第38話  if you listen to muisc1 ―臙脂のレオタードー

 おさらい会の夜。

 私は深い眠りに沈んでいった。

 耳に響く拍手の音が、夢とも現実とも区別がつかぬまま眠り続けた。

 心地よい春の宵。

 私は温かい充足感に満たされていた。




 次の週の土曜日。

 おさらい会のDVDが生徒たちに手渡される。

 皆大喜びで、レッスン後急遽上映会が開催された。


 再生時間は二十分ほどの短いものだが、プロのカメラマンが撮影しただけあって良い出来だった。


 生徒たちは大はしゃぎで、自分の出番が来ると、歓声を上げたり互いに褒め合ったりしていた。


 私はおっとりと風雅な岩永の踊りに見とれた。


 ……そして、私の番だ。


 賑やかだったスタジオは静まり返り、皆が私の踊る姿に注目した。

 自分が踊る姿を撮影したものを見るのは初めてではないが、やはり緊張する。

 他の人と一緒ならば尚更だ。


「やっぱり綺麗ね、沙羅ちゃんは。……これは、世界的に有名なプリマバレリーナが子供時代に踊ったものと同じよね?」


 と、岩永。


「は、はい……なんだか申し訳ないです……」


 褒められるのは嬉しいけど、プリマの名を出さては恥ずかしい。

 彼女は現在、世界中の舞台で活躍しているのだから。


「この人の踊りは、動画で見たことがある……技術も素晴らしいけど、ドラマチックな演技に感動しちゃった! いつか本物の舞台が見たいわぁ……」


 恍惚の表情を浮かべる岩永。


 ドラマチック。

 感動。


 踊りが地味な私には無縁の言葉だ。


 子供の頃から、


 「沙羅ちゃんの踊りは綺麗ね」


 「踊りが丁寧で好感が持てる」


 「素直でクセのない踊りが子供らしくていい」


 そんな風に言われてきた。


 ―― でも、それではダメなのだ。


 牧嶋の言う通り、このスタジオの生徒達は目が肥えている。

 だからこそ、私の良さを理解してくれたのだ。


 だが、劇場にはバレエを知らない人さえ訪れるのだ。

 六歳の時見た、『くるみ割り』の舞台を思い出す。

 ダンサー達は、バレエを初めて見た私を虜にしたのだ。


「沙羅ちゃん? ……どうかした?」


 岩永が私を気遣っている。


「いえ……綺麗に撮れていて良かったですね……」


「本当に! 一生の記念だわぁ〜」


『一生の記念』


 私にとってもそうだ。

 おさらい会は私に強い達成感を与えた。


 ……でも……。


 それは神様が与えてくれた、ちょっとしたご褒美のようなもので、時と共に高揚感は薄れ、それに代わって新しい課題が姿を現す。


 私は、本格的なレッスンに取り掛かることさえできずにいるのだ。

 まずは調子を取り戻さなくてはならない。

 それからバレエ学校に入学する。

 

 その後は……。


 ハードルは日々高くなり、低くなることは決して無い。

 一つクリアすれば次にと、連鎖は続く。

 その繰り返しなのだ。


 さらに翌週の土曜日。

 私はいつものようにスタジオへと向かう。

 戸口の前に立つと、中から物音がした。


(……人がいる……)


 誰かがバーでストレッチをしている。

 珍しい。

 たいてい私が一番乗りなのだ。


 臙脂色のレオタードを着た背の高い少女だった。

 細身だけど筋肉質で、肌が浅黒いために一層引き締まって見える。

 身長は……170センチはありそうだ。


(私は164センチ……ううん、今はもう少しあるけど、やっぱりこの子は背が高い……)


 浅黒い肌に臙脂色えんじいろのレオタードが良く似合う。

 ダンサーというよりは、スポーツ選手のような印象を受けた。


 私と同じくらいの年頃だろうか?


「こんにちは、私は有宮沙羅……お名前聞いていいかしら?」

 

 第一印象が大切なのだ。

 私にできる最高の笑顔で挨拶をする。


「……近藤真希こんどうまきです……」


 表情は硬く、無機質な声に威圧感がある。


(えっ……と? なんか言い方冷たくない? 目線も……)


 棘のある口調に、ひやりとする。


 何となく距離を置きたい気分になり、私は彼女とは反対側の、鏡から遠いバーについた。


「もっと鏡の近くに来ればいいじゃないですか……せっかく早く来たのに……」


「あ、……そ、そうよね……あはは……でも、私、いつもここなの……」


 笑ってごまかす私。

 距離をとろうとしたことがバレただろうか?


 だが、私は自分の気遣いが無駄であることに気付く。

 彼女は初めから私をよく思っていないようだ。

 私の何に不満があるのか知らないが、こういった感情は不思議と伝わるものだ。


(ど、どうしよう……)


 私がまごまごしていると、


「こんにちは〜」

 

 岩永だ。これで二人きりの気まずさから解放される。


「あら〜、沙羅ちゃん。今日も早いわね〜」


 朗らかな声に安堵したのも束の間だった。

 

「……ま、真希さん……!?」


 声を震わし名を呼ぶも、黙り込む岩永。

 更衣室へ直行し、その後、そそくさと私の前についた。


 レッスン時間が近づくにつれ、続々と生徒たちが到着する。

 だが、誰もが真希と少しでも離れた場所へと向かった。

 

 何かがおかしい。

 真希のせいだろうか。

 だが、真希は変わらずストレッチを続ける。


 片足をバーに乗せ、軸足を伸ばしたままバーに乗せた脚に上体を倒す。


(……えっ……?)


 なんだろう?

 この違和感……。

 彼女は難なくストレッチをしている。

 ……が、動きがぎくしゃくとして、柔軟性が感じられない。


 やがて牧嶋が現れ、レッスンが始まった。

 まずは、バーレッスン。

 その後、支えの無いフロアレッスンが始まる。


「じゃあ、アダージョの振り付けをするから見ていて……」


 アダージョは、移動の無い緩やかな動きのことだ。


「まずはク・ドゥ・ピエ……それからルティレ……その足をア・ラ・スゴンドに上げて……」


 振り付けが終わると、一斉に位置に就く生徒達。


 まずは五番ポジションで準備のポーズプレパラシオン

 軸足の足首にもう片方の足を付けて、ク・ドゥ・ピエ。

 爪先は伸ばして。

 そして爪先を軸足に沿わせながら、膝まで引き上げルティレ。

 膝を伸ばして、ア・ラ・スゴンド(横)に足を上げる。


「……そう……膝を伸ばして……綺麗ですよ……」

 

 皆すごく一生懸命。

 多少のふらつきがあるものの、丁寧に動いている。

 それを見れば、私自身も励まされ、心も背筋も伸びていく。


「できる人は、もっと高く上げて……」


 牧嶋が指示を出すと、真希の爪先はさらに上へと引き上げられた。


「……それをキープして……」


 真希は足を横に高く上げたまま、揺らぐことなくバランスをとった。


(……すごいキープ力……体幹が強いのね……)


 しかも、背が高いから踊りがダイナミックに見える。

 並大抵の体力ではなさそうだ。

 

 ……でも……。


(何かが違う……)

 

 そう思わずにはいられない。

 他の生徒は何とも思わないのだろうか。

 真希の技術の高さに、圧倒されているのだろうか。


 卓越した技術を持つ真希。

 だが、私は違和感を覚えずにはいられなかった。

 



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