレエ学校へ?」


「……うん、ようやく準備が整ったの……これ以上ブランクは作れない……本格的に復帰しないと……」


 私が三月まで通っていた、バレエ教室の教師城山は、楡咲バレエ団の元ソリストで、私がバレエ学校へ入学できるようにと助力してくれた。


 夏休みが終われば、牧嶋バレエスタジオを離れ、楡咲バレエ学校へ移籍する。

 

「私、沙羅さんをお手本にしていました……沙羅さんの踊りをもっと見ていたかった……」


「……」


 言葉もなく目を伏せる。


 私と真希はすれ違いにモナコへ旅立つ。

 当分会うことはないだろう。


「それにしても、沙羅さんにガツンと言われたときは効きました……」


「えっと……お願い! あの時のことは忘れて……私も後悔しているの……」


 笑い合う真希と私。


 離れ離れになっても、再び会う日が来る。

 踊り続けていれば……。

 四人の候補者の中で留学が許可されたのは真希だった。

 長年の夢を叶えた喜びに、真希の笑顔が輝いている。

 留学に関する細かい指示は後から出されるようだ。


 忙しくも充実した日々が続く中、私は自室のベランダから身を乗り出し【左側】を見る。


 だが、主のいない部屋に明りが灯ることはなく、ただ暗闇があるばかり。

 

 喜びを共に分かち合いたい人が、今ここにいない。

 一抹の寂しさを抱えながら、私は窓をカーテンで覆った。

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