第48話 誤解
「私は結翔さんの義妹なんです」
紬の言葉は、私の予想を超えたものだった。
「正式にはまだですけど……私の母と、塔ノ森のおじ様が近々結婚するんです……」
「……おめでとうございます」
事情はわからないけれど、おめでたいはずだ。
でも……紬の表情は曇っていて、手放しで喜べないのがわかる。
それに、そんな時期に結翔が家を出たのも不自然だ。
「麗奈さんも結翔さんの幼馴染です……結翔さんが二人の結婚を反対して家を出たと信じています……」
「そんな……本当なの?」
「……わかりません」
「結翔さんは、お母様と仲が良かったのよね?……それで、そんな噂がたってしまったのかしら?」
「……」
紬は唇をきゅっと噛みしめた後、言葉を選びながら話し始める。
「……仲がいいとか悪いとかいう以前に、縁が薄かったというか……結翔さんのお母様は体が弱くて、結翔さんが小さいころから入退院を繰り返していました……お父様が忙しいこともあって、結翔さんはほとんど使用人に育てられていたんです……」
結翔がそんなに寂しい子供時代を過ごしていたなんて、少しも知らなかった。
「でも、おば様はとても教育熱心な方でした……厳し過ぎるくらいに……とくに亡くなる数年前からはいっそう……結翔さんは家庭教師について勉強をしていましたが、全ておば様が直接面接をした
結翔は学業優秀だと聞いたことがある。
バイトに明け暮れていたから不思議に思っていたが、そのせいだったのだ。
「……今思えば、あの頃からご自分が長くないことを悟っていらしたのかもしれません……結翔さんは、おば様が亡くなってすぐに体調を崩しました。それで学校に行けなくなってしまったんです。何日も自分の部屋に閉じこもって、食事も運ばせて、誰にも会おうとしませんでした。部屋に入ることができるのは、家庭教師だけでした。結翔さんは閉じこもった後も、勉強を続けていたんです……おば様の遺志を大切にしたかったのかもしれません……」
紬が悲しそうに俯き、私も一人部屋で勉強を続ける結翔の姿が目に浮かんで、胸が痛くなった。
「……そんな中、母と塔ノ森のおじ様の結婚話が持ち上がって……結翔さんが家を出たのはその頃です……」
紬はアイスティーをストローでかき回しながら、グラスを眺めた後、
「お医者様が“環境を変えてみてはどうか”と勧めてくださったからなんですけど……でも、それが母と私が中傷される原因になってしまいました……」
と言った。
「松坂さんのお父様と紬ちゃんのお母様は、同じ会社にお勤めよね?」
絵美は麗奈の父親が重役で、紬の母親が秘書だと言っていた。
「……はい。麗奈さんのお父様は、おじ様の部下ですが、プライベートでは学生時代からの友人で仲がいいんです」
その二人の子供が同じ学校だなんて、神様の悪戯とは、こういうことを言うのだろう。
「本当だったら結翔さんは大学に入って、おじ様の仕事を継ぐ勉強をするはずでした……それなのに、……家を出てしまって……」
「お父様の再婚を反対して?」
「そう噂する人は少なくありません。無理もありません。おば様が亡くなって一年も経たずに結婚話が持ち上がったのですから……」
「でも……」
「もっと酷い噂もあります。私と結翔さんが異母兄妹だと……」
「そんな!」
「麗奈さんもそれを信じています」
「……そんな……」
「もちろん違います! 母は友達を裏切るような人じゃありません! 塔ノ森のおじ様だって……麗奈さんは思い込みが激しいんです……」
紬が力強く否定する。
「それは……」
普段の麗奈を見ていれば嫌でもわかることだ。
「……でも、私の父親が誰かわからないことは事実です。母が決して口にしないので……私も会ったことがありませんし……」
紬は一息つくと、アイスティーを口に含み、私は次の言葉を待った。
「……結翔さんの悪い噂は耳に入っています……ほとんど家を出ないとか、近所の人から変人呼ばわりされていたとか……それで留年してしまったんですけど……でも、今は元気だと聞いてほっとしているんです……」
「結翔さんは元気よ……スペインに行きたいって……それで一生懸命お金を貯めているの……」
「……スペインへ? ……旅行するんですね? もう、そんなに良くなったんですね?」
紬の瞳に光が宿り、声が期待に上ずる。
「それが本当なら、家に戻ってくれるかしら?」
「……」
言葉が見つからない。
結翔が一番嫌なことは家に戻ることなのだから。
それで、飢えて倒れたことを秘密にするように私に頼んだのだ。
「……だめなんですね? やはり再婚に反対しているのかしら? 噂を信じているのかしら?」
紬の瞳から光が消え、悲しみの色に染まる。
今にも泣きだしそうだ。
「……結翔さんは優しい人でした……母が仕事で遅い日は、結翔さんの家で一緒に夕飯を食べようと誘ってくれました……休みの日には一緒に出掛けたり、勉強を見てくれたり……その他にもいろいろと気を使ってくれました……」
結翔も寂しかったのだ。
だから、紬の気持ちがわかって、放って置けなかったのだと思う。
紬は私よりもずっと前から結翔を知っている。
その分悲しんだり、悩んだりしているのだ。
二人の子供時代が目に浮かぶと、不思議な親近感が湧いてきて、紬がずっと前からの親友だったような錯覚を覚えた。
「……紬ちゃん……結翔さんと話をした方がいい。このままでいいはずがないもの……」
「そのつもりです。結翔さんと直接話をしたいんです……」
「……わかった。私からは話さない……何も知らないフリをする……」
「結翔さんのことをよろしくお願いします。なにかあったら教えてください」
紬が同じ言葉を何度も繰り返し、私は、結翔と紬の家族皆が幸せになれるように祈った。
翌日の昼休み、絵美の待つ屋上へ行こうとすると、
「有宮さん!」
呼び止められ、振り返ると麗奈が立っていた。
「桐谷さんと何か話をした? あの人には近づかない方がいいわよ。貴女は何もわかっていない! 桐谷さんがどんなに酷い人か……私は知っている。だから、皆があの人に騙されないように気を配ってあげていたのに……どうして私の善意が理解できないの!?」
「……松坂さん……決めつけるのは良くない……」
「貴女に何が分かるっていうの!?」
顔を強張らせたまま麗奈は引かない。
「で、でも……根拠もないのに……」
この話は、おかしなことばかりだ。
まず、結翔が根拠のない噂を鵜呑みにするなんて考えられない。
噂を信じ、妹のように可愛がっていた紬を嫌うこともないだろう。
結翔が家を出た理由はきっと他にあるはずだ。
話し合いは別の機会にしたほうがいい。
結翔も交え、なるべく早く場を設けるべきなのだ。
「……ごめん……絵美が待っているの……また後で……」
今、麗奈と話をしても堂々巡りになるだけ。
逃げるように先を急ぐ私の足を、甲高い声が止めた。
「結翔のことを一番理解しているのは私よ! だって、婚約者ですもの!」
(……えっ?……今……何て……?)
振り返ると、勝ち誇る麗奈の姿が目に入り、私は頭の中が真っ白になった。
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