第25話 トライアングル
“怪人”と呼ばれていた人物が、天使のような好青年であるという【真実】。
それは自分の予想を超えたスピードであっという間に知れ渡り、今までの埋め合わせをするかのようにクラスメイト達が私の周りに一斉に集まった。
「……ねぇ。男の子と同居しているのよね? 塔ノ森さんて言うのよね?」
みんな興味深々だ。
それ以外にも、どうして一緒に暮らすことになったのか? とか、話したことはあるのか? とか、学校はどこに通っているのか?
質問が次々に飛び交う。
「……う、うん。両親の知り合いの人なの。どういう人かは良く知らない……」
半分は本当で、半分は嘘。
だって、知っていることだって何もかも話すわけにはいかないし、実際に知らないことの方が多いから。
……例えば、どうして、私の家に住むことになったのかとか、なぜ、家に閉じこもって暮らしていたのか……とか。
私自身が知りたくても聞けないことがあるのだから。
その中で、結翔のことを全く話題にしない人が二人いる。
紬と麗奈だ。
絵美もだけれど、こちらから話をしているから、彼女は別だ。
紬も麗奈も、初めから私を避けなかったことを思い出す。
麗奈は自分から進んで近づいてきたし、紬は家に誘ったとき、嬉しそうに身を乗り出してきた。
ここから考えられることは……。
二人は、私の家に同居している人物が“怪人”でないことを知っていたかもしれないということ。
気になる点はまだある。
『知り合いの子が中学の時に編入して、スペイン語で苦労したんだ』
結翔の言葉。
この学校にいる結翔の知り合いは、二人のうちのどちらかかもしれない。
あるいは両方。
でも、どうやって確認すべきか?
―― 絵美に聞くことにした。
放課後、荷物を持った絵美が、いそいそと廊下を歩いていた。
“うっかり先生”の忘れ物を取りに行くように頼まれたらしい。
そこで私は理由をつけて絵美に同行した。
「……今度は何?」
絵美が面倒くさそうに言う。
さすが察しがいい。私が情報を欲しがっていることはお見通しだ。
「……あ、あのね。このクラスに中学から編入してきた人いる?」
「いる。……確か、桐谷さんがそうだったと思う」
「!」
結翔の幼馴染は、やはり紬なのだろうか?
でも、もう一人のことも確認しておく。
「松坂さんは?」
「あの人? ……あの人は幼稚園からよ。……お母さんもこの学校だったの」
いわゆる生え抜きという存在だ。いかにも彼女らしい。
「中学の時に編入してきた人は他にもいる?」
「一年生は桐谷さんだけだと思う。他の学年は分からない……」
紬が結翔の幼馴染かもしれないけど、確信は持てない。
他の学年の人かもしれないから。
「……あとね……松坂さんのお父さんと桐谷さんの母さんは、同じ会社に勤めている……これはクラスの皆が知っていることだから、貴女に話しても問題はないわよね?」
「ええ……」
麗奈の父親は専務で、紬の母親は社長秘書をしていると絵美は言った。
共通点が二つもあると、あの二人には何かあるのかもしれないと勘ぐってしまう。
麗奈は、鷹のように紬を見張っていて、誰かが話しかけようとすると邪魔をする。
麗奈の紬に対する仕打ちは尋常じゃない。
結翔をめぐる三角関係だろうか?
却下!
全然根拠がない!
今わかっていることは、
1.紬は、中学からこの学校に編入してきた。→結翔の言っていた『知り合い』の可能性アリ。
2.二人は、我が家の同居人について尋ねてこない。→結翔の存在をすでに知っている可能性アリ。
3.紬の母親と、麗奈の父親は同じ会社に勤めている。→彼女達の両親が結翔と繋がりがある可能性アリ。
4.……。
ダメ!
どれも推測の域を出ないものばかりで、これでは三人の関係を結びつけることはできない。
私が考えあぐねていると、
「なぁにぃ? ……面倒なことに巻き込まないでね。……それに、貴女自身もせっかく上手くいっているんだから、危ないことに首を突っ込まない方がいい。あの二人の、というよりも松坂さんの態度は普通じゃないから……」
声を潜めて絵美が忠告をする。
でも、忠告は聞いておいた方がよさそうだ。
私も女子校歴はそれなりだから、彼女の言いたいことは分かる。
話が終わると私は絵美の荷物の片側を持った。
「教えてくれてありがとう!」
礼をすると、絵美と一緒に教師の待つ職員室へと向かった。
その日の夜のことだった。
「やっぱりこれ持ってきてよかった……」
家に帰ると、私は棚から1㎡弱のリノリウムの板を取り出した。
ほとんど使っていなかったから、引っ越しの時、捨てるかどうか迷ったものだ。
私は、足慣らしのため、自宅でトゥシューズを履く練習を始めた。
板の上に椅子を置き、背もたれに手をかけながら、ドゥミ・ポアントを通ってポアントで立つ。
床を感じながらゆっくりと。
慣れてきたら、練習のレベルを上げていくつもりだ。
汗を流すと、心と体が整っていく。
体を動かすことには偉大な力があると思う。
三十分が経った。
練習を終え、浴室に向かう。
蛇口を捻りバスタブに湯を張れば、程よい湿度が心地よい。
「今日はこれにしよっと!」
お気に入りの入浴剤を湯に放り込む。
『ローズ・アダージョ』
甘い薔薇の香りが浴室に漂う。
温かい湯に身を沈め、ゆっくりと手足を伸ばす。
……そして、自分自身に問いかけるのだ。
―― 本当にバレエを辞めてもいいの?
と。
パジャマに着替える。さらっとガーゼの感触が私のお気に入り。
髪をタオルではさんで水分を丁寧に吸わせる。
ヘアオイルを髪に馴染ませたら、ドライヤーのスイッチを入れる。
ぶぉ〜ん。
温風が髪の間を通り抜け、毛先が踊る。
最後はブラッシング。まずは毛先にブラシを入れ、その後根元から梳かすと、ブラシが滑らかに毛先まで滑り落ちていく。
腰まである長髪だし、綺麗なミルクティ色を保つためには、この作業は入念に行わなくてはならない。
最後の一
(今日も綺麗にできた! 髪がきらきらしてる!)
手入れをしたばかりの髪を見るのは気分が良い。
自室に戻ると、時計は十一時を指していた。
ベッドに横になり、プレイヤーにスイッチを入れる。
音源は、美和のピアノ演奏を録音させてもらったものだ。
一時間後に電源が切れるように、タイマーをセットしてある。
私は音楽に耳を傾けながら、眠りに就いていった。
※ ドゥミ・ポワント
足指だけつけて立つポジションをドゥミ・ポワントと呼びます。爪先立ちで立つポアントの一歩手前です。
※ リノリウム
建材の一種です。
適度な弾力性があり、滑りにくい素材として、バレエ教室の床にも利用されます。
自宅練習用として、コンパクトなサイズのものも販売されています。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます