第17話  沙羅の冒険2

「ねぇ〜、彼女ぉ〜」


 男は諦めずに食い下がってくる。


 その時だ。


「やぁ! 沙羅ちゃん! 待たせてごめん!」


 背後から肩を抱く手がある。


(え!? だ、誰!?)


 今度は何事かと、恐る恐る見上げると、


「結翔さん!」


 結翔だった。


「このまま歩いて……」


 結翔が耳元で囁く。

 ほっと安堵はするが、心臓のどきどきは収まらない。


 足ががくがくと震え、倒れそうになるのを結翔に支えられながら、必死で進み続ける。

 背後から、名刺、名刺と騒々しい声が聞こえ、少しでも早くこの場を離れたかった。


「なぁ! そんなに気取るなよ! その髪の色で男連れて! どうせ遊んでんだろ!」


 自棄(やけ)になった男が吐き捨てるように言い放つ。


(ひ、酷い!)


 怒りが込み上げるが、今はそれどころではない。

 この場を何とか離れたかった。


 ―― が、


 道を急ぐ結翔の足が止まる。

 そして私を彼の背中に回しながら、男の方へ素早く振り返り、



 ――言った。



「彼女に謝れ!!」


 

 と。



 結翔の声が通りに響き渡る。

 私は結翔の背中に張り付いたまま、彼が大声を出すのを初めて聞いた。

 どきどきとした胸に結翔の体温が伝わる。

 怖いはずなのに、心が安心感に満たされていった。

 鼓動はいっそう高まり、私は結翔にそれを知られるのを恐れた。

 こんな人にかまっちゃいけない。この場をすぐに立ち去らないと……。

 そう思いながらも、私のために結翔が真剣に怒っていることが嬉しかった。


 目の前の男はたじたじとなり、


「……そ、そんなぁ〜……大袈裟だなぁ〜……」


 と必死で笑おうとするが、結翔は黙したまま男を凝視する。


「……すみませぇ〜ん……悪気は無かったんですぅ〜……」


 男が陳腐な謝罪をする。

 いい大人なのだから、もう少しちゃんとした謝り方ってないのだろうか。


「……」


 結翔は軽く頷くと、私を連れてその場を立ち去った。




「ありがとうございました……」


 一息ついた後、私はようやく礼を言うことができた。


「……でも、怖かったです……何なんですか? あれ?」


「うーん? よくわからないけど、モデルの勧誘? 沙羅ちゃんは可愛いから、声をかけたくなるのは分かるけど、あれはちょっとしつこかった。……もしかしたら、危ない奴だったかも……」


「そ、そんな……」


 恐ろしさのあまり、すーっと血の気が引いていく。


「ご、ごめん! 怖がらせちゃって! ……大丈夫!? 顔色が悪いよ?」


「……だ、大丈夫です……」


「渋谷にはよく来るの?」


「……あまり……一人で来るのは初めてです……」


「そっか、越してきたばかりだものね。……あの、……こんなことはよくあるの?」


「いいえ! 私の周りの人達はいい人ばかりです!」


 確かに、この髪と瞳の色のせいで、好奇の目で見られたり、心無い言葉を言われることはある。


 だが、こんなことは滅多にないのだ。

 

 ……だからこそ悔しい。


「それなら良かったよ。さっきは怖がらせちゃったけど、あいつも沙羅ちゃんが可愛過ぎてムキになったんじゃないかな? 新米(ぺーぺー)みたいだったから、悪気は無かったかもしれない……無神経というか、鈍感な奴なんだよ……。まぁ、そういうのが一番困るんだけどね。嫌な思いしちゃったね……」


「……」


 戻ってきて初めての遠出でこんな怖い思いをするなんて、楽しい気持ちが台無しになってしまった。


 ……でも……。

 

 結翔が助けてくれた……。

 結翔の背中の温かさが、まだ残っているようだ。

 

「……沙羅ちゃん? どうかした?」


「う、ううん……」


 私は顔を見られないように俯く。

 涙腺が刺激されてしまったのは、悲しいからではない。

 結翔の優しさが心に染みるのだ。


(……えっ、と……?)


 気持ちが落ち着いてくると、結翔がカフェの店員のような服を着ていることに気づき、まじまじと彼を見つめた。


「結翔さん? どうしてここにいるんですか? ……それにその服!」


「……ああ? この格好?……似合う? すぐ側のクレープ屋で働いているんだ。友達の代わりだよ。今日レッスンを休んだのは、このせいなんだ!」


「クレープ屋!? クレープ焼けるんですか!?」


「な、なんだよ! そりゃ教えられれば焼けるよ!? こう見えても器用なんだ。……そんなに驚くことかなぁ?」


「す、すみません……」


 私は結翔を見るたびに、驚いたり怒ったりすることが癖になってしまったようだ。

 助けてもらっておきながら申し訳ないと思う。


「今、休憩時間だけど、もうすぐ終わるんだ。そうだ! 沙羅ちゃんも来なよ! 駅の近くだから、そのまま帰れる」


「はい!」


 すっと


 手が差し出される。

 結翔の手だ。


「……えっ……?」


「道案内! 人混みで迷子になるといけないから……」


「……は、……はい……」


 私は差し出された手を握り、結翔に手を引かれて道を歩いた。

 あれほど煩わしかった雑踏の中、ずっと歩いていたいと思う。


 結翔のバイト先は、駅近くの建物の一階にある小さな店で、表に売り場、奥に厨房がある。

 注文を受けた後、その場で焼いて渡すスタイルだ。

 

 女性客が多く、クリームに果物やソースをトッピングしたクレープを持って、食べながら街を歩いている。


(こういうお店にも来たかったんだわ!)


 今日は思いがけず二つ目の願いが叶うようだ。


 結翔は素早く売り場に入ると、注文を取りクレープを焼き始めた。

 私もクレープを待つ客の列に並ぶ。


 私は横目で結翔を伺いながら、看板に貼られたメニュー見る。

 自分の順番が来るまでにメニューを決めなくてはならない。


 結翔が女子高生に接客すると、少女の顔がぽっと赤らんだ。


(……あの子嬉しそう……)


 原因不明のもやもやが心を覆い、結翔に何か言ってやりたい気持ちになる。


「何になさいますか?」


 いつの間にか自分の番だった。


(や、やだっ!! 私ったら、人のことに気を取られていて……)


 後ろには客の長い列が出来ていて、さっさと注文を済ませなくてはならない。

 

「……え……と……生クリームと……苺……と……」


 メニューが決められずに戸惑う。

 並んでいる間に、何を頼むかを決めておくべきだったと後悔をした。

 

 ようやく注文を済ませ、クレープが焼きあがるのを待つ。


「はいっ! お待たせしました!」


 白いホイップクリームに、苺と赤いソースがトッピングされたクレープを手渡される。


 そして小声で、


「気を付けて帰るんだよ……」


 と囁かれる。



 ――トクン



 鼓動が高鳴り、頬がほんのりと温かくなった。


 「……ありがとう……」と返事をすると、私は順番待ちの客達とぶつからないように列を離れた。


 客達は買ったばかりのクレープをその場で食べていて、私もそれに習うことにした。


(甘い……。 それにふわふわ……)


 温かいクレープと冷たいクリームが口の中で溶け合う。

 それを引き締める甘酸っぱい苺と、赤いベリーソース。


 口元にクリームが付くことを気にしながら、私は駅への道を歩く。


 冒険に満ちた私の一日は、こうして平穏に終わろうとしていた。


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