第40話  if you listen to music3 ―夢の場ー

「あ〜あ…… ここってなぁなぁよねぇ……」


 と、真希の低い声がスタジオに響いた。


「えっ?」


 きょとんとする者、顔を引きつらせる者。

 緊迫した空気が立ち込め、視線が一斉に真希に集中する。


 ……ついでに私にも……。


 何を言っているのだろうかと、どぎまぎとしていると、


「みんな、自分の仲間の踊りしか見ないんですね……ここって仲良しクラブなの!?」


 と、真希。


(何故あんなにイライラしているの?)


「この人のジャンプは私よりも低いし、ターンも一回転じゃない! それなのに……」


 真希が何を焦っているのかが、徐々に分かってきた。

 生徒達は私と真希の踊り比べで、次第に真希を見なくなっていたようだ。


 ……生徒たちが、真希よりも私を見る理由。

 彼女たちが何を求めるかを知れば、分かるはずなのに……。

 ジャンプを高く飛ぶこと、数多く回ることよりも大切なことがある。

 彼女達はそれを知っているのだ。

 私が感じた違和感を、スタジオの生徒達もまた、見抜いていた。

 違和感の正体。

 それは、真希の基礎に対する意識の低さだ。

 どれほど高い技術を駆使しても、基礎を疎かにしては、美しく踊ることは出来ない。

 でも、それを口にすることは、火に油を注ぐようなものだから口にする者はいなかった。


 納得のいかない真希は、苛立ちをいっそう募らせる、

 そして怒りの矛先を、今度は私に向けた。


「大体、なんで貴女がここで踊っているんですか!? どう考えたって上級者ですよね?……レベルの低い相手だと優越感に浸れて気分いいですか!?」


「……なっ、なんですって……?」


 カチンときた!


 この子は、皆が一生懸命練習していることがわからないのだろうか。

 自分だけが努力したつもりになっているのだろうか。

 生徒達の真剣さが目に入らないというのか。


 私は我慢の限界だった。

 

 技術を磨くことにとらわれることは、決して珍しいことではない。

 相手はまだ中学生で、子供なのだ。

 

 そう自分に言い聞かせるも、黙っていることが出来なかった。


「……レベルが低いってどういう意味? 皆きちんと踊っている……できなくても、そうしようと努力してる……貴女はどうなの?……貴女は隙がありすぎる……ポジションが甘かったり、膝が伸びてなかったり……勢いに任せて踊っているから、決めなきゃいけないところが決まらない!」


 私の声はスタジオ中に響き渡り、生徒たちがピシリと固まった。

 皆の顔が青ざめ、冷え冷えとした空気が漂う。

 スタジオの体感温度は今や氷点下。

 ミルクも凍る南極でペンギンたちがダンスを踊る。

 ……そんなレベルだ。


 ―― ハッと我に返る。


(……いっ、言い過ぎた……言い過ぎちゃった! どうしよう……)


 覆水盆に返らず。

 零れた水は元には戻らない。

 言葉も同じだ。

 言ってしまったことは取り消せないのだ。


「……」


 長い沈黙の後、真希はレッスン着の上に服を羽織ると、私達には目もくれずスタジオを飛び出していった。

 

「真希さん!」


 失言を謝ろうにも、取り付く島もない。


「どうしよう……牧嶋さん……」


 私は、おろおろと牧嶋に訴えかける。


「……ま……ね……真希ちゃんには、沙羅ちゃんと同じことを、私もずっと言い続けてきた……言い方は違うけど……。あの子は、よく言えばダイナミック。はっきり言って、踊りが雑なの。なまじ運動神経がいいものだから、変な自信を持っちゃって、困っていたの……」


 “変な自信”

 確かにそうだ。

 でも、本人に自覚のない欠点を指摘することが、こんなに心削られるなんて、思いもよらなかった。

 私だって、言いたくて言ったわけじゃない。


 ……その……つい、かっとなって……。


「あまり気にしないで……。私がフォローしておくから……」


 「お願いします」と、頭を下げ、戸口に向かうと、


「……沙羅ちゃん……」


 牧嶋に呼び止められる。


「あ、はい……?」


「真希ちゃんはあんな風だけど、二人で踊る姿は見応えがあった……今日は良いものを見せてもらったわ……生徒達も喜んでたし……お礼を言うわね……ありがとう……」


 牧嶋がにこりと笑う。


「え、ぇっ……と……あ、ありがとうございます……」


 私はもごもごと返事をし、再び頭を下げた。


(……牧嶋さんは、ああ言ったけど……)


 私は一人ため息をこぼす。

 状況がどうであれ、汚い言葉を口にするのは気分が悪い。

 相手の気持ちを考えれば尚更だ。

 ずしりと重い心を抱え、私はスタジオを後にした。





 その翌週も、真希は初心者クラスに現れた。

 今度は何をしでかすのかと皆びくびくとしていたけれど、真希は黙々と練習をするだけだった。

 真希は私の顔を見ると、ぷいとそっぽを向く。

 無愛想なのは相変わらずだ。


 だが、変わったこともある。

 真希の一つ一つの動きが丁寧になった。

 ぎくしゃくとした印象が薄れ、代わりに滑らかな柔軟性が感じられる。


 真希の変化を、誰よりも喜んだのは牧嶋だった。


「よかったぁ〜! 真希ちゃんが落ち着いてレッスンしてくれるようになった……沙羅ちゃんがピシっと言ってくれたおかげね……」


 牧嶋が喜んでくれるのは嬉しいが、素直に喜ぶことは出来ない。

 中学生相手にあの態度。

 今、思い出しても恥ずかしい。


「あの子はあのスタイルでしょ……体力もあるし、運動神経もいい……。このまま埋もれてしまったらどうしようかと心配していたの……一年前から私のスタジオに通うようになったのだけど、……なんというか……前の先生の所で、悪い癖がついてしまったの……本当に沙羅ちゃんのおかげよ!」


「でも……私、あんなこと言ってしまって……」


 真希はどれほど傷ついただろう。

 ちりちりと、苦い思いが胸に焦げ付く。


「沙羅ちゃんは損な役回りになっちゃったわね……。でも、真希ちゃんもいずれ分かる日が来る……さあ、気を取り直して……今日は美和さんが来ているから、楽しいレッスンになるわよ……」


 真希は変わらず、鋭い眼差しで私を見る。

 スタジオ内に、自分を目の敵にする人間がいるのは気が重い。


 しかも……。


 真希は必ず私の真後ろについてレッスンを受けるのだ。

 嫌いな相手の姿など、目にするのも嫌なはずなのに。


 背中に視線が刺さりそうなのは、きっと気のせいだ。

 こんな状況で練習に集中することなど、出来そうにない。


 気持ちを持て余しながらも、バーに手を添え、準備のポーズで音楽を待つ。


 美和が演奏を始める。

 美和の奏でるピアノから、きらきらと輝く音色が紡がれる。

 まるで真珠を繋げた首飾りのみたいに。


(……あ……この曲……)

 

 子供の頃より耳に馴染んだ旋律メロディー

 ドンキ・ホーテ第二幕に流れる曲だ。

 風車を悪魔と思い込み突進し、跳ね飛ばされて気を失ったドンキ・ホーテが、幻を見る場面。

 精霊たちが微笑み、老騎士ドン・キホーテ最愛の女性、ドルシネア姫が踊る“夢の場”。

 甘く優しい調べに、自然と口元がほころぶ。


 一番ファーストポジションからプリエ。

 背筋を伸ばし、バーに頼らず自力で立つ。

 

 いつも通りに……。

 

 私の心配は無用だった。


 だって……。


 ひとたび音楽を耳にすれば、

 

 踊らずにはいられないのだから……。








 ※ドン・キホーテ

 原作は有名なセルバンテスの小説です。

 小説では、騎士道物語の読み過ぎで、現実と夢の区別がつかなくなった騎士、ドン・キホーテが主人公ですが、バレエでは若い恋人たちが主役となります。

 スペインを舞台とし、楽しく華やかなバレエとして知られています。

 

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