第16話  沙羅の冒険1

 日曜日の午後はスペイン語のレッスンだが、今日は結翔の都合で休みだった。

 結翔に会ったら、紹介料のことを問い詰めようと思っていたのに……。


(いい機会だと思ったけど、……私も行きたいところがあるし……)


 そこで私はある計画を実行することにした。

 

 その朝早くに家を出て、電車を乗り継ぎ渋谷に着く。

 降車してハチ公口の改札を通り抜けた時、


(……す……ごっ……!)


 スクランブル交差点の前で立ちすくむ。


 人、……人……黒山の人だかり。

 人の群れが波のように絶え間なく押し寄せてくる。


(渋谷ってこんなに人が多かったかしら……?)


 渋谷に来たのは五年ぶりで、早くも人混みに酔いそうだ。

 だが、今はとにかくこの交差点を渡らなくてはならない。


 えいっ! と勢いを付け、人の流れに身を投じる。

 ようやく公園通りにたどり着いた時には既にへとへとだった。


 それでも私は目的地に近づきつつあった。


 そして……。

 

(やっと来たわ!)


 たどり着いたのはバレエ用品の店だった。

 華やかな装飾を施した正面外壁ファサードに目を奪われる。


(ずっとここに来たかったの!)

 

 期待に胸を膨らませ店に入る。


 豊富に取り揃えられたトゥシューズにレオタード。


 牧嶋のビルにも同様の店が入っているが、やはり品数が違う。

 心弾ませ、色とりどりのレオタードや小物を見ながら歩いた。


 この店には父の転勤で引っ越す前に母と何度か来たことがある。


(あの頃と変わらない……)


 幼い私にとって、ここは夢の国だった。

 母に手を引かれ店内を回ったことが懐かしい。


(やっぱり来てよかった……)


 放課後ここへ来ると一時間以上かかるし、日曜日には結翔とのスペイン語のレッスンがあるために来れずにいた。


 だから、予定の空いた今日は絶好の好機(チャンス)だった。


 ハンガーにかかったレオタードを一つ一つ見て歩く。


 ふと……ちらちらと私に向けられた視線に気づく。

 私と同じ年頃の少女達だ。

 ミルクティ色の髪に金茶の瞳。

 やはり目立つのだろう。


(一人で来ない方がよかったかしら……)


 心細くなりながらも通路を歩き、一枚のレオタードに目が留まる。


「これ試着してもいいですか……?」


 店員に声をかけると、フィッテングルームへと案内された。

 着替えた後、鏡の前に正面を向いて立つ。

 その後、横、後ろ姿と入念にチェックをし、壁にぶつからないように体を伸ばして、着心地を確認する。

 どちらも問題はなさそうだ。


 レオタードは水色で、肩の部分がチュールになったデザインだ。

 チュール越しに白い肌が微かに覗く。

 急に大人びて見え、鏡の前の自分は別人のようだと思う。

 

(……ど、どうしよう……ちょっと大人っぽいかしら?)


 買うべきかどうかと迷っていると、


「お客様いかがですか?」


「あ……わっ……きゃっ!……」


 カーテン越しに声をかけられドキリとする。


「よろしければサイズを確認しましょうか?」


「……あ、あの……お願いします……」


 「失礼します」と言って、声の主がカーテンを開けた。


「まぁ! よくお似合いですよ! お客様はスタイルもいいし、サイズもぴったりです!」


「そ、そうですか……?」


 向けられた笑顔に躊躇(ためら)いが薄れていく。


「あ、あの……これにします……」


 「ありがとうございます」と、店員がカーテンを閉めた。



 会計を済ませ、新しいレオタードを手に私は店を出た。

 散々迷った買い物だが、いざ自分の物になると、喜びがじわじわと込み上げてくる。


(よかった! いいお買い物ができたわ!)


 その場で踊り出したい気持ちを抑え、元来た道を駅へと向かう。

 人混みには慣れていないので、寄り道などせず帰るつもりだった。


 が……。


 見つからない。

 スクランブル交差点が!


 来た道を引き返せば、そろそろ交差点に出るはずなのに……。

 もう少し歩けばと進むが、見覚えのない景色が続くばかりだ。

 私は、いつの間にか人通りの少ない通りに出てしまった。


(……えっと……これって……もしかして……!)


 【迷子!】


 自分は迷子になってしまったようだ。


 ふみゅー!!


(そ、そんな……いくら初めて一人で来たからって、迷子だなんて! もう、高校生なのに!)


 鞄から携帯を取り出し位置確認をするが、焦っているせいか上手くいかない。

 目の前のどのビルが、地図のどれに当たるかが分からないのだ。


(どうしよう……)


 私は深呼吸をして気持ち落ち着けようとする。

 慌てる必要はない。

 まだそれ程歩いていないから、駅から離れていないはずだ。

 

 私は再び携帯に目をやる。


 ……その時だ。


「ねぇ。君! 可愛いね! その髪は生まれつき? ハーフなの? モデルにならない?」


 突如声をかけられ振り返ると、見知らぬ男が立っていた。

 新しいスーツを着ているが、服が彼に馴染んでいない。

 そんな感じの若い男だった。

 今の世の中、軽々しくこういう誘いに乗ると痛い目をみる事があるとよく聞く。本当にモデルの誘いかどうかも怪しい。


「あ、……あの……急ぎますので!」


 それだけ言って立ち去ろうとすると、


「そうなのぉ〜? でもさぁ〜。名刺だけでも貰ってくれないかなぁ〜?」


 語尾を伸ばした口調で近づいて来る。

 馴れ馴れしい態度が腹立たしく、急いでその場を立ち去ろうとするが、


「ねぇ、ねぇ〜、せめて名刺だけでも貰ってくれないぃ〜」


 男は諦めずに食い下がってくる。


「ねぇ〜! せめて、名詞だけでも貰ってよぉ〜!」


 男は名刺を差し出しながら追いかけてきた。


「すみません! 急ぐんです!」


 その一点張りで、男の顔も見ずに歩き続けた。


「ちょと待ってよぉ〜。彼女ぉ〜」


 男は引き下がらない。


(ど、どうしよう……)


 このまま着いて来るつもりだろうか?

 誰かに助けを求めた方がいいのだろうか?

 でも、事を大袈裟にはしたくはない。


 私は逃げることしかできずにいた。




 



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