第46話  諍い

「……痛い〜」


 翌朝、私は筋肉痛と共に目覚めた。

 原因は踊り過ぎだ。

 

 ダウンした私が、床に座り込むと、

 “大丈夫!?”と、結翔がスポーツドリンクを持って駆け寄ってきた。


 調子に乗り過ぎた。

 

 男の子は入会を決意した。


 『頑張れよ、好きなことなんだから!』


 結翔が、男の子の肩をポンと叩くと、男の子が『はい!』と、元気よく返事をした。

 結翔の励ましが、男の子の背中を押し、それを見る私の胸もじんと熱くなった。


 ……でも……。


 今日は学校に行くのが辛い。

 体は痛いけど、筋肉痛のせいじゃない。

 原因は他にあるのだ……。


「有宮さん、チャリティ募金の集金です」


 そう。目の前にいる麗奈。

 彼女がそばに来ると、気持ちがどんよりと曇るようだ。


「……あ、持ってきました……お疲れ様です……」


 暗い気持ちを隠してお金を渡す。好き嫌いを表に出すのはよくないから。


 麗奈は、募金の集金等、クラスの用事を自ら進んで買って出る。皆の役に立ちたい人なのだから、感謝すべきなのだ。


 でも……。


 紬に誰かが話しかけようとすると、鷹のような視線を向ける。

 まるで紬を孤立させるために見張っているようだ。

 それを見ると、黒いもやに包まれたように心が苦しくなる。


 その日の放課後のことだった。

 私と絵美は、事務室で荷物の到着を待っていた。


「まったく……教材注文したのを忘れて宅配業者を追い返しちゃうなんて……しかも、“職員会議があるから受け取りお願い!”なんて……」


 絵美がぼそりと言い、


「本当に……せめて自分の受け取れる時間に頼んで欲しい……」


 私が同意する。


 本当のところ、宅配業者を断ったのは麗奈だった。配達の知らせが届いた時、先生の「頼んだ覚えはない」という言葉のまま、品物を確認することなく業者を追い返してしまったのだ。

 麗奈は先生の指示通りに動いたわけだから問題はない。

 

 でも、


「荷物をチェックすれば判ったはずよ。松坂さんは積極的だけど、詰めが甘い……」


 と、絵美。

 だが、それを指摘することなく、彼女は自ら後始末に動いた。

 事務的に淡々と仕事をこなす絵美。

 

 なんだろう。

 絵美の気の遣い方。この既視感デ・ジャブ

 

 ピンッっときた。

 結翔。

 結翔と同じなのだ。

 天使の羽のように肩にのっても気づかなくて、後でほっこり気持ちが温かくなる。


 絵美の頭上に天使の輪が見え、後光が差すようだ。

 思わず手を合わせたい気持ちになる。


 こんな理由で、私たち二人は、放課後遅くまで残ることになった。

 荷物を受け取り、業者に詫び、ようやく教室に戻った時だった。


「……教室に残っていたのは貴女一人だったじゃない!」


 誰もいないはずの教室から、甲高い声が響き渡る。


 麗奈だ。

 

 事態は私の想像をはるかに超えて、剣呑な状態になっていた。


「……そんな……私は、部活を終わらせて戻って来たばかりです……」


 小さな声は紬のもの。


「ずいぶん都合よく部活が終わったのね?……でも、疚しいことがなければ鞄の中を見せられるでしょ?」


 麗奈の声が低くなり、押しが強くなった。


「……そんな……貴女にそんなこと言われる筋合いはありません!」


 紬は譲らず、苺のような唇をきゅっと噛みしめる。


「……ま、待って!」


 私は慌てて教室に飛び込んだ。

 絵美も遅れて、そろりと入って来る。


「どうしたの!?」


 ただならぬ気配に私は焦る。


「……あ、有宮さん……チャリティ募金のお金が無くなったの……お金の入った鞄を机の横にかけておいたら……」


 麗奈はバツが悪そうだ。

 人に見られているとは思わなかったのだろう。


「でも、桐谷さんをいきなり疑うのはよくない!」


「教室にいたのはこの人一人なのよ!」


 麗奈が言い張る。


「さっきも言いましたけど、部活から帰ったところだったんです」


 紬が可憐な声で反論する。


 “……松坂さんの鞄の内ポケット”

 

 耳元で囁く声がする。

 絵美だ。

 何故そんなこと知っているのだろう? でも、きっとその通りなのだ。

 試す価値はあるはず。

 

「……あのね、松坂さん。自分の鞄をもう一度見直したらどうかな?」


 ソフトにさり気なく言う。


「ど、どういう意味?」


 麗奈がたじろいだ。


「うん。念のため」


 私がにっこり笑うと、麗奈がしぶしぶ鞄を開けた。


「……鞄の中には、ポケットがあると思うけど、……もしかしたら、そこに紛れ込んでいるかも……?」


 こそっと言う。


 麗奈がごそごそと、鞄を探っている。

 そして、何かが手に当たったようだ。


「……」


 沈黙の後、鞄から取り出したのは、茶色い紙封筒だった。

 私はあれが何かを知っている。チャリティ募金の集金袋だ。

 だって、今朝私も見たもの。


「……」


 麗奈が悔しそうに顔を歪めて下を向いている。


 一足先に教室を出た絵美が、紬に手招きをして、自分のもとに来るように合図する。


 今、教室にいるのは、麗奈と私と紬だけ。

 紬には、私が麗奈と向き合っている隙に、教室を出て欲しい。

 このまま紬が外に出てくれれば、騒ぎは大きくならない。

 知っているのは私達だけで、紬も絵美も言いふらすような人ではない。もちろん私も。


 そろりそろりと紬が歩き、あと少しで教室を出るという時だった。


「……いい気にならないで……」


 麗奈が、低く、凄むように言った。

 なぜ? 

 誰にでも勘違いはある。

 でも、今のは許せない。


 紬を連れ、早くここを出なくては。

 少しでも早く、麗奈から離れるのだ。


「紬ちゃん大丈夫?」


 声をかけると、紬が震えていた。


 どうして?

 紬ちゃん?

 なぜ、貴女がこんなに怯えているの?


「……ドロボウネコ」


 唸るような声が低く響く。


「え!?」


 聞き返すと、


「泥棒猫って言ったのよ! 母子(おやこ)揃って泥棒じゃない!!」


 教室の外を見ると、絵美はいなかった。

 巻き込まれたくなくて逃げたのだ。

 でも、面倒を嫌う絵美がここまで助けてくれたのだから、文句は言えない。

 

「……貴女のせいで……」


 麗奈の声が興奮で震え、怒りに顔が歪んでいる。

 

「紬ちゃん行こう」


 これ以麗奈が激高することを恐れ、紬の手を取り教室を出ようとし時だ。


「……貴女のせいで……貴女のせいで、結翔が家に戻らないんじゃない!」

 

 麗奈の声に、私と紬の足が止まる。

  

 結翔?

 

(やっぱり、二人は結翔さんの知り合いなの?)


「……そ、そんなこと……誤解です……」


 紬の声が震える。


「じゃあ、貴女のお父様は誰? お母様は教えてくださる?」


「……それは……」


「ほら、言えないでしょ?」


 “松坂さん。そんなことを言っちゃいけない!” 

 

 言葉が頭の中をぐるぐると回る。


 その時、


 ピンポンパ〜ン♪

 

 スピーカーから呼び出し音が流れた。


 “チャリティ募金の仮集計をします。係の方は職員室まで至急来てください”


 事務的な話し方。

 これには聞き覚えがある。

  

 ……もしや……。


「あの……松坂さん……」


 私が言いかけると、


「わかってるわよ!」


 捨て台詞を残し、麗奈が教室を出ていく。


 麗奈は引くに引けない状態だった。このアナウンスは彼女にとっても救いだったはずだ。


 気掛かりだけど、話しかけない方がいいような気がして、私は紬を置いて教室を出た。

 校門の前では、絵美が立っていた。

 逃げ出す振りをして、助けてくれたのだ。

 絵美を疑った、自分の浅はかさが身に染みる。


「二人には関わりたくなかった……尋常じゃない空気が流れているもの。あの人たちの間には……」


 淡々と言う絵美。


「ありがとう。校内アナウンスは絵美よね? 大丈夫なの?」


「松坂さんは相当頭に血が上っていたから、誰の声かなんてわかりゃしない。……それより……いい? 私の名前は絶対に出さないこと……約束して。面倒は嫌なの……」


「わかってる……」


 紬と麗奈。そして、結翔……。

 今日、初めて三人に繋がりがあることが判明した。

 だが、確かなことは、まだ何も分かってはいない。

 私は彼らに関わることが出来ないのだろうか。

 心にもどかしさを抱え、私は学校を離れた。


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