第26話  眠り姫(?)と王子様

 クラスメイトに追いつくには、まだ時間がかかりそうだけれど、スペイン語の課外授業は順調に進んでいった。


「……ふふっ! 結翔さんのおかげ!」


 嬉しくなって、顔がにまにまする。

 クラスメイトたちとも打ち解けて、私の新しい生活は軌道に乗り始めていた。


 土曜日の夜、結翔から連絡があった。


「angeのオーナーが新作料理を作ったんだ! 試食に来ない?……急で悪いけど、明日なんだ……。スペイン語のレッスンはお休みになっちゃうけど……」


 angeの定休日は日曜日。

 その日を使って試食会をするという。


「ううん! とても楽しみです!」


 私は即座に二つ返事をする。


 日曜日の正午、店に着くとオーナーがいた。


「やぁ! 沙羅ちゃん、今日は来てくれてありがとう。体調が悪いとはいえ、ここのところ結翔君に任せっきりでね……。でも、彼がしっかりしてくれるから助かるよ」


 もともとワインバーだったこの店は、オーナーの体調不良のため、テイクアウト専門になっている。そして店は結翔に任せられていた。


 結翔は、見かけは天使みたいなのに良く働く。

 今も、テキパキと準備をする姿が見ていて気持ちがいいくらい。

 人当たりがいいから、客さからも好かれているだろう。


 オーナーは、いつもにこにこしていて、とても病気とは思えない。

 常連客が彼に会えずに寂しがっていると、結翔が言っていたけど、私も早く元気になって欲しいと思う。

 

 そして、もう一人。


「こんにちはぁ〜」


 牧嶋がやってきた。


 そして、それと引き換えに、



「……じゃあ、私はこれで……結翔君、戸締り頼むよ……」


「あっら〜! お話したかったのに〜」


 牧嶋が名残惜しそうに、二階へ上がって行くオーナーを見送った。

 その気持ちはよくわかる。私もオーナーとゆっくり話がしたい。


「オーナーはね……客とは個人的な関係を持たないようにしているんですよ……」


「寂しい気もするけど、そういうものかもしれないわね。いろいろな人が来て、いろいろな話をしていくから……聞きたくないことを耳にすることもあるだろうし……」


「そうなんです。……俺も噂話とか耳入りますけど、店を出たら忘れるようにしています。……この仕事は距離感が大切だって、いつもオーナーに言われていますから……」


 そう言えば、angeに初めて来たとき、結翔がオーナーに注意されていた。

 ああいう事があるから、互いに立ち入らないのだろう。


「それよりも食べてくださいよ! まずは、『まずは野菜のファルシ』!」


 “じゃーん!”と、トレイが置かれる。


「野菜に、豚と牛の合い挽き肉やみじん切りした玉ねぎを詰めて、オーブンで焼いたものです。……ファルシってのはね、肉や魚、野菜に別の食材を詰めたものなんです!」


 小ナスにミニトマトに蕪にズッキーニ。

 すごくきれい! すぐにでも食べたい!


「それからね。『スルメイカのファルシ』。これはイカに米を詰めたやつ。客には丸ごと売りますけど、今日はスライスしました……」


 トマトソースで煮てある。これも美味しそう!


「それと、葡萄ジュース! 今日は、料理が主役! 沙羅ちゃんもいるから、ノンアルでお願いします。どうぞ召し上がれ!」


「いただきまぁ〜す!」


 声を揃えて料理にかぶりつく。


「この野菜のファルシは前菜っぽいけど、メインでもいけるわね」


「見た目もきれいだし、一口サイズで食べやすいから、夏の食欲のないときでもたくさん食べられちゃいます!」


 それからスルメイカのファルシ。


「スルメイカが新鮮!! お米にイカの旨みが染みているわね」


 口に入れた途端、牧嶋が驚きの声をあげる。


「ふぉいふぃ〜〜!」


 あまりの美味しさに舌が回らなくなる。


「スルメイカはこれからが旬だから、ますます美味しくなりますよ!」


「……本当ならねぇ。ここでワインと一緒に頂きたかった……」


 牧嶋がしんみりと呟くと、


「……そうですね……俺も賑やかだった頃が懐かしいです……」


 結翔が頷いた。


 “客とは距離を置く”と言いながら、この二人はとても仲がいい。

 それに……。

 牧嶋は……結翔が気になるようだ。

 そういう人なのだ。牧嶋は。

 でも、気持ちはわかる。だって、結翔は素敵な人だから。

 本当ならば、もう大学生なのだけれど、童顔で、私と同い年ぐらいに見える。

 牧嶋にモーションをかけられて、結翔は困っているけど、そんなに嫌じゃないみたい。

 

 ……え……と……。

 

 誤解を招く言い方しちゃった!


 結翔が牧嶋と両想いになることが嫌じゃないって事ではなく、結翔は牧嶋が嫌いじゃないということ。牧嶋はとても楽しい人だから、私だって大好きだ。


 私が結翔について新しく分かったこと。

 

 ―― 結翔は人の好き嫌いが顔に出やすいということ。

 結翔は大人で、あまり好き嫌いはなさそうだし、好きじゃない人でも失礼のないように接することができる。

 でも分ってしまう。


「……どうしたの? 沙羅ちゃん。なんかいいことあった?」


 結翔が不思議そうな顔をしている。


(……いけない! 私も顔に出やすいのよね!)


 でも……。

 顔が緩んでしまう。

 にまにまって。

 

 自分の知らない結翔を知るたびに、宝探しの宝石が一つずつ見つかるみたいですごく嬉しい。


「あっ〜ら〜? 沙羅ちゃ〜ん?」


 牧嶋の目が不機嫌そうにキランっ! と光った。


「……牧島さん? どうしかしましたか? 沙羅ちゃんも何か?」


 ぽかんと狐につままれたような結翔。


 私と結翔と牧嶋。三人の間に生ぬるい空気がどんよりと漂う。


「あ〜〜! 馬鹿らしい! 結翔! 貴方もう十八でしょ!」


 牧嶋は原因不明の不機嫌低気圧を巻き散らしている。


(もしかして焼きもち?)


「えっ? 何? 牧嶋さん。俺、何かやらかしましたか? ……そうですねぇ。……俺、一年近く社会生活送ってなかったから、その分遅れてるのかな?」


 結翔は、私の家の【左側】に閉じこもって、“怪人”なんて呼ばれていたのだ。 

 近所中の噂になって、私自身もクラスメイトから避けられていた。

 

 でも、目の前で生き生きと働く結翔を見ていると、そんな噂が嘘のように思える。


「……そうだったわね……」


 牧嶋が申し訳なさそうに言う。そして、何かいいことを思いついたようで、にまにまし始めた。


「でも、素敵じゃない? 『眠れる森の美女みたい』」


 ブー!!! 

 

 っと結翔が飲みかけのジュースを噴出し、私は固まってしまった。

 

 だ、だって、お姫様が結翔で、王子様が牧嶋だなんて!


「勘弁してください! 俺、女の服着る趣味も、男とキスする気もありません!」


 ペースを取り戻した結翔が笑い、私もそれにつられて笑う。


「あなた達! 何がそんなに可笑しいのよ!!」


 牧嶋が怒り出し、私は笑いをかみ殺すのに必死だった。


「……眠りの森の美女かぁ。そういえば……この前沙羅ちゃん踊ってたよね?」


 と、結翔が言うと、


「そうなの?」


 牧嶋が私を見た。


「……え……と……ちょっとだけです。バレエシューズで。……オーロラ姫のヴァリアシオンを……」


 ヴァリアシオンというのは、ソロの踊りのこと。


 私は親指と人差し指で小さな間隔を作る。だって、踊ったのはほんの少しだったから。


「あ……らぁ。私も見たかった〜」


「綺麗でしたよ。沙羅ちゃん」


「……でしょうねぇ。沙羅ちゃんにぴったりの踊りだもの……」


 牧嶋が真顔になった。

 普段の彼は、いつもにこにこしていて、こんな真剣な顔を見るのは初めてかもしれない。


「そろそろ本格的にレッスン始めた方がいいんじゃないかしら? ……バレエ学校の先生はなんて仰っているの?」


 牧嶋は親身に私のことを考えてくれている。きっと、今までもずっと気にかけてくれていたのだ。


「……体調が戻ったらいらっしゃいって……」


「もう大丈夫よね?」


 牧嶋が念を押す。

 そう、もしこれからもバレエを続けるのならば、これ以上ブランクは作ってはいけない。遅れをとってはならないのだから。


「……」


 返す言葉がない。


 だって……。


「……わ、……私……」


 牧嶋と結翔が、じっと自分を見ている。

 これ以上黙っていることはできない。


 私は口を開いた。


 そして……。


「……私……バレエを辞めようと思っているんです……」


 とうとう言ってしまった。


 


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