第27話  沙羅の思い出

 私がバレエを習い始めたのは、六歳の冬だった。


「バレエを習いたい!」


 私は突如宣言をした。

 その時、私は何も考えていなかった。クリスマスに『くるみ割り人形』を観て、あの人達のように踊りたい! と、熱に浮かされていただけだった。


 でも、


「そう? じゃあ、習ってみましょう!」


 母は喜んだ。私にバレエを習わせるのが夢だったみたいだけど、母もたぶん、そんなに深い考えはなかったと思う。ひらひらした衣装を私に着せたい。

 その程度のことぐらい。


 年が明けると、近くのバレエ教室に通い始める。


 児童クラスで、先生の言うことを聞いたり、他の子の練習を見ながら、徐々にレッスンに慣れていった。


 ―― 時々、クラスのお姉さん達が、私を羨ましそうに見ていることに気付く。


 漏れ聞こえる話では、自分はバレエ向きの体つきをしているらしい。

 言われてみれば、他の子達が苦労している基礎が、私には無理なく身についていった。


 バレエは楽しかった。新しいステップを覚える度に、自分も憧れのプリマになれるような気がした。


 そして、十歳のとき、先生からトゥシューズを履くお許しを頂いた。


 そのときの嬉しさと言ったら!


 これで私も、【あの人たち】と同じになれる!

 そんな気持ちでいっぱいになった。

 トゥシューズを履いて立つと、足にマメやタコができて辛かったけど、いつか上級クラスのお姉さんみたいに踊れると信じて、頑張った。

 そして、まっすぐ立てたときの嬉しさは、今も心に焼き付いている。


 その後すぐに、父の転勤で教室を変わった。

 新しい教室で、最初に目に入ったのが來未(くみ)だった。

 來未は、痩せて小柄な子だった。黒目勝ちの瞳に、漆黒の髪をしていて、先生の話を聞くときには、その目が怖いくらいに輝いた。少しも聞き漏らすまいとするかのように。

 

 誰よりも一生懸命練習をして、教えられたことは一度で覚え、レッスンを休むこともなかった。

 他の子は繰り返し練習することを嫌がったのに。

 

 児童クラスで一番上手だったのは來未で、その次が私だったんじゃないかと思う。


 やがて、有名な踊りを踊るようになった。フロリナ姫、スワニルダ、オーロラ姫……。

 男の先生と練習するようにもなった。初めのうちは恥ずかしかったけど、すぐに慣れた。


 教室では毎年発表会があったけど、私と來未が一緒に踊ることはなかった。

 ……その……身長が違うから。


 長身でおっとりした踊り方をする私とは対照的に、來未は、スピード感のある、はっきりとした踊りが得意だった。

 “もうちょっと身長があればね……残念ね……”なんて陰で言う人がいたけど、來未の踊りは、“残念”なんかじゃなかった。

 來未が舞台に立つと空気が変わる。踊った後、拍手が起こって、観客が喜んでいる姿が舞台袖からも見えた。


 そして、それは中学二年生の四月だった。

 私は、毎日をそわそわとした気持ちで過ごしていた。


 だって。

 だって。


 発表会の演目がもうすぐ決まるのだから。


 発表会は毎年九月に行われるが、その年は特別な年だった。


 教室では、五年に一度、作品を全幕で上演する。

 全幕の発表会は、自分にとって初めてだった。


 「今年の演目は何かしら?」


 皆がそわそわと噂をし合う。


 演目も気になるけれど、配役はそれ以上だ。

 もう、ヴァリアシオンも踊れるようになったし、群舞(コールド)じゃなくて、何か役に付けて欲しいと考えていた。


 皆の注目を集める日々が続き、


「演目と配役が決まりました!」


 そう言って、先生が掲示板に紙を張り出した。


(まずは、演目!)


 私は掲示板の一番上を見た。

 

 『白鳥の湖』


(素敵!)

 

 それを見た瞬間、気持ちが高ぶって、その場で跳ね上がりたいような気持ちになったけど、気になることは他にある。

 そう。

 配役。

 私が何を演じるのか? それから、主役は誰なのか?


 私は目線を落としながら、自分の名前を探す準備をした……。


 名前はすぐに見つかった。

 一番上にあったから。


白鳥オデット: 有宮沙羅』


 頭がぼーっとしながらも、自分に視線が集まっているのがわかった。

 心臓がどきどきとして、苦しいくらいだった。

 それから……じわじわと胸に押し寄せる……。

 

 ―― 喜び!!


 私が! 私が! 主役! しかも白鳥!


 そして、すぐ隣にも名前があることに気づいた。

 

黒鳥オディール 天野來未あまのくみ


 と。

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