第47話  あにいもうと

 あの日から。

 麗奈と紬の諍いに巻き込まれた日から、私は麗奈のグループを抜け、昼休みを絵美と過ごすようになっていた。

 絵美はずっと前から、誰もいない屋上で昼食を食べていた。

 こんな気持ちのいい場所を、独り占めしていたことが羨ましい。

 屋根のある部分もあるので、雨の降る日でも大丈夫だ。


「あ〜気持ちいい〜」


 なんでもっと早くこうしなかったのだろう。

 ここでは、黒い靄の代わりに、心地よい風が吹いている。


「……」


 絵美は黙ったままで、私からも話しかけない。

 絵美のお気に入りの場所に押しかけてしまったのだから、これが私の示せる精一杯の誠意だ。


 休憩が終われば授業に戻る。

 誰も。

 誰も。

 何も言わない。


 私は何を怖がっていたのだろう。

 心に問うも、風の音が耳をかすめるだけ。


 ……でも、気がかりなことはある。

 紬はどうしているのだろうか。

 もっと気にかけてあげればよかった。


 初めて会った時から、私は彼女が大好きだった。

 紬の小さな手に、小さな声、綺麗な黒髪に苺のような赤い唇。

 彼女が私と距離を取ろうとしたのは、私への思いやりだったのだ。

 怪人の誤解はいつか解ける。その時に、自分のせいで私がクラスで孤立してしまうことを憂慮したのだ。

 この心配りは、結翔と通じるものがあると思う。


「なぁに? またお節介役つもり?」


 と、絵美。


 さすがに鋭い。

 お見通しだ。

 

 絵美から話しかけてくるのは珍しく、私は質問を試みる。


「……松坂さんの鞄の内ポケットに茶封筒が入っていたのが何故わかったの?」


「前にね、似たようなことがあったから……松坂さんが“無い無い”って騒いで、鞄のあの場所から出てきたことがある……その時もうやむやになった……彼女のご両親が、相手の親と話をつけたみたい。松坂さんのお父さんが学校に多額の寄付をしているから、学校も逆らえないってわけ……」


 クラスメイトたちが、麗奈の紬への態度を黙認していたのはそのせいかもしれない。


 それにしても……。

 うっかりだ。

 お金が無くなったと騒いだり、紬が盗ったと決めつけたり。

 結翔が紬のせいで出て行ってしまったということも、単に麗奈の思い込みかもしれない。

 もしそうなら、これは許されない【うっかり】だ。


 『誤解です!』


 紬は弱々しくも、毅然とした態度で、決して麗奈に屈しなかった。

 結翔とはどんな関係なのだろうか。

 彼のことを心配しているのではないか。

 もしそうならば、結翔が元気に暮らしていることを伝えたい。

 私は、紬と会って話さなければと思った。


 放課後、絵美と一緒に校門を出ようとしたとき、


「……今日はここで……」


 と、絵美が視線を前に向けたまま言った。


「え?」


 絵美の視線の先にいたのは紬だった。


「じゃあね、面倒に巻き込まれるのは嫌なの……」


 そう言って絵美は立ち去り、後には私と紬が残された。

 

 夜の湖のよう瞳が、じっと私を見つめている。


「あの……」


 紬が何かを話そうとしているけど、ここじゃない方がいい。


「紬ちゃん……どこか落ち着いたところでお話ししましょう」


 私の言葉にこくりと紬が頷く。


 私達は、電車に乗って三つ目の駅で降り、少し歩いた所にある喫茶店に入った。

 学校の人に見られないように移動したのだが、その間、二人が言葉を交わすことはなかった。


 私がアイスティーを注文すると、紬が「同じものを」と言った。

 紬は口を結んだままで、私は彼女が話し始めるのを待った。


 やがて……。


「……結翔さんお元気ですか?」


 小さな声が零れて落ちた。

 

「……元気よ……」


「よかった……あの……おかしいと思っていますよね? 私が結翔さんのことを知っていること……麗奈さんのことも……」


 私は、結翔の『知り合いがスペイン語で苦労した』という言葉を思い出す。 

 そうなのだ。知り合いというのは、やはり紬のことだったのだ。

 

「結翔さんと紬ちゃんは、ずっと前から親しかったの?」

 

「……幼馴染でした。母親同士が友達だったんです。友人関係は私たちが生まれた後も続いて、私と結翔さんも自然と仲良くなりました。でも、今は……私は結翔さんの義妹(いもうと)なんです」


 『義妹』


 結翔と紬の関係は、私の思いもよらないものだった。


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