第45話  バレエレッスン3

 レッスンは中断され、私は男の子に話しかける。


「楽しい?」


「うん!」


 目をきらきらとさせて、男の子が首を縦に振った。


 元気のよい声が返って来ると嬉しくなる。


(結翔さんのおかげなのに、責めちゃった……)

 

 心で詫びながら結翔を見る。

 彼は、女性ばかりのスタジオで、やや居心地悪そうに立っていた。


「……俺も、社交ダンスなら少しはできるんだけどな……」


「……社交ダンスを?」


「親に言われてね、……たしなみ程度に。先生について習ったんだ……」


「個人指導? ……女の先生?」


「ああ……」


「教えて!」


「沙羅ちゃんは平気なの? その……男の人と踊るの……」


「慣れてるもの……小学生の頃から一緒に踊っているから……」


「そうなの!?」


「そんなに驚くこと? 結翔さんの先生も女の人だったんでしょ?」


「まっ、まぁね……」


 結翔が言葉を濁していると、


「沙羅ちゃん、結翔さんの先生はね、きっと私達みたいなおばさんだったのよ」


 岩永の言葉に、どっと笑いが起こる。


 ……え?

 どういうこと?

 きょとんとする私を、皆がにまにまと見ている。


 ふみゅー。


(……なっ、なんか恥ずかしい。この状況……!)


 牧嶋はすぐに戻って来た。

 

「……やっと、機材が動くようになったわ……」


 機材の不調はすぐに直ったようだ。


 ……が……。


「……なぁにぃ? このざわついた空気! 今日は、もう練習にならないわね!」


 周囲を見渡しながら、不機嫌な声で言った。


「……さて……どうしようかしら?」


 と、少し考えた後生徒たちの数を数え始めた。


「……結翔と、体験レッスンの君を除いて七人……じゃあ、こうしましょう。今日は慣れた人ばかりだから、等間隔で円になってワルツを踊りましょう……悪いけど結翔と君は抜けてね。ごめんなさい……」


 そう言って、お手本を見せ始めた


「……まずソテ」


 牧嶋が軸足で踏み切り、もう片方の足を後ろに伸ばすアラベスクの形でジャンプする。


「……それからバランセを二回……まずは五番でルルベして、……開いた足に体重を移動するの」


 バランセは、振り子のように揺れながら踏む三拍子の優雅なステップ。


「それから、グリッサード……」

 

 先にすり出し移動した足に、残りの足を引き寄せながら移動する。

 ジャンプや回転の助走に使われるステップだ。


「……ストゥニュ」


 ストゥニュは、ピケした軸足にもう片方の足を引き寄せてターンする。

 この時も五番のポジションを守る。


「ソテ、バランセ、グリッサード、ストゥニュ。これだけ、この繰り返しよ。隣の人とぶつからないように間隔に気を付けて……だんだん音楽のスピードを上げるから、疲れたり、ついて来れなくなったら抜けてね……人数が少なくなったら、アレンジして、好きなように踊っていいわ。ピケターンでも、グランジュッテでもお好きにどうぞ……いいかしら?」


 “わかりました!” と私たち。


 円を作って準備のポーズプレパラシオン

 音楽が始まる。


 ソテ、バランセ、ストゥニュ。その繰り返し。音楽は徐々に速度を増していく。


 ストゥニュで回転したとき、目に入ったのは……。


 結翔。

 

 結翔が私を見ている。

 方向が変わると、結翔が視界から消える。

 背中に視線を感じる。

 結翔が私を見ている……と。


 背中に結翔の視線を感じながら踊る。

 バレエのヒロイン達も、王子や恋人の視線を感じながら踊っていたのかもしれない。

 気高い王女も、可憐な村娘も。

 

 ……今の私みたいに。


 “あー疲れたぁ! 抜けま〜す”


 音楽が早くなり、一人、また一人と抜けて、とうとう踊っているのは私一人になった。

 スタジオをピケターンで回る。

 舞台のように。

 結翔と目が合うと、結翔もまた、私を見ていた。

 そしてシェネ。自分一人なので、思い切りスピードを付けて回転すると、周囲から、“わっ”と声がする。


 軸足でアラベスク。移動しながら体を反転させ、片足を大きく空中に放り投げる。

 もう片方の足で床を蹴って、空中で足を一瞬揃えたら、向きを変えてアラベスクで着地。

 手は頭のアンオーからア・ラ・スゴンドへおろす。


 「空中でふわっと花が咲くみたいにね」


 先生の言葉を思い出す。

 

 【ジュテ・アン・トゥールナン】


 とても華やかなジャンプ。


 ――わっと


 歓声が上がった。

 男の子が羨望の眼差しで私を見ている。


 もう一度、ジュテ・アン・トゥールナン。


 ――わっと


 歓声再び。


 ピケターン。シェネ。


 私は踊り続ける。


 汗が流れて、のどが渇く。息が苦しい。


 ……でも……。

 この胸の高まりは、踊りのせいだけじゃない。

 もっと。

 もっと。

 素敵なこと。


 皆が私を見ている。

 でも、一番見ていて欲しいのは結翔。


 見つめて、話して、もっと貴方を知りたい。


 ―― ふと、心をよぎる影。

 結翔は、なぜ私の家にいるのか。

 なぜ一年間も引きこもっていたのか。

 たしなみで社交ダンスを習わせるなんて、どんな家なのだろう。


 知りたい。

 ……でも、今は待ちたい。

 結翔が話してくれることを。

 信じたい。

 結翔自身の言葉を聞けることを。


 音楽のボリュームが上がり、私は再び踊りに没頭する。


 音楽が終わることはない。

 私はいつまでも踊り続けられる。


 ―― そんな気がしていた。

 


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