第57話  オーデション

 いよいよ候補者たちがヴァリアシオンを踊る。

 私はクラッシック・チュチュを身に着け自分の番を待った。

 一番初めは、涼やかな瞳の少女だった。

 特別レッスンを許可された彼女は、スタジオの精鋭部隊の一員なのだろう。


「吉村加奈です。『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』を踊ります!」


 チャイコフスキーパ・ド・ドゥは、名前の通りチャイコフスキー作曲。

 元々は『白鳥の湖』のために追加して作られたが、現在は独立した作品として世界中で踊られている。


 アレグロのテンポに乗って、細やかなステップが連続する一方、腕と上体を使って優雅なしなやかさを表現しなくてはならない。

 難易度の高いヴァリアシオンだ。


 音楽が終わり、息を抑えながら吉村が退場した。


 続いて二人目が登場。


「金沢由美です! キトリのヴァリアシオンを踊ります!」


 はきはきとした口調が気持ちよい、やや小柄な少女だ。


 キトリは『ドン・キホーテ』の主役の名前。

 ヴァリアシオンは三幕の結婚式の場面で踊られるものだ。

 陽気な町娘キトリをリズミカルに演じなければならない。

 扇子を手に操る姿が独特だ。


(……音楽にぴったり合ってる……スピードが上がっても基本が崩れない……)


 果たして自分がここにいていいのかと、心に迷いが忍び込む。


(だめ……弱気になっちゃ……)


 自分を奮い立たせる。


 そして……。

 真希の番がやって来た。

 彼女の手にはタンバリンがある。


『エスメラルダ!』


 真希はエスメラルダを踊るつもりなのだ。


「近藤真希です。『エスメラルダ』のヴァリアシオンを踊ります」


 硬く乾いた声が発せられる。

 だが、不安も恐れも、緊張すらも感じられなかった。


(……ものすごく集中してる……)


 私は真希の気迫に気圧(けお)されそうだった。


 『エスメラルダ』は同名のバレエ作品の主役の名前で、原作はヴィクトル・ユゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』。

 美貌のジプシー、エスメラルダの波乱の生涯を描いた作品だ。

 このヴァリアシオンは実際の舞台で踊られることはない。

 コンクール用に振り付けられたものなのだ。


 小刻みに震える金属音と共に、真希が舞台中央へと現れる。

 そしてタンバリンを前に突き出しポーズ。


 切れのよい動きが途切れることなく繰り返される。


 浅黒い肌の真希は、情熱的なジプシー、エスメラルダそのものだった。

 加えて長い手足が、一つ一つのポーズを印象的なものにしている。


 脚をア・ラ・スゴンドに高く上げた後に下ろすときの滑らかさ。


 ――パシャン!


 上体を反らしながら、手にしたタンバリンを背中に回し、後ろに上げた脚の爪先で打ち付ける。


 強靭な肉体に並外れた運動神経。

 真希だからこそできる技術テクニックだ。

 他の候補者たちも呼吸さえ忘れ見守っている。


 曲調はエキゾチックな哀愁を帯び、真希はステップを踏みながら緩やかに移動する。


 そして最大の見せ場。

 片足を上げたまま、膝を伸ばす動きを利用して爪先でタンバリンを打つのだ。


 ――パシャン!


 続けて三回打った後、脚を上げたまま軸足でターン。

 それを三度繰り返す。


 動きに少しのブレもなく、上げた脚の高さも申し分ない。

 完璧なエスメラルダだった。


 最後は、高いジャンプの後にポーズ。


(……す、すごい……!)


 真希は変わった。

 雑な印象は失せ、ダイナミックさだけが残ったのだ。


 どこからともなく失意の溜息が聴こえる。

 無理もない。

 初めの二人も素晴らしかったが、真希には到底及ばないのだから……。


(……どうしよう……)


 自分が何のために来たのかが分からなくなってきた。

 真希どころか、残りの二人にも及ばないのだから。

 もう、モナコ行きは真希に決まったようなものではないか。


「……じゃ、じゃあ……次は、えっと……沙羅ちゃんね?」


 牧嶋が躊躇っている。

 私のモチベを気遣っているのだろう。


 だが……。


 自分は最善を尽くさなくてはならない。

 牧嶋の好意を無駄には出来ないのだ。


 私は前に進出る。


「有宮沙羅です。オーロラ姫のヴァリアシオンを踊ります」


 


 



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