第41話  angeの改装1ー二人で買い物ー

 スペイン語のレッスンのある日曜日の正午。

 窓を開けると、晴れた空の下空中庭園が見える。

 私はそこに人影を見つけた。


 結翔だ。


「やあ、沙羅ちゃん。いい天気だね」


「こんにちは、結翔さん。いいお天気ですね」


 だが……。


「ごめん! 沙羅ちゃん!」


 突如結翔が頭を下げる。


「……ど、どうかしたんですか?」


「今日のスペイン語のレッスン休ませて欲しいんだ!」


「そんなこと……用事があるならそちらを優先させてください」


 突然謝られ、何事かと思った。


「……いや、ここのところ、レッスン休むことが多いからさ……」


「そんな……気にしないでください……だって、夏休みまでにはお金貯めなきゃいけないんですよね?」


「ありがとう……実は、オーナーにangeの改装を頼まれているんだ。……それで、今日の午後は材料を見に行こうと思ったんだ」


「改装!? 結翔さんが!?」


「いや、そんな大げさな事じゃないよ。ちょっとした……まぁ、プチ改装ってところだな。費用をかけずに、イメージチェンジだ」


「それでも大変ですよ……何故オーナーさんは結翔さんに頼んだのかしら?」


「いや……俺からオーナーに申し出たんだ。この前、オーナーが病院で検査をしたら、結果が良好でね。近いうちに夜の飲食の仕事に戻れるかもしれないって……」


 それで結翔は、新規開店に備えて、改装をしてはどうかと提案をしたと言う。


「企画書と予算案を用意した……そうしたら“やってみたまえ!”って……。報酬も出るんだ!」


「……」


 私はジト目で結翔を見る。

 改装は当然必要があってのことだろう。

 この前、結翔は単発のバイトが減ったとこぼしていたが、金に困っても非道なことはしないはずだ。

 

 ……だが彼は時々、不可解というか、誤解を招く行動をとる。


「……」


 黙したまま結翔見つめると、


「な、なに? さっ、沙羅ちゃん。……なんか怖いよ!?」


 結翔が怯えている。


(どうしよう?)


 迷った後、私は意を決した。


「私も一緒に行きます!」


 やはり結翔一人では心配だと思う。


 こうして、私と結翔は改装用資材の下見に出かけることになった。


 電車を乗り継ぎ街に出た私達は、大手の高級家具専門店に入った。

 ソファーやテーブルが並ぶ店内を歩きながら、照明のブースにたどり着く。


「沙羅ちゃん、店の内装覚えてる?」


「あ……はい……」


 何度か行ったことはあるけれど、改めて尋ねられると記憶は曖昧だ。

 なんとか思い出そうと頭をひねる。


「店の天井中央にシーリングライトがあって、カウンター席の上にペンダントライトが吊り下げてある」


「あ、……えっと、……シーリングライト?」


 ペンダントライトは天井から吊り下げる照明で、シーリングライトは天井に取り付けるタイプのものだと、結翔が説明をする。


「まずは、ペンダントライトを取り換えるつもりだ……。ペンダントライトは照らす範囲が狭いから、シーリングライトと組み合わせて使うことが多いんだ」


「……そうなんですね?」


「カウンターに吊るせば、料理を美味しく見せたり、温かみを感じさせる効果がある……」

 

 そう言いながら、結翔は陳列棚のペンダントライトを物色し始める。


「ペンダントライトを変えるんですか?」


「そう……でも、正確に言うと、ライトのシェードを変えるんだ」


 私は店内の様子を思い浮かべるが、ペンダントライトの形状までは思い出せなかった。


「……それとね……電球の明るさを落とせば、店の雰囲気が変わる。暗めにすれば、大人のワインバーって感じになるだろ?」


 『大人のワインバー』


 仄暗い店内で、ボトルを手にする結翔が目に浮かぶ。

 それは自然で、絵になるほどだ。

  

 ……だが、

 

 結翔は未成年だ。

 彼がそんな店で働くなんて、心穏やかではいられない。


「……」


 私が怪訝な目で結翔を見ると、


「なんだ……“大人”が気に入らないの? 沙羅ちゃんだって、“大人のバレエクラス”でレッスンしてるだろ? それと一緒だよ!」


 大人のバレエクラス!?

 理由もわからず恥ずかしくなる。


「……ち、違います! “初心者クラス”です! “大人のバレエクラス”は昔の名前です!」


「わ、わかった! わかったよ……!」


 結翔が呆れたように、困ったように言う。


「“大人”でそんなに反応するとは思わなかったよ……。店内を暗くするのも反対だね?」


「……」

 

 私は無言のまま頷いた。


「わかったよぉ〜。元々照明を暗くするつもりはない。ちょっと言ってみただけなのに……」


 確かに結翔の言うとおりだ。

 私は何をこんなに焦っていたのだろうか?


「今のangeのペンダントライトは、ガラスの球体なんだ。明るいのはいいけど、ちょっと眩しくて落ち着かない感じがしてたんだ……」


 そう言いながら、結翔は乳白色のシャンパングラス型のライトを手にした。


「これだと、光が柔らかくなる……」


「そうなんですね?」


 ペンダントライトは明りを点けていない状態なので、イメージが湧かない。

 頭をひねりながら、価格を見る。


(……た、高い!)


 これを複数個買うと、いい値段になりそうだ。


 だが、


「ここは下見だ……」


 結翔が耳元で囁いた。

 距離が近くてドキリとする。


「ここでいろいろと見て、イメージを掴もう!」


 その後も、私たちは店内を見て回った。

 結翔はこの店で買う気はないのだ。

 店員が案内に来ることを恐れたが、それはなかった。

 この店には高校生が買えるような品はなく、相手にされるはずもない。

 売り場を去る度丁重な見送りを受けると、恐縮する思いだ。


(……なんだか居心地が悪い……)


 私の気持ちなどお構いなしに、結翔は悠々と高価な家具の間を歩いていく。

 その様は自然で、何に臆することもないように見えた。

 私は冷や冷やしながら結翔の後を追った。


 ふと、姿見に映った自分達を見る。

 二人揃うと似合いの恋人同士のように見えた。


「どうかした? 沙羅ちゃん?」


「あ、……あの……」


 結翔が覗き込む。

 人が不審に思うほど鏡を見ていただろうか?


(……なんか恥ずかしい……)


 いろいろと気を使ったり、ドギマギしたりで、店を出た途端、どっと疲れが出てしまった。


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