第32話  銀の翼にのって

 木々の葉が色付き、落ち葉の絨毯の上を人々が足早に歩く。

 秋が終わり、厳しい冬が訪れようとしていた。


 季節が移り変わる中、私は学校へ通い、バレエ教室へと足を運んだ。

 空は高く澄んで、吐く息の白さを確かめながら、教室への道を急ぐ。

 厳しくも温かい教師。練習に励む仲間達。

 変わらない毎日を、私はいつも通りに過ごした。


 でも、あの発表会の日以来、自分の中で何かが変わってしまった。

 才能もないのにバレエを続けていてのいいのかと。


 街がイルミネーションで彩られ、クリスマスの夜がやって来た。

 私はバレエ教室の友達と『くるみ割り人形』を観るために、都心にあるホールを訪れた。


 天使のコーラスに合わせて、夜空に粉雪の妖精たちが舞い踊る。

 ふわふわとした姿が夢のようで、初めて『くるみ割り人形』を見た夜を思い出す。

 バレエが好きで、自分がバレリーナになれると信じて疑わなかった日々を。


「……沙羅ちゃん?」


「え?」


 隣席の友人が、そっと私を覗き込む。


「き……綺麗で……粉雪が……」


 涙を拭い笑顔を見せる。

 

 いつの間にか、泣きながら舞台を観ていたのだ。



 年が明け、春一番が街を吹き抜けた後、私と來未ちゃんは三年生になった。


 そして……。


「沙羅ちゃん、來未ちゃん、国際コンクールに出るつもりはない?」


 先生から、翌年の一月に行われるコンクールへの出場が打診された。


「はい! 頑張ります!」


 待ってました! と、ばかりに來未が答え、反応の鈍い私に先生が確認をする。


「沙羅ちゃんは?」


「……あ……あの」


 私は迷っていた。自分の実力に疑問を抱くようになっていたから。


 ……でも、いい機会なのかもしれない。

 このコンクールで実力が発揮できれば、これからもバレエを続けよう。

 もしだめならば……。

 

 ――バレエを辞めよう。

 

 私は密かに心に決めた。


「参加します。よろしくお願いします!」


 覚悟を抱いて頭を下げると、「頑張りなさい!」と、励まされた。


 コンクールでは、私は金平糖の踊りを、來未はスワニルダを踊ることになった。


 コンクールに全てを賭け、私は練習に励んだ。

 だが、出場直前に、怪我をしてしまった。

 教師の指導も、両親の支援も全てが無駄になり、絶望と悔恨に苛(さいな)まれた。 

 怪我は幸い軽傷で、治れば元通りに踊れるようになると、医師は太鼓判を押した。


 ……でも、

 コンクールで結果を出すどころか、出場することさえできなかったのだ。

 残された道は一つしかなかった。



 一月になり、來未は、コンクールで入賞し、ロンドンへの留学が許可される。

 この喜ばしいニュースは日本中に広まり、テレビで、ネットで來未の踊る姿が何日も流れた。


 その頃には私の怪我は完治していたが、突然、父が転勤先から本社へ戻ることが決まり、受験勉強に取り掛からなくてはならなくなった。


 幸い、校長の推薦状があれば、形式的な試験だけで入学できる学校が見つかった。

 私の進学問題で頭を悩ませていた母は大喜びだった。


「……でも、あまり恥ずかしい点数じゃだめよね?……受験が終わるまでバレエはお休みする……」


 こうして、私はバレエから遠ざかる口実を得ることが出来た。



 

 春浅い三月の日曜日。

 ロンドンへと旅立つ來未を、私はバレエ教室の友達と成田まで見送りに行った。

 來未の荷物は小さなトランク一つで、「それだけ!?」と、驚きの声が上がる。


「へーき! へーき! なんとかなるって! 足りなかったら向こうで買うし、後から取り寄せてもいいし!」


 屈託なく笑う來未。

 「頑張ってね!」と、仲間からの激励の言葉。


「行ってきます!」


 軽々と荷物を抱え、來未は搭乗ゲートを目指して走り出す。

 輝かしい未来が待ちきれないというように……。


 一瞬……。


 來未と自分の姿が重なる。

 もし、自分がコンクールに出場していたら……と。


(そんな夢みたいなこと!)


 儚い幻想を振り払う。

 來未は未来へと旅立ち、自分はここに取り残されるのだ。

 私達は、子供の頃から一緒にバレエを習っていた。

 それなのに、なんて大きな差がついてしまったのだろう。

 

「來未ちゃん! 元気で!」


 私の声に來未が足を止め、振り返った。


「ありがとう! 沙羅ちゃんも元気で!」


 一点の曇りもない笑顔を見せ、再び前へ進む。


 來未が旅立つ。

 銀の翼に乗って。

 來未の夢と一緒に……。


 いつしか黄昏が迫り、ロビーの窓から夕陽が差し込んでいた。

 空は春宵の青紫から濃紺へと変わり、白い照明を浮き上がらせる。

 

 私は立ち止まったまま、それをぼんやりと眺めていた。




 ※金平糖の踊り


 『くるみ割り人形』二幕で踊られるヴァリアシオンです。

 成長した少女が踊るものや、少女を招待するお菓子の国の女王など、役の解釈はそれぞれですが、このお話では前者を使用しています。


 ※スワニルダ


 『コッペリア』というバレエの主役の名前です。

 コッペリアは、明るい町娘スワニルダの恋人フランツが、人形とは知らずコッペリアに恋をする騒動を描いたコミカルなバレエです。

 お話の中で來未が踊ったのは、第三幕の結婚式で踊られるヴァリアシオンです。



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