第37話   【シルヴィア第三幕よりピチカート】3   ー夢を繋ぐー

 おさらい会当日。

 いつものレッスン時間に、生徒たちが集まる。

 スタジオの半分が舞台で、残り半分が観客席だ。

 出演者たちは更衣室で衣装を着てスタンバイし、自分の出番が来たら、そのまま舞台に直行する。

 今日の出演者は十名で、見学のみの生徒が三名。


 撮影をするのは、発表会と同じカメラマンだというから本格的だ。


 アンサンブルを踊る生徒は、それぞれお揃いのレオタードに、チュチュを身に着けている。チュチュは、上級クラスの生徒の私物を借りた物だ。


 まずは4人組の演技が始まる。

 美和がピアノを弾き始めた。


 左右から二人ずつ中央に出てポーズ。

 腕の角度は斜め下45度。手のひらは下に向けて伸ばすアロンジェ

 これは、“小さな二番ポール・ド・ブラ”と呼ばれる、腕のポジションだ。

 右足を軸にして立ち、後ろ足を後ろに伸ばしている。


(……綺麗……立っているだけなのに……)


 一人一人も上手いが、チームワークが素晴らしい。

 伸ばした腕の角度も、足を出すタイミングぴたりと揃っている。

 やがて、後ろの足を前に出し、歩き始める。

 一歩、二歩、三歩……。

 三歩目で立ち止まると、二人ずつ向かい合い、片手を斜め上に、もう片方をその少し下に伸ばしてポーズ。


 息の合った動きに拍手が起こる。

 最後に、爪先立ちで細かく足を動かしながら、二人ずつ左右に退場していった。


 次に三人の踊り、その後が岩永を含めた二人の踊りと続く。


(そろそろ支度をしないと……)


 更衣室に入り衣装を着る。


 白いキャミソールレオタードに白いロマンチックチュチュを付ける。

 髪には白い花の飾り、腕には白いチュールの腕飾り。

 足には新しいバレエシューズ。

 少女と同じ装いだ。

 更衣室の姿見で、全身をくまなくチェックする。


(……どうしよう……どきどきしてきた……上手く踊れるかしら?)


 シンプルな振付だから、下手をすれば味気ない踊りになってしまう。

 わかっていたはずなのに足が震える。


 ― 一瞬……。


 ふわふわとした残像が、鏡の奥をよぎる。

 白いチュチュの少女だった。

 いたずら好きの妖精のように、私の視界をすり抜けていく。

 去り際に振り返ると、少女は言った。


 “頑張って”


 ……と。

 

(……や、やだ……私ったら!)

 

 緊張のあまり、幻覚まで見たというのか。


 ―― コンコン


 ドアをノックする音と、


「……沙羅ちゃん? 支度は出来た?」


 心和む岩永の声。


「入っていいかしら?」


「……どうぞ……」


 気持ちの整理がつかぬまま、岩永を迎え入れる。


「ステキ! 白い妖精みたい……」


「そ、そんな……」


「……あ、……沙羅ちゃん……」


「え?」


「髪飾りが曲がっている……」


「やだ、……気づきませんでした……」


「……直してあげる……」


 岩永は私の髪に手を伸ばすと髪飾りを直し始めた。


「あらぁ〜。もっと右の方が良かったかしら? それとも下かしらぁ……?」


 満足する位置に髪飾りが収まらないようで、何度もやり直しが繰り返される。

 私は岩永のされるままになっていた。

 岩永は手を動かしたまま私に話しかける。


「……ねぇ、沙羅ちゃん……」


「なんですか? 岩永さん……」


「私ね……。ううん、皆よ。沙羅ちゃんと一緒に練習出来て良かったと思ってる……」


「……あ……私もこのクラスでレッスンが出来て楽しいです……」


「沙羅ちゃんがそう思ってくれて嬉しい……だって、……本当だったら私達のレベルでは、一緒に練習出来るはずないんだもの……」


「……そ、そんな! 大袈裟ですよ……あはは……」


 照れ笑いをするも、岩永はじっと私を見つめる。

 岩永は私に大切な話をしようとしている。

 静かな眼差しがそれを物語っていた。


「本当よ……だから嬉しいの……沙羅ちゃんはね、私達の希望の星なの……いずれ遠くへ行ってしまっても沙羅ちゃんとレッスンをしたことは忘れない……」


「……希望の星……?」


 『沙羅ちゃんは皆に夢を与えているの』


 牧嶋の言葉が胸に迫る。


(……私は自分が好きで踊って来ただけ……人に夢を与えるなんて考えたことさえなかったのに……)


 なんと返せばよいのか? 

 岩永の口調は、穏やかながらも真剣で、軽々しく答えてはいけない気がする。


 ようやく、岩永は髪飾りのベストポジションを見つけ、にっこりと笑った。


「さあ、出来た。鏡を見て……」


「……ありがとうございます……前よりもずっと素敵になりました……」


 ――いよいよ私の出番だ。

 

 更衣室を出て『舞台』へと向う。

 拍手に迎えられながら、定位置に付き深呼吸。

 準備のポーズプレパラシオンで音楽を待つ。


 イントロが終わり、リズムに合わせ私は踊る。


(見られている……)


 期待に満ちた熱い視線

 爪先、指先、腕の動きポール・ド・ブラ……。

 記憶に焼き付けようとするかのように。


 片足を後ろに上げてアラベスク。

 軸足の踵を上げて爪先立ちでポーズ。

 それを音楽に合わせて繰り返す。

 

 爪先立ちした軸足の膝に、もう片方の爪先を付ける“ルティレ“。

 膝は耳の方向へ開かれている。


 五番ポジションで爪先立つ“シュス”。

 そのまま踵を床に着けて五番ポジション。


 爪先を伸ばし、足をクロスしたまま真上に飛び、前後の足を空中で変えて、五番ポジションで着地。“アントルシャ”


(よかった……短期間とはいえ集中して練習した甲斐があった……この調子で最後まで踊り切りたい!)


 全てが練習以上の出来だった。

 ダンサーにとって、これ以上の喜びがあるだろうか。


 後半は、前半の振り付けにアレンジを加えたものだ。

 腕をアンオー(上)からアラスゴンド(横)へと下ろしながら、爪先立ちしたままアントルシャを続け、その場でターンをする。

 空中では五番ポジションのまま爪先を伸ばす。一本の線に見えるように。 


 円を描くようにスタジオを移動して、上体を斜め後ろにそらした後、ポーズ。

 伸びやかに、目線は夢見るように……。

 

 ―― ほっと……

 

 ……零れる吐息が心をくすぐり、密かな充足感が私を満たした。

 

 ルルベをしながら、ク・ドゥ・ピエした足をドゥ・ヴァンへ伸ばす。

 

 ク・ドゥ・ピエの爪先は伸ばして、踵は前に……。


(……丁寧に……基本的なステップだからこそ決めなくては……)


 私はプリマの幼い日の映像を思い出す。

 彼女のクラスメイト達が歓声をあげていた。

 異質な片鱗を見せる少女を、彼らはどんな気持ちで見つめたのか?


 有名なバレエ学校に入学したとしても、全員が卒業できるわけではない。

 将来が見込めないと判断された時点で、退学を余儀なくされる。

 苦労の末卒業しても、学校が所属するバレエ団に入団できるのは、ほんの一握りの生徒だけで、別のバレエ団に所属して踊るのだ。


 彼らは何を思い日々を過ごすのか?

 何に希望を見出すのか?


 それは、あの白い衣装の華奢な少女だったのではないか。

 彼女に憧れ、目標にし、後を追い続ける。

 

 夢を追い続け、もう進めないと思う日が訪れるかもしれない。

 その時、彼女に夢を託すのだろうか。


 この一週間の私がそうだったように……。

 苦しい練習の日々を思う。

 支えてくれたのは少女の面影だったのだ。


 私を見つめる眼差しと目が合う。


 厳しくも温かい牧嶋。

 優しく見守る岩永。

 私に憧れ夢や希望を見出そうとする生徒達。


 彼女等は何を思うのか。


 バレエを習う楽しさは踊る全ての者のものだ。

 決して失われることはないし、誰も奪うことは出来ない。


 ……だが……。


 彼女達が何処まで進めるのか。

 “もうこれ以上進めない”と思う日が訪れるのだろうか。

 その時、私は彼女達の夢の先にいるのだろうか。


 私は彼女達が託した思いを引き継いでいくのかもしれない。

 私にそれができるのか。

 

 私は今まで自分のために踊ってきた。

 だが、これからは誰かのために踊るのだろうか。


 『誰かのために踊る』


 その時、私の心に消えることのない光が灯った。



 ―― バレエを続けよう!



 私は固く決意をする。

 困難にぶつかることも、挫折することもあるかもしれない。

 だが、この気持ちがあればきっと乗り越えられるはずだ。



 スタジオの隅に行き、準備のポーズプレパラシオン

 小さな回転を繰り返してスタジオを斜めに横切る。

 

(あと少し。もうすぐフィニッシュ!)


 ポーズと同時に鳴りやむピアノの伴奏。


 しばしの沈黙。


 そして……。


 ――わっ! 


 と、歓声が沸き起こった。


(よかった……無事に踊れたんだ……)

 

 努力は報われたのだ。


 心地よい疲労感に浸りながら舞台を去る。


 ……が、拍手は鳴りやまない。


「沙羅ちゃん、戻って! アンコールよ!」


 牧嶋がいつになく熱を帯びた声を発する。 


(……えっ!?……えっと……?)


 事態が飲み込めない。


「……さあ! 観客が待っている……」


 牧嶋が私に手を差し出す。


 ―― アンコール!


(私がアンコールを受けるなんて!)


 牧嶋は私の手を取ると、スタジオ中央へとクールにエスコート。

 プリマバレリーナのように……。


 途切れることのない拍手が胸を熱くする。


 言い知れぬ心のまま、私はルベランスをした。

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