第20話  睫毛の距離 2

 やがて“広瀬”と呼ばれた人が私に目を向ける。


「……あの、そちらの人は……?」


「……あ、ああ……有宮沙羅ちゃん。俺の家主のお嬢さんだ!」


「可愛い家主さんね……」


 広瀬がクスリと笑う。


「沙羅ちゃん。この人はね広瀬綾女(ひろせあやめ)と言ってね、俺の同級生だったんだ。……今は大学生だよ……」


 大学生。

 結翔も本当は大学生になっているはずだった。


 私も自己紹介をする。


「……有宮沙羅です」


 第一印象が大切なのだ。

 とびっきりの笑顔を作らなくてはならない。

 結翔の大切な友達なら尚更だ。

 

 ……でも、それが出来ない。


 強張った顔のまま目の前の人を見る。

 白いブラウスにチェックのプリーツスカート。

 ナチュラルメイクにグロスを塗っただけの唇、透明な桜色のネイル……。


(……私も……爪を伸ばしたかった……でも、校則が……)


 正体不明の競争意識がむくむくと芽生える。


(服装がラフ過ぎたかしら……もう少し女の子っぽい恰好して来ればよかった……)


 結翔のクラスメイト。

 結翔は進学校に通っている。

 彼女も秀才に違いない。


「可愛らしい人……綺麗な髪。カフェオレ色ね?」


「……ミルクティーです……」


 無意味な訂正をする。

 カフェオレだろうとミルクティーだろうと、見る者が判断する事なのに。


「ごめんなさいね……」


 目の前の女性(ひと)が優しく微笑む。

 

「……それじゃあ……塔ノ森君の元気な姿が見られてよかった……今度皆で会いましょうね」


「……ああ! またな!」


 二人は約束を交わし、綾女が立ち去ると後には私と結翔が残された。


「……結翔さん……ごめんなさい……」


「えっ!? 何突然!?」


 謝罪の意味が分からず結翔がたじろぐ。


 広瀬に失礼な態度をとってしまった。

 もっと笑顔で接するべきだったのに。

 結翔に恥をかかせてしまった。


「……あの……いえ……もう少しきちんと挨拶をすればよかったと思って……」


「なんだ、そんなこと気にしてたの? 無理もないよ……突然声をかけられたら、とっさには反応できないさ!」


 結翔が笑う。

 私の後ろめたい気持ちに結翔は気づくことさえない。


(よかった……気にするほどじゃなかったのね……)


「広瀬さんは結翔さんの同級生だったのね?」


「ああ、学校一の才媛さ! 男を入れると俺が一番だけど!」


 結翔は滑稽に話すが本当のことなのだろう。


「……で、現在学年三番だった秀才と付き合っている」


「会話に順位を入れるの止めません? 数字で人を評価すると品性を疑われますよ?」


 笑いを堪えながら結翔をたしなめる。

 

 結翔のジョークは私をリラックスさせるためのものだ。

 初対面の私の緊張を気遣ってのことだろう。

 いかにも結翔らしい。


 そのせいだろうか。

 見る見るうちに気持ちが楽になっていく。


 ……理由は他にもあるかもしれないけど……。

 「広瀬には結翔以外に恋人がいる」

 結翔の一言で安堵する自分がいた。


「でもなぁ……俺のことなんて忘れてると思ってたよ……。ドロップアウトした落ちこぼれだからね。……進学校ってね……いろいろ競争激しいんだ……下級生と一緒に勉強するのは恥ずかしいけど、同級生が卒業していて気が楽だった……」


「……落ちこぼれだなんて!」


 私の知らない結翔の過去と現在。

 「過去は関係ない大事なのは現在だ」

 そんな風に人は言うけど、彼等だって経歴や地位で人間を判断するのだ。

 いくら成績優秀と言っても、留年したことは結翔にとってプラスにはならない。

 結翔に生涯ついて回る事実だ。

 彼はいろいろな思いを抱えているのだろう。


 結翔は自分の気持ちを打ち明けられる人間がいるのだろうか?

 医者にかかっていると聞いたが、心許せる相手なのだろうか?


 ――私は?


 ……でも……今は聞かない方が良さそうだ。

 きっといつか話してくれる。

 ……そう信じたかった。

 

 テラスの向こうに緑が広がる。

 目の前には結翔がいて長い睫毛が見える。


 こうして結翔を間近に見ることができるのが私だけかもと思うと、顔がにまにましてくる。


「どうしたの? 沙羅ちゃん?」


 結翔が覗き込む。


「え……あ……あの……」


 また睫毛に見とれてましたなんて言えない。


「顔が赤いよ……熱でもあるかな……?」


 ふわりと前髪が上がり、結翔の手が額に触れた。


 ふっ、ふみゅー!

 衝撃の瞬間!

 突然額に触れるなんて!

 頬が熱を持ち、それは耳へと伝わっていった。

 私は今、真っ赤な顔をしているに違いない。


 どきどき。


 温かい掌(てのひら)。


 どきどき。


 少し冷たい指先。


 どきどき。

 

 鼓動が伝わらない様に私は胸を押さえた。


「……熱はないみたいだけどな……風邪かな……? 沙羅ちゃんには無理させちゃってるから……ごめんよ。今日は早く帰ろう……」


 と、自分の上着を私の肩にかけた。


「あ、……ありがとう……でも、大丈夫です……」


 礼を言うと結翔がくしゃりと笑った。


「……今日は温かくして休むんだよ」


 上着のかかった肩が温かく、私は言葉もなく頷いた。


 空に浮かんだ仄白(ほのしろ)い月が夕暮れ時を教える。


 私達は並んで駅へと足を運んだ。

 

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