第36話 【シルヴィア第三幕よりピチカート】2 ー憧れー
翌日、日曜日の午前十時。
私は『牧嶋バレエスタジオ』に、牧嶋と共にいた。
“おさらい会”の振り付けをするためだ。
振付は一度見れば覚えられるが、やはり牧嶋の指導を受けたい。
「まずはアラベスク……そこからルルベしてバランス。それを二回。その後ルティレ。左右で軸足を変えて繰り返す……」
アラベスクは片足を軸足にして、もう片方の足を後ろに上げて伸ばすポーズ。
ルルベは踵を上げて爪先立ちをする動きだ。
「アラベスクの軸足の踵は前に出して……ルティレから足を下した時の五番ポジションはきちんと決めてね……」
ルティレは軸足の膝にもう片方の足の爪先を付けるポーズ。膝は耳の方へ向けて開く。
五番ポジションは、左右の足の踵と爪先をぴったりと付けて立つポーズ。
基本的な動きだからこそ難しい。
「シュスで立った後、プリエからシャンジュマンで足を変える。着地は五番ポジションでね……」
シュスは手をアンオー(上)にして、上に伸びる動き。
シャンジュマンは両足で踏み切った後、伸ばした足を空中で入れ替えて両足で着地する。
着地の足は五番ポジション。
前半のステップが終わると移動してポーズ。
「いいわね……おさらい会は来週の土曜日の初心者クラスのレッスンの日だから、それまでには何とかなりそう……」
「そうですか……よかった!」
まだまだ練習が必要だが、目途が付いてほっとする。
後半のステップを踊り、「今日はここまで」と、牧嶋に見送られてスタジオを後にする。
この後、数回時間をとって見てくれると、牧嶋は言った。
午後は空中庭園でスペイン語のレッスンだ。
帰宅した私はシャワーを浴びた。
入念に髪の手入れをした後、白いカットソーに、水色のチェックのフレアスカートを身に着け、肩にレースのボレロを羽織る。
「これでいいかしら?」
鏡の前でチェックする。
勉強を教えてもらうのだ。
堅苦しいのは嫌だけど、失礼のないようにしたい。
母のトワレが目に入るが、無視をする。
今日は勉強をする日なのだから、過度なお洒落は必要ないのだ。
結翔はガゼボで待っていた。
「あれ? 沙羅ちゃん……なんか楽しそう?」
「えっ……? ……あ、あの……牧嶋さんのスタジオで、おさらい会があるの……」
「おさらい会?」
私は結翔におさらい会の話をする。
「へぇ〜! 俺も見てみたいな! 行っちゃだめ?」
「来てもらいたいけど、……女の人ばかりなの……他の人がどう思うかしら?」
「そっか……。そんなものなのかな? 小さなスタジオだから舞台から観られるのとは感じが違うかもしれない……今回は遠慮した方がよさそうだね……」
心なしか結翔は残念そうだ。
おさらい会は撮影をすると岩永が言っていた。
出来が良かったら、DVDを見せようなどと考えてみる。
それにしても、結翔は元気がない。
そんなにおさらい会に来られないことが悲しいのだろうか?
そうではなさそうだ。
「結翔さん……どうかしましたか?」
「あれ? 分かっちゃった? 鋭いね……沙羅ちゃんは……実は単発のバイト減っちゃって……でも、何とかなるよ!」
「無理はしないでくださいね……」
「ああ!」
きっと何とかなるのだから、無理はしないで欲しい。
結翔のことも気がかりだが、私が今すべきことは“おさらい会”に備えることだ。
飛び入りで参加するのだから、他の出演者に迷惑をかけてはならない。
既に本番まで一週間を切っている。
私は、放課後牧嶋に練習を見てもらい、彼の都合の付かない日には一人で踊った。
少女の動画を繰り返し見、移動の時にはポータブルプレイヤーで音楽を聴き続ける。
ポジションは守られているか。
爪先は、膝は伸びているか。
全ての動きに心を配りながらステップを踏んだ。
(音楽をよく聞いて……音に合わせて……)
軽快なリズムに合わせ、繰り返し練習をする。
脳裏をよぎるのは、白いロマンチックチュチュを着た幼い少女。
『少女のように踊りたい』
その一心で練習を続けた。
本番を翌日に控えた金曜日、帰宅が十一時近くになってしまった。
「沙羅ちゃん、ほどほどにね!」と母に注意され詫びるも、くたくたで少しでも早くベッドに入りたかった。
(シャワーだけにしようかな……? ううん。……湯船に入ろう。ゆっくり休んで疲れを取らないと……)
バスタブに湯を張りながら入浴剤を選ぶ。
“ローズ・アダージョ”
疲れを癒すお気に入りの香りだ。
ピンク色のタブレットを湯に放り込むと、しゅわしゅわと音を立てて溶けていく。
バスタブに身を沈めると、強張った筋肉がゆっくりとほぐれていった。
(やっぱりお風呂に入ったのは正解だった……)
薔薇の香りを吸い込みながら、ゆったり手足を伸ばすと、体の疲れが消えていくようだ。
部屋へ戻ると既に日付は変わっていた。
(……もう、当日なんだ……。とにかく今夜は早く休まないと……)
“ピチカート”の音楽をかけベッドに入る。
」
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