第15話  神様は誰を愛しているの?

「……見せてもらったわ……沙羅ちゃんの踊り……」


 私を見つめる瞳がきらりと光る。

 牧嶋はやはりダンサーなのだ。しかも優秀な。

 彼の目に私はどう映ったのだろう。


 だが、すぐに眼光は影を潜め、いつものにこやかな顔に戻った。


「沙羅ちゃんに来てもらって本当に助かったわ……」


「……いえ……初心者クラスの人が気を悪くなさるんじゃないですか?」


「ううん。そんなことはないわ。……沙羅ちゃんはね、みんなの希望の星なのよ。沙羅ちゃんがいてくれるだけで、みんなのモチベが、見る見るうちにあがったわ……」


「え……?」


「だからね……いつか私もあんな風になれるって……それを信じてレッスンに励める……」


(無理よ!)


 このクラスには、大人になってからバレエを始めた人もいる。

 仮にトゥシューズを履けるようになったとしても、踊れるようになるには長い時間がかかる。


「……」


「まぁねぇ……レッスンは楽しいことばかりじゃないわよね? ……だから夢が必要なの。沙羅ちゃんもそうだったでしょ?」


 確かに……。

 憧れのプリマを思い浮かべて、“自分もあんな風になれるんだ!”って根拠も無く信じて練習を続けたのだ。


「ふふっ……心当たりがあるわよね? 沙羅ちゃんはみんなに夢を与えているの。だからバイト代をお支払いしているのよ……」


 “夢を与える”? 私が?

 思いもよらなかった。

 今まで夢を見るだけで、人に与えるなんて考えたことさえなかった。


「……沙羅ちゃんはね……神様に愛されているの。だから人に夢を与えることが使命なのよ……」


 自分が神様に愛されているなんてことはあり得ない。

 神様が愛しているのは誰か別の人なのだ。

 例えば……。

 

 ―― 來未(くみ)!

 

 一瞬。

 漆黒の髪に、黒目がちな瞳が浮かんだ。

 そう……神様に愛されている人間というのは、來未のことを言うのだ。

 私ではない。


「どうかした?」


「……いえ。なんでもありません」


(いけない! 顔がコチコチになってる! 牧嶋さんが変に思うわ!)


 表情(かお)を無理やり和らげ作り笑いを浮かべる。


「結翔が沙羅ちゃんを紹介してくれたおかげよ。あの子は私の“幸運の天使”だわ!」


 結翔は牧嶋にとっても天使だったのだ。

 確かに、いつもタイミングよく助けてくれる。

 結翔のサポートは、さりげなくて優しくて、天使の羽が肩に落ちたみたいに気づくことさえない。

 それでいて、いつの間にか心がふんわりと温かくなるのだ。


「何よりも、いいお手本になってくれているわ……。沙羅ちゃんは基本がキチンと身についているもの。……どこの教室で習ってたの?」


「……城山晶子(しろやまあきこ)先生のお教室にいました」


「まぁ! 立派な先生よね! ……確か……楡咲(にれさき)バレエ団のソリストだったわ!」


「あ……そうで……す」


「楡咲バレエ団は付属のバレエ学校があったわよね……そこへは通わないの?」


 城山は楡咲バレエ団とも付属バレエ学校とも繋がりがある。

 バレエ団には憧れのダンサーが何人もいて、私はそれを励みに練習してきた。

 城山が私の為に紹介状を書き、学校はそれを受け入れた。

 私の長年の夢は今まさに叶おうとしていたのだった。

 

 それなのに……。

 自分は……。


「……怪我が治ったら……入学する予定でした……」


「……じゃあ、こんなところに引き留めておいて言うのもなんだけど、なるべく早く本格的なレッスンを再開した方がいいわ……」


「……」


「……受験が終わったばかりよね? それがきっかけで辞める子は多いの。でもね、よく考えてちょうだい……」


「あ、……はい……わかりました」


 私は気のない返事をする。


 今日のレッスンは楽しかった。

 でも、私はバレエを辞めるつもりなのだ。


 だが、牧嶋の一言が私を一気に現実へと引き戻した。


「でも、レオタードの売上も上がりそう!“沙羅ちゃんと同じのが欲しい”て、注文があったの! 今日一日で二枚も! ……紹介料を払った甲斐があったというものだわ!」


 え?

 

 紹介料? 何のことだろう。初めて聞く話だ。


「あ……ら? ……聞いてない? 結翔に払ったのよ。誰か探して来てって……」


 牧嶋と結翔の間に金銭のやり取りがあったなんて知らなかった

 話を聞いていない分、気分が悪い。

 まるで自分が売られたような気がする。


(後で絶対に問いただすわ!)


 私は心に固く決めた。

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